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20.やがて解けてゆく

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「クラッセンさん、ごめんなさい。私、あなたの気持ちを考慮できておりませんでした」
「そんなことありません! ブルームさんがお話してくださったからこそ、私はお母さんの気持ちを知ることができました」

 クラッセンさんは目が赤くなってしまっていた。その姿を見ると、チクチクと胸が痛くなる。
 すっと、クラッセンさんの手が伸びてきて私の手を包む。華奢で温かい手。彼女はぎゅっと私の手を握りしめて、目を閉じた。

「ブラントミュラー伯爵と一緒にお母様に聞いてくださったのですよね。おかげでお母さんともう一度お話する決心がついたんです」

 ブラントミュラー卿はクラッセンさんが部屋を出た後、彼女にいろいろと話してくださったようだ。
 私たちがオレンジ色の屋根のパン屋へ聞き込みに行ったこと、お母様に会いに行ったこと、そしてお母様から聞いたお話をクラッセンさんに話すべきか悩んでいたこと。 
 そして、お母様とお会いして直接その気持ちを聞いて欲しいと提案されたのだという。

 クラッセンさんはブティックの針子になってから一度もお母様とお会いできてないらしい。まだまだできそこないの自分が顔を合わせてはいけないと思っていたそうだ。しかし、ブラントミュラー卿のお話で会いに行くことを決心された。
 彼女は私の手を離すと、深々と頭を下げた。

「飛び出して申し訳ございませんでした。礼儀作法を教えていただく日にはしたないところをお見せしてしまって……」
「気になさらないで。そんなことより、今すぐ行くべき場所があるんではなくて?」

 ヴァルター公爵夫人はそう言うと、私たちに片目を瞑って見せた。

 それから私たちは服を着替えてオレンジ色の屋根のパン屋に行き、女将さんにまた協力していただいた。
 正直、クラッセンさんのお母様に今回も来ていただくのは難しいと思っていた。前回同様に急の訪問なのだ。メイドが自由にお休みを頂けるとは考え難い。
 しかし、門番に伝えてもらうと彼女は来てくれた。一度はメイド長に反対されながらも説き伏せてパン屋まで来てくださったのだ。

 女将さんの案内で2階の部屋に通していただき、これまでのことを全てクラッセンさんにお話しいただいた。
 お話を聞き終えてもまだ、クラッセンさんはお母様が針子の仕事を辞めたことに負い目を感じていた。お母様の方は気にしないよう言ってくださるのだが、好きなことをお仕事にしているからこそ自責の念が募っているようだ。

(どうすれば、その気持ちを取り除くことができるのかしら?)

 思索を巡らしていると、ブラントミュラー卿がある提案をしてくださった。
 彼のツテを頼ってお母様の針子のお仕事を探してくださるという。しかも、それが見つかるまでの間は別の貴族家のメイドの仕事がないか探してくださると。

 彼が貴族ということをしらない女将さんたちはその提案を聞いてびっくりしていた。
 どうやらブラントミュラー卿は、クラッセンさんのお母様がゲイラー伯爵邸で働いていることが気がかりで何か手立てはないか考えていたようだ。

「ちょっとぉ、前も思っていたけど、アンタ本当に王子様みたいにイイ男ね!」

 女将さんがブラントミュラー卿の背中を勢いよく叩く。ブラントミュラー卿は全くこたえていないが、私は内心ヒヤヒヤとしてその様子を見守った。

(あわわわわわ。女将さん、王子様とまではいかないのですがそのお方は貴族なんです。バシバシ叩かないでください)

 心優しく紳士的なブラントミュラー卿は、ただ黙って叩かれ続けているのだった。

「フローラはとってもいい子よ、どうかしら?」
「フローラ様にも選ぶ権利はありますので……」

 ぐいぐいとクラッセンさんを売り込む女将さんに対して、ブラントミュラー卿はそう言葉を濁してやり過ごした。


 ◇


 夜の帳が降りて、半月と煌月が並ぶ。明かりが灯っている家々を横目に、私はブラントミュラー卿と並んで歩く。
 クラッセンさんとお母様を送った後、私も送り届けてくださることになった。
 
「ブラントミュラー卿、今日はご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」

 彼が動いてくれなければ、私はクラッセンさんを傷つけたままだっただろう。それに、クラッセンさんとお母様とのわだかまりをなくすこともできなかった。

「自分はブルーム様の補佐をしたまでです」
「補佐だなんて。私ではクラッセンさんを傷つけたままでした」
「……」

 彼女の表情が忘れられない。一瞬の判断が、傷つけてしまった。こんなことは、二度としてはいけない。

 私たちは黙って歩いた。お互いに会話が見つからなかったのと、決まりの悪さで私は話しかけられなかった。
 足音や布ずれの音が大きく聞こえてくる。
 視線を落として流れゆく地面を眺めていると、不意にブラントミュラー卿が口火を切った。 

「私も、言葉で殿下を傷つたことがあります。ただ、私の父と弟が亡くなったことでご自分を責めないで欲しい一心でしたが、その言葉がかえって傷を深めてしまいました」

 前ブラントミュラー伯爵。
 ヴァルター公爵夫人によると、彼は第2騎士団に所属しており、先の戦争で敵襲を受けてお亡くなりになった。
 ブラントミュラー卿の弟様もまた、同じ場所で命を落としたそうだ。

 その戦争には殿下やブラントミュラー卿も出ていた。最初から最後まで、休むことなく殿下の背をお守りしていたのだという。

 総司令官として作戦を仕切っていた殿下。
 ご自分の判断のもと進められた戦いの中で頼りにしている臣下の家族が失われた時の気持ちを、私は想像することもかなわない。しかし、ブラントミュラー卿が伝えようとしてくださっていることはわかった。
 
「ですので、ブルーム様がクラッセン様を想って口にされたことは存じております」

 煌月の月に照らされたブラントミュラー卿の横顔を見る。表情から彼の気持ちを読むのは相変わらず難しいが、彼の言葉はじんわりと心にしみた。

「今日はブラントミュラー卿に助けられてばかりですね」
結びネクトーラの魔法使い様からそう言っていただけると光栄です」

 微かに、目元が綻んでいる。

「我らティメアウスの国民はあなたに救われているのですよ」
「大袈裟です。まだ何もしていないのに」
「いいえ、」

 彼は何か言おうとして口を噤んだ。思わず首を傾げてどうしたのか訊いてみたが、答えてくれなかった。それどころか急に早足になる。家に着くなり、早く中に入るよう促された。


「それでは、今宵もよい夢を」


 そう言うと彼は暗闇に視線を走らせ、その中へと入っていった。一瞬見えた彼の瞳は、相手を射るような鋭い光を宿していた。

 その目は、以前彼に見せてもらったブラントミュラー家の紋章に描かれた黒炎獣ニグフレウムスを彷彿とさせ、一抹の不安が胸を過った。


 彼は今から、殿下より命のあったの仕事に取りかかるのではないかと。
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