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幕間1 回想録 姫ちゃんが渡辺純一を好きになるに至る長い経緯―――姫紀side
第10話「時は来たりて 中編 委ねたもの」
しおりを挟む彼の反応が怖かった。
これは奇遇でもなんでもない。もしそれらのことがバレて警戒心を持たれてしまうと全て水の泡と化す。
んっ?といったような彼の表情からは何も読み取れない。
「あっ、吉沢先生。こんなところで本当に奇遇ですね。ひょっとしてお一人で?」
ひとり!?
ひとり?、ひとり、お一人……これはしくじったのかもしれない。
もし、このような場所へ一人で来るのは極めて非常識であって、何かしらの疑いを持たれても仕方がない状況だったとしたら……
私は頭のなかが整理されないまま、とにかく何か言わなくてはと焦る。
「悪い?一人で飲みたい時もあるの……よ……、ブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツ」
開き直って返答したものの、流石に無理があるかもと不安になり、言葉尻は窄みながら言い訳染みたものになってしまった。
「いえいえ、俺も一人ですから」
彼がサラッとそう答える。
え?
って貴方も一人なんじゃないですか!?焦った私が馬鹿だった。
でも、そのおかげで自分の中で何かが吹っ切れたような気がした。
その後は直樹から調教を受けた新しい私に徹して、とにかくごり押しで攻める。
たしか、仕事終わりのサラリーマンは『取り敢えずビール』で良かったはず。
彼に多少戸惑う感じもあったけれど、自分のペースに持ち込むことが肝要で決して相手のペースに合わせてはいけない。
そうだ話題!話題、話題。20代OLの話題といえば、確か職場の愚痴!
そう思って口を開いて捲し立ててみたものの、駄目だ教頭くらいしか出てこない。物理のババアとも言ってしまったけれど、在校している物理教諭に至っては実のところ穏やかな初老の方であって、女性ですらなかった。
それなのに焦りつつも無我夢中で喋っていたそんな私に、渡辺さんは……
「それは大変ですね」
その時の返答が、まるで今まで吉沢で生かされたきたことへの苦悩や辛さに対する理解と慈愛の言葉に聞こえた。
それが錯覚だということは言われるまでもなく解っているが、頭ではなく私の体が無意識に『彼を信じてみたい』と告げているのだ。
その後も直樹直伝のちょっとエッチな話題や何気ない会話もきちんと聞いてくれて、嫌な顔一つせず丁寧に答えを返してくれる。
人と話すのがこんなに楽しいと感じたことは初めてだった。
「あっ、渡辺さんグラスが空だわ!もちろんお代わりするわよねっ」
「あー、ビール以外で何か良さげなものがありましたら……」
「ならアツカンⅠ号にしなさい。私はさっきⅡ号を飲んだのだけれど、中々の味よっ!あっ、ひょっとしたらⅢ号もあるかもしれないわ!」
「……え~と、吉沢先生。1合とか2合とかってお酒の分量の名前だってわかってます?なので味は一緒で変わらないと―――痛い、痛いイタイッ」
勘違いしてたことに気づいた私が急に恥ずかしくなって照れ隠しに彼の腕を抓ってしまったのだけれど、するとこの人は店主と思われる店の方を呼びつけて在りもしないであろう注文を取ろうとする。
「この方に、アツカンⅦ号改良版コードネーム”サンダーボルトMAX”バージョン2を―――――あ?……無いなら今から速攻で開発して持ってこんかい!吉沢先生のご所望であらせられるぞっ!」
暫くして持ってきた日本酒はほんのり梅の味がして堪らなく美味しかった。
それと、合間合間にその店の方がスマートフォンで私たちの写真を撮っているみたいだったので、何かの記念撮影サービスかと思いピースサインとかしてみたりしたのだけれど、どうも違ったようだ。
「アレは無視していいです。後で強制的に消させますんで」
初めての居酒屋でルールもマナーも常識すらもわからない私に、呆れもせずに付き合ってくれて、今までの人生で一番と思えるような楽しい時間を与えてくれた彼。
そんなひとときだったからこそ、打算や目算によらず私は酔い潰れた。
予定無くして私はこの人に全てを委ねてしまった。
この日、私の記憶はそこで途切れた。
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