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第二章

34.傲慢な調香師の誤算

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※更新お待たせしました!
先週、家のネットが頻繁に切れてしまって執筆できず、勝手ながらお休みして申し訳ございませんでした。





 国王は八人の審査員たちの顔をぐるりと見回すと、自身の手元にある白紙の紙を掲げた。
 
「私も王妃も既に選び終えたが、公表するのは最後にしよう。我々が先に選んだ香水を知らせると、皆が遠慮して同じものを選ぶだろうからな。書けた者から紙を掲げよ」

 ついに選定する時となり、審査員たちは神妙な顔で手元の紙とにらめっこする。

 結果を予想し合う貴族たちが、ひそひそと小さな声で言葉を交わす声だけが聞こえてくる。
 
 調香師たちは硬い表情でその様子を見守っている。
 しかしアベラルドとベネデッタ、そしてアベラルドの隣に座っているセニーゼ家の当主は余裕綽々の笑みを浮かべている。

『ねえ、フレイヤ。ちゃんと息している? 顔色が悪いよ?』

 フレイヤの隣、シルヴェリオと反対側の椅子に座るオルフェンが顔を覗きこんできた。

「し、していますよ! ……だけどちょっと、息苦しいです」
『それって、やっぱり息していないんじゃない?』

 オルフェンがフレイヤの背をさすろうとして伸ばした手を、反対側から伸びてきたシルヴェリオの手が叩き落とした。

「静かにしろ。ただでさえ君はその容姿で目立つのだから、大人しくしていてくれ」

 シルヴェリオの言う通り、オルフェンの持つ人ならざる美貌が周囲の視線を集めている。
 
 美しいエルフに魅了された者、彼とフレイヤの関係性を探っている者、どうにかして彼を手に入れられないかと狙っている者――。

 彼らの悪意がフレイヤに向けられるのではとシルヴェリオは心配している。
 
 そんな状況の中、国王がコホンと空咳をした。
 貴族たちの視線が国王へと移る。
 
「我が国の優秀な調香師たちが調香した素敵な香りを前にして決めかねているようだな。しかし時間は有限だ。そろそろ決断してもらおうか」

 その言葉に、審査員たちの中には困ったように眉尻を下げ、顔を見合わせる者たちがいた。

 国王の言う通り、彼らは決めかねているのだ。
 フレイヤ・ルアルディの香水は確かに良かった。しかし建国祭に訪れる貴賓に贈る物としていいのだろうか。

 貴賓――各国の要人に贈るのであれば華やかで濃厚な香りの方が適しているのではないか。

 しかしそのような香りの香水を作った調香師がたくさんいるため、誰の香水が一番いいとは言い難い。
 今までなら豪華な香りと言えばアベラルド・カルディナーレの作った香水を選べば問題なかったが、果たして王妃の顰蹙をかっている彼の香水を選んでいいものか……。
 
 そんな悩む者を差し置いて、一人の審査員の男性が紙を掲げた。
 そこにはカルディナーレ香水工房と書かれている。
 
「やはりエイレーネ王国の国力を示すためにも豪華さのある香水を選ぶべきでしょう」
 
 悠然と言い切る彼に背中を押されたのか、二人ほど彼に倣う者が現れた。
 
「いやはや、私の香水の素晴らしさをお分かりいただけて嬉しい限りですなぁ!」

 アベラルドはやや芝居がかった所作で喜んだ。

「この国随一の香水工房が発表した新作ですので、きっと他国の貴賓はこの香水を手にして喜ばれるでしょう」
 
 セニーゼ家の当主は口元をニタニタと引き上がって付け加える。

 すると審査員の一人である外務大臣のゼナッティ伯爵が、意を決したようにペンを動かして紙に名前を書くと、その紙を掲げた。
 
 ゼナッティ伯爵は四十代の男性で、中肉中背で柔和な顔つきの、人の良さそうな印象の人物だ。
 
「私はコルティノーヴィス香水工房のフレイヤ・ルアルディ殿の香水が相応しいと思います。国花の香りを使っていることも選んだ理由の一つですが、爽やかで心地の良い、万人に好まれる香りであることも貴賓への贈り物に相応しいと思いましたのでこの香水を選びました」

 彼は他の審査員たちに向かってそう言うと、フレイヤの方に顔を向けて優しく微笑んだ。

「素晴らしい香りに出会わせてくれたことに感謝する。これからの活躍を期待しているよ」
「――っ、ありがとうございます!」

 思いがけない激励の言葉に、フレイヤは感激してその場に立って礼をとった。
 
 フレイヤが椅子に座る前にまた一人、フレイヤの名前を書いた紙を掲げる審査員が現れた。
 魔導士団長を務めるジュスタ男爵――結い上げられた美しい銀髪と鋭い光を宿した緑色の瞳が印象的な、六十代の厳格そうな雰囲気の女性だ。
 
「私もフレイヤ・ルアルディ殿の香水がいいと思います。『日々を祝うセレブラエ・イ・ジオーニ』の爽やかで品のある香りは、控えめながらも心に残る特別な香りのように思えました。きっと異国から来た客人たちを魅了するでしょう」

