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幕間1 回想録 姫ちゃんが渡辺純一を好きになるに至る長い経緯―――姫紀side
第9話「時は来たりて 前編 姫紀の正念場」
しおりを挟むそれは余りにも唐突だった。
学校は夏休みに入っており、吉沢本家の仕事もまずまず様子見の最中ということもあって、私は久々に本家の自室で夜のゆったりとした時間を過ごしていた。
スマホに入った直樹からのメッセージ。
『会社帰りの途中なんだけど、ナベさん今から一人で呑みに行くんだってさ。場所は駅前2丁目でラデンとかいうバーだか居酒屋だかのなんか中途半端な店らしいよ。これってチャンスじゃね?』
”~これってチャンスじゃね?”という最後の一文。
直樹の言わんとしていることは解っているつもり。
恐らく偶然を装い、ご一緒しろということで間違いないだろう。
心の準備もなにも万全ではない今の状態に冷や汗と身体の硬直が私を躊躇させるが、ここで迷うのは停滞以外の何物でもない。
震える指先でスマホを操作し直樹へ返信を送る。
『渡辺さんとまだ一緒にいるのだったら、出来る限り足止めをして欲しい。私が先に店にいた方が少しでも気が楽かもしれないから』
私は大急ぎで着替えをする。
身に纏うは、この日の為に生まれて初めて自分で購入した大型チェーン店のディスカウントな洋服。
そして、自室で休んでいる吉沢お抱えの運転手を叩き起こして車を手配させようとするが、全てが順調に進むわけもない。
「お嬢様、なんて格好をされているのですか!!いけません、そのような姿で―――」
「すみませんっ、本当に時間がないのです!理由を話す時間すら惜しいのです!」
滅多なことでは取り乱さない私の慌て様をみて、運転手も渋々追及せずに車のキーを手にしてくれた。
「理由は後日必ず報告していただきとう存じます」
つまるところ、家を継いだといえど私の手にしている権力とはそのような程度。
頭を下げないと運転手ひとり黙らすことが叶わなかった。
乗車後は急いでいることを察してか心持ちスピードを上げてはくれたが、駅前という目的地を伝えるとまたブツブツと文句が止まない。私も出入りしたことすらない、居酒屋だなんて本当のことを言ってしまったらきっと屋敷に引き返されるだろう。
こんなことなら今夜はマンションにいれば良かった。
取り敢えず今から自分が行こうとしている場所もその目的も後で話すとの一点張りで乗り切り、駅前近くの路上で車から降ろしてもらう。
私が降りた後も運転手が車を動かさないところを見て、自分の動向を気にしているのだろうと勘取った私は、すぐに路地裏に入って彼の視界から抜け出した。
そして遠回りして2丁目に入り、並ぶビルの一つにラデンという看板を見つける。
居酒屋での作法とか何も知らないので恐る恐る店内に入った私だったが、ぐるりと客を見渡して渡辺さんの姿が見えなかったことにまずは胸を撫で下ろす。
直樹がちゃんと足止めしてくれたみたい。
店員にお一人様ですか?と、尋ねられたので私がコクリと頷くと今度はお好きな席へどうぞと言われた。
席を自分で選んで良いのか。ならば彼がいつ来店しても察知できる場所が良い。
私はカウンターの一番奥に座った。
夏場ということもあって店内の強いエアコンが、極度の緊張による発汗を冷やして私を凍えさせている。
「ご注文は何に致しましょうか?」
私は酔って緊張をほぐしておきたかった。そして体を温めたかった。
「アルコールの強い飲み物はありますでしょうか?できましたら、温かいものですと嬉しいのですが」
「え?……湯割りか熱燗ならございますが」
ユワリ、アツカン、どちらも聞いたことのない銘柄だ。
私には選びようがなかったので、お薦めのものをいただきたいと言ったのだが、何故か店員は困惑の素振りを見せていた。
何か色々言っていたけれど、結局『アツカンⅡ号』というものを持ってきた。
これは見たことがある。銚子とお猪口……きっと日本酒というものに違いない。
小さな器にお酒を注いで少し口付ける。
少し鼻に抜けるクセのある感じはあったのだが、不思議にも体が心から温まるような気がした。
ふたくち、みくち、と口に含めば今度は心なしか頭からふわりと酔いが周りそうな感覚だった。
ロックアイスのブランデーでは決して味わうことのできない不思議な感じ。
私は初めてのアツカンⅡ号とやらに胸を躍らせていたのだが、四口目を口に含む前に再び私の体は硬直してしまう。
彼が来た。
少しくたびれたスーツに中途半端に解けたネクタイ。
入り口から真正面のところにいる私のところへゆっくりと近づいてくる。
鼓動は高鳴り心臓が破裂しそうだった。
しかし、距離にして1~2メートルという位置までこちらに接近しながらも、彼は急に横を向いて遠ざかろうとしていた。
私に気づいていない。
そちらに行っては駄目。
こちらに来て。
願いも虚しく、今度は一歩また一歩と遠ざかっていく彼の背中を見て私は意を決した。
大丈夫。
このような日の為にずっと練習してきたのだから。
大丈夫。
お姉ちゃん……私に少しだけ勇気を下さい。
立ち上がった私は何かにスッと押されるように、彼の背中に向かって一歩踏み出していた。
「あら、渡辺さん。奇遇じゃないですか?」
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