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第3章 独身男の会社員(32歳)が長期出張を受諾するに至る長い経緯

第19話「真実の在処」

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 とうとう恭子と真っ向から正面衝突してしまったその日、俺は会社を休んでおきながら姫ちゃんのアドバイスもあって、頭を冷やす為行く当てもなく外をぶらついていた。

 昼になると少しは腹に入れておかないといけないと思い、コンビニで買ったサンドイッチを半分齧ったところでそれ以上胃が受け付けず、他にも色々入った袋ごとゴミ箱へ投げ捨てる。

 その後、繁華街をうろついてパチンコ屋に寄ってみたりもしたけれど、やる気も起きずどこか居た堪れない気分になりフィーバーの途中を隣のおじいちゃんに譲っては、また寒さに凍えながら店の外の通りを彷徨っていた。

 
 肩を落とし顔を伏せトボトボと歩いていた為か、日が暮れた頃に他人から声を掛けられてた時、それが自分に対してとは思わなかった。

「おお、丁度良い所で会った。聞かせてもらいたいことがあるから車に乗ってくれんか?」

 道路際に止められた黒塗りの外車の窓から、いかにも偉い人というような初老の男性が顔を覗かせた。

 俺は周りを見渡して、ひょっとして自分に言っているのだろうか?とその男の顔を暫くジッと見つめる。

「……あっ、もしかして以前会員制のバーでご馳走頂いた———」

「なんだ、ワシの顔も覚えていなかったのか?」

 姫ちゃんに呼びつけられた高級会員制バーで愛人と一緒にいたお偉いさんだった。

「すみません、飲みなれない高価なお酒を頂いたせいか、酔っぱらってしまっていて……ところで、お話しとは?」

「時間が無い、とにかく車へ乗ってくれ」

 言われるがまま、後部座席へ乗せられた俺は何が何だかわからなかった。

「貴方のことを忘れていた自分が言うのもなんですが……」

「ワシがお主の顔を覚えていたことか?」

 みなまで言わずとも俺の言いたいことは見抜かれていた。酒が入った店で、ただ一時、客同士馴れ合っただけの相手をはっきりと覚えている方がおかしいと俺は思う。

「あの吉沢の新当主にちょっかいを出せる男なぞ、今のところお主しか見たことがないからな」

 そういうことか。

 腑には落ちたものの、姫ちゃんは俺が想像していた以上に周囲から注目されている人物なのだと改めて認識させられた。

「呼び止めたのも、その吉沢に関係があることだ。詳しい話は向こうについてからにしよう」

 どこに連れていかれるのだろう?