 淡々と話す彼女はフレイヤには目もくれなかったが、フレイヤは自分の香りを評価してもらえたことが嬉しく、内心両手を挙げて喜んだ。
 
 それから残りの審査員たちも各々の手元にある紙に調香師の名前を書いて掲げ始めた。

 アベラルドにもう一票入り、あとは他の二人の調香師にそれぞれ一票ずつ入った。

 現時点でフレイヤが二票、アベラルドが四票獲得している状態で、残りの調香師は一票かゼロ票であるためアベラルドが優勢だ。
 
 国王は王妃と視線を交わす。
 
「それでは、私と王妃の選定を発表しよう」

 国王と王妃が紙を掲げると、どちらにもフレイヤの名前が書かれていた。

「ルアルディ殿の香水は水晶花を上手く取り入れており誠に感激した。建国祭に訪れた貴賓たちにはぜひエイレーネ王国の国花の香りを持ち帰ってほしいと思い、私はルアルディ殿の香りを選んだ」
 
 国王がそう言うや否や、王妃が隣で悪戯っぽく笑う。

「私たちにとって思い出の花でもありますものね。私たちの結婚は周囲が決めたものでしたが、あなたは両腕に大量の水晶花を抱えて私に求婚しに来てくださったもの。ルアルディ殿の香水の香りのおかげであの日を思い出して、温かな気持ちになりましたわ」
「お、覚えてくれていたのか……?!」 
「ええ、真面目腐った顔で求婚してくださったあなたに惚れたのですから」
 
 国王と王妃の間に甘い空気が流れる。

 完全に二人だけの世界になりかけたその時、宰相がコホンと咳をした二人を現実に引き戻した。
 
「国王陛下、ルアルディ殿とカルディナーレ殿が同数の票を獲得しております。この二人の香りで再度投票しますか?」
「ふむ。そうするしかなさそうだな」

 国王が二度目の投票をすると宣言しようとしたその時、高位貴族たちのいる長机の上座に座っている男性が片手を挙げて、国王を呼んだ。

「――国王陛下、この隠遁者の発言をお許しいただけますでしょうか?」

 ざわりと周囲が騒めくが、一瞬で静まる。
 貴族たちは生きを殺して二人を見守った。
 
「――前イェレアス侯爵か。貴殿の発言を許す」
「ありがとうございます」

 フレイヤは驚きの声を上げそうになり、慌てて口元を手で覆う。
 前イェレアス侯爵――ロドルフォとよく似た男性は、声までもロドルフォとそっくりなのだ。
 
 チラリとシルヴェリオの顔を盗み見ると、彼もなにやら思案顔になっている。

「シルヴェリオ様、あの……前イェレアス侯爵様はどことなくロドルフォさんに似ていませんか?」
「ちょうど俺もそう思っていた。初めて会った時からどことなく威厳のある方だと思っていたが、まさか前イェレアス侯爵なのか……?」
 
 フレイヤとシルヴェリオの視線の先にいる前イェレアス侯爵は、席から立ち上がるとゆったりとした足取りで国王と王妃の前へと進む。
 
「二度目の投票は不要です。なぜならカルディナーレ香水工房は此度の競技会コンテストで不正を行っていたのです。そのような工房が作った香水を、選ぶわけにはいきません」

 会場の中がまた騒めくが、国王が片手を挙げるとみんな口を閉ざして静かになった。
 
「不正だと? その証拠はあるのか?」

 国王の問いに、前イェレアス侯爵は厳かに首を縦に振った。
 
「実は先日、数名の審査員の皆様から相談を受けたのです。外務大臣や神官長はセニーゼ商会から頼んでもいない金品を送りつけられたり、騎士団長や魔導士団長は此度の競技会コンテストでカルディナーレ香水工房の香水を選べば戦地への物資運送を融通するが、もしも選ばなかった場合は物資の配達が遅くなるかもしれないと脅されたそうです」

 そう言い、彼は上着のポケットから小さなブローチを一つ取り出した。
 ブローチの花を模した銀細工の真ん中には緑色の魔法石が嵌めこまれている。

「これは魔導士団長が当時身につけていた記録用魔道具です。相談を受けた際にお借りしましたので、実際に彼女が見聞きしたものをご覧いただきましょう」

 前イェレアス侯爵がブローチに魔力を注ぐと、ブローチから一人の壮年の男性が現れた。彼が着ているのはセニーゼ商会の制服だ。

「今度の競技会コンテストでカルディナーレ香水工房の香水を選んでいただきましたら、次の遠征の際はすぐに物資が届くよう手配させていただきますので、なにとぞご検討ください」
「それはできません。王族の主催する競技会コンテストですから参加者の実力で判断します」

 魔導士団長が断ると、セニーゼ商会の商人の表情が歪む。

「もちろん、そうしていただいて結構ですよ。ただし、そうするなら今度の遠征では出立までに物資が不足するでしょうね。あなたの大事な部下たちのためにも懸命な判断をなさってくださいね」

 彼がそう吐き捨てて踵を返したところで、ブローチから映し出される映像は途絶えた。

 国王は溜息をつくと、審査員たちに顔を向ける。
 
「外務大臣、神官長、騎士団長に魔導士団長――前イェレアス侯爵の言葉は誠か?」

 問われた者たちはそれぞれ神妙な顔で頷いた。
 すると騎士団長は椅子から立ち上がり、その場に跪いて深く頭を下げる。

「申し訳ございません……! 私は不正とわかっていながら、先ほどカルディナーレ殿に票を入れました。我々騎士団は魔物討伐の遠征があり、遠征では常に死と隣り合わせなのです。物資が一つ欠けて仲間が命を落とす事だってあります。前イェレアス侯爵に相談しておきながら、もしもこのままカルディナーレ香水工房とセニーゼ商会の悪事が裁かれなかったらと思うと、怖くて票を入れてしまいました。王国の剣としてあるまじき失態を犯してしましました。いかなる処分もお受けいたします」
「貴殿の処罰は追って判断する。今は不正を先導した者を裁くのが先だ」
 
 国王は騎士たちに指示してアベラルドとベネデッタとセニーゼ家の当主を捕らえた。
 三人はまさか自分たちが拘束されるとは思ってもみなかったようで、驚愕に目を見開いている。

 賄賂や脅しは貴族の世界ではそう珍しいことではない。
 だから自分たちがしたところで誰にも責められないと本気で思っていたのだ。

「こ、国王陛下! なにか行き違いがあったのでしょう。詳しく調査していただけませんか?」

 アベラルドがそう言うと、貴族の席からヴェーラの笑い声が聞こえてきた。

「詳細に調べてほしいとは、面白いことを仰る。それではコルティノーヴィス伯爵家はセニーゼ家がもう一つ別の不正を行っていた証拠を献上しましょう。セニーゼ家に雇われてコルティノーヴィス香水工房から香りのレシピを盗もうとした泥棒を数人捕まえてうちの地下牢に入れていますので、いつでもこちらにお連れできますよ」
「――っ!」

 ヴェーラの言葉に、アベラルドは驚いてセニーゼ家の当主を見る。
 レシピを盗む事については知らされていなかったらしい。
 
 国王は捕らえられた三人を見おろすと、深く溜息をついた。
 
「カルディナーレ香水工房はこれをもって失格とする。王族主催の競技会コンテストで不正を行った罪は重い。よってカルディナーレ香水工房とセニーゼ商会から本日付けで営業する権利を剥奪する。セニーゼ家からは財産を没収。首謀者のお前たち三人は国外追放だ。他にこの不正に関わった者については騎士団の指揮のもと調査し、それぞれ適切な処分を下さす」
「ま、待ってください! カルディナーレ香水工房は、エイレーネ王国を代表する由緒ある工房です。私の父が心血を注いで大きくした、大切な工房なのです。どうか再考を――」

 アベラルドが声を張り上げて懇願するが、国王は冷たく一瞥するだけだった。

「貴殿の父君は確かに素晴らしい者だった。我が国の香水の発展のために尽力し、だから私の父は爵位を与えた。――しかし貴殿はどうだ? 親から受け継いだから工房長になり、その権力の上で胡坐をかいていたではないか」

 国王はまた深く溜息をつくと、言葉を続ける。

「もととり貴殿は材料を調達できていないため失格になる予定だった。それを憂いたルアルディ殿が我が息子のネストレを目覚めさせた恩賞を行使してこの競技会コンテストの開催日を延期するよう願ったから命拾いしたのだぞ。それなのにこのような不正を働くとは、なんと愚かな……」
「ル、ルアルディが……そんな、まさか……!」

 アベラルドは地面に顔を押し付けられた状態でフレイヤを見る。

 フレイヤは怯まず凛とした眼差しを返した。

「私はあなたにいわれのない理由でクビにされて、もう調香師になれないかもしれないという絶望を味わいましたその苦しさを知っているからこそ、他人に同じ苦しみを味わわせたくありませんでした。このまま見て見ぬふりをしていたら、あなたと同じ罪を背負うことになると思ったので、第二王子殿下に申し出ました。もしもあの時見て見ぬふりをしたら、調香している時に迷いが生まれてしまいそうな気がしましたから」
「そんな……俺は、ルアルディごときに助けられていたのか……?」

 プライドの高いアベラルドは、弱者と思っていた人間に助けられたことに屈辱を感じ、顔を顰めた。

「くそっ! お前なんて雇わなければよかった! お前が全ての元凶だ!」

 喚くアベラルドの声が会場に反響する。
 
 貴族たちが鼻白む中、前イェレアス侯爵は目尻を吊り上げると、手に持っている杖で床を勢よく突いた。
 
「黙らんか! お前は自分自身で自分の首を絞めたのだ。なにもかもルアルディ殿に擦り付けて、己の愚かさと傲慢さを誤魔化すな!」
 
 彼の叱責の声にアベラルドはびくりと体を揺らし、口を閉じた。

 そうして不正を行ったカルディナーレ香水工房の面々は、騎士たちに引きずられて会場を後にしたのだった。
 
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