 それが分かったのは車に乗ってから15分ほど走って後に到着したときだった。


 そこは俺のような庶民は一生の間でもまず訪れる機会はないであろう、見るからにして高級そうな料亭。

 更に店の中へ入って通されたのが、20畳ほどありそうな大きな座敷の中央に対となってポツンと置かれた内側が赤に外側が黒で塗られたお膳の席。

 それらしいドラマなどで見たものと同じだった。

「すまんな女将、急きょ一人追加だ」

「かしこまりました」

 よく考えれば当たり前のことなのだが、俺の入店は予定になかったらしくすぐさま準備されて対の片方にもう一つ膳が並べられる。

 そして落ち着く暇もない束の間に先ほどの女将と呼ばれていた人が再びやってきた。

「先方の方がお見えになられました」

 その直後、座敷へ入ってきた人物を見て俺は戸惑いを隠せなかった。

 何故なら、その人は自分の勤める会社で事実上のトップの人間であったからだ。

「ん?なぜ小僧がここにおるんじゃ。此度の話はよもやこ奴を引き抜こうという魂胆か?」

「かっ、会長……」

 俺が今の状況に混乱しているのにも関わらず、会長は女将に背広を預けながら俺をここへ連れてきた人へ視線を向けて『小僧はやらんぞ』とひと睨みする余裕ぶりだった。

「まさか。この者が会長の部下とは今の今まで知らんことでしたわ」

「いや……その、部下というか……平に近いただの末端のイチ社員です」

 会長の言い方で何か勘違いをされては敵わないと、先に自分の立場を表明しておいた。

 そして次に会長へ自分の置かれた状況を説明する。

「―――――ということでして、バーで一度だけでお会いしただけで私自身この方のことを余りよく知らないんです。ここに連れてこられたのも吉沢がどうとかで」

 俺がたじろきながらもそう説明し終えると、会長は呆れ顔になっていた。

「現場ばかりに熱中しとらんで外にも目を向けんと上には上がれんぞ。小僧の隣におるのは関久物産の社長じゃわい」

 え゛!?

 関久物産と言えばウチの会社の大取引先じゃねえか!?

「ま、そういうことだ」

 関久の社長はそう言うと、改めて『取締役社長』と書かれたおっかない名刺を俺に差し出してくる。

「あっ、えっと、……あれ?」

 俺も名刺を返さなければと、あらゆるポケットを弄るが今日に限ってはどこにも存在しなかった。

「すみません……ちょうど名刺を持ち合わせておりませんでした。後日必ず改めてご挨拶に伺います」

「期待せずに待っとる」

 
 限りない恐縮の思いに俺はこれから名刺を常に持ち歩こうと心に誓う。

 しかし、会長と関久の社長のやりとりを聞いていると会長の方が偉そうな気がする。本来なら関久物産はウチの会社の受注元であるから社長の方が立場が上のはずだが。

 きっと当人同士での個人的な関係があるのだろう。

「それにしても、小僧に吉沢との繋がりがあるとは驚きじゃわい。社長の今日の話もそれについてなのか?」

「その話は一杯やりながらせんですかな」

 既に座敷には概ね料理が運び込まれたいた。

 上座に席がひとつ。そして対面に席がふたつ。

 関久の社長が会長を呼んだこともあってか、会長が上座へと進められたので必然的に俺は対面の社長の隣に座ることになった。

 とりあえず、酒を注がねばと思ったのだが———

 あれ?どっちから注げばいいんだ?

 普通なら上座だけど……会長よりも取引先の社長に注ぐべきではなかろうか。

「会長、まずは一献」

 俺があれこれ悩んでいるうちに社長が会長へ酒を注いだので、俺は迷うことなく社長へ注ぐことが出来た。

 うん。やっぱりこういう時は様子をみるに限るな。

 そう安心していたら会長にひと睨みされてしまった。


 社長からの返杯を手をプルプルさせて若干溢しながら受けたりしているうちに、話が本題へと進む。

「実は本日の午前中から我が社の株式が吉沢の……恐らくは新体制派だと思うとるんですが、今日だけでもかなりの量を買い漁られましてな」

 新体制派?姫ちゃんも何か関わっているのだろうか。

「妙じゃな……旧体制派との闘争を控えた今、そんな金を使う意図が儂には見えん。先方からは何も言ってこんのか?」

 会長もその話に怪訝な顔をする。

「いや、それがまた変なことでしてな。会長に連絡する直前に電話がありまして『株式の過半数を取得されたくなければ、そちらの取引先の社員である渡辺純一の転勤を取りやめるように進言しろ、さもなくば公開買付けも辞さない』と言ってきまして、その相談のため慌てて会長をお呼びしてしまった次第なんですわ」

 え゛?

 姫ちゃん……絶対姫ちゃんだよ、これ。

 俺は驚愕すると共に感極まって涙ぐんでしまった。

 凄えな、『私にしかできないことをする』と言っていたが、俺と恭子のためにそこまでしてくれていたなんて……

「ちなみに、会長のところの『渡辺純一』とはどのような社員で?重役の中にはそのような名はなかった気がせんのですが」

 そりゃそうだろう。渡辺純一は一端の平社員だからな。

 会長がガン見して、俺に向かって顎をクイッとしている。

「スミマセン……渡辺純一は私です」

「ぬっ?……バーで吉沢の新当主と一緒にいるところや、会長の会社の社員とわかったところからうすうす察していたが、やはりキミが渡辺純一だったか」

「小僧、関久の株式買付の件思い当たる節がありそうじゃな。説明せんか」


 俺は何から話して良いものかと散々悩んだのだが、結局姫ちゃんのことから恭子のこと、更には直樹にことに至るまで時間をかけて洗いざらい白状させられる。

 俺の話が終わった時、二人の目が点になっていた。

「小僧、お主は吉沢の前当主の曾孫を擁しとるのか!?」

「すると、今回の件の発端、つまりキミの転勤については新体制と旧体制とのやっかみですな……」

「……じゃな」

 驚いたのはそっち恭子のことなのか?

 2人は姫ちゃんよりも恭子のことに興味を持っているようだった。

 しかし、気になるのは社長の言葉。俺の転勤が吉沢に何が関係しているというのだろうか。

 それに今回の転勤はそもそも———
 
「今回の俺の転勤は、会長直々の命令と聞いたのですが」

 俺がそう言うと、会長は両手を額に当て神妙な顔つきで話し出す。

「うむ……確かに最終的に儂が推したのは間違いない。じゃが、九州立て直しの大枠リストには既に小僧の名があったはずじゃ。あれは人事部長の平川が作ったもんじゃから……奴の親分、つまり黒幕は専務の浅野あたりじゃな」

 そう言えば、確か恭子も俺の転勤を事前にヒトミちゃんから聞いていて、彼女は俺の会社の人事担当者の話を耳にしたとかなんとか言っていたような気がする。

「会長、なぜ俺の転勤が吉沢と関わりがあるのですか?恭子も何か関係があるのですか?」

 会長が溜息をつく。

「……何もわかっておらんのか?吉沢の旧体制派が現当主を筆頭とした新体制に対抗するためには、お主が擁している小娘が必要だからに決まっておるじゃろう。要するに小僧からその小娘を引き離したいのじゃ」

 そういうことか……

 俺はここにきてようやく事の真相を知った気がした。

「しかし、儂も表立っては吉沢旧体制派が持つ財力には対抗できん。それに総崩れになってしまった九州の現場には小僧の力が必要じゃ」

 それじゃあ、結局恭子を九州へ連れて行くしか手がないじゃないか。

 姫ちゃんも恭子を説得しなかったのは、あの子と離れたくないからに違いない。

 それに、せっかく出来た親友のとっちゃんとも別れないといけないことになる。

「……恭子を九州に連れて行くしかないのでしょうか」

「それこそ相手の思う壺だ。小娘がお主の家から学園に通えるのも吉沢の手が掛かった学校だからじゃからな。九州ではなんら関係のないお主じゃ保護者としては認められんし、そこを旧体制派を通して突かれたら元の木阿弥じゃて」

「じゃあ、どうすれば良いって……言うんですかッ」

 俺は投げやりに言い放つ。

「そうじゃな……当面は彼奴らの思惑に乗るしかあるまいて。しかし、九州の現場の立ち直る見通しが立ったら儂が直々にお主を呼び戻す。先だっては転勤のままで進めるが実質は出張じゃ。少しでも早く帰って来られるよう粉骨砕身の思いでやることだ。関久の株式の買い付けを止めさせるのも決して忘れるな」

 出張。

 転勤が出張に変わった。

 ただ、それだけなのに、俺の中で希望の芽がうぶく。

「ワシも微力ながら手を貸そう。我が社の株式の過半数を持っていかれたら敵わんからな。それにこんな面白い出来事に関わったからには、首を突っ込まんと気が済まない性格なんでな」

 関久の社長が俺の震える背中を力強く叩く。

 そして会長が一言、言い放つ。

「小僧、あの時の借りを儂に返せ」


 意は決した。

 俺はスッと立ち上がって深くお辞儀をする。


「勅命、謹んでお受けいたします」 

 
 俺は必ずに九州の現場を立て直すと心の中で恭子に誓った。
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