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第3章 独身男の会社員(32歳)が長期出張を受諾するに至る長い経緯
第10話「前編、渡辺純一×神海恭子」
しおりを挟む「恭子、餅つきも大変だったのに夕食のご馳走なんて本当に無理をしなくていいんだぞ」
集まった面々も既に解散しており、後片付けも終えて今は恭子と二人。
昼に騒いだことを気遣ってか、今夜は姫ちゃんやとっちゃんも我が家にいなかった。
「いえ、下ごしらえは昨晩と今朝にほとんど終わってますから。それに、とっちゃんに作り方教えてもらったので前からケーキ作りにも挑戦したかったんですよ」
朝からチキンの香ばしい匂いがしていたのはその所為だったのか。
一応、社交辞令程度の遠慮はしておいたので『それは楽しみだな』と改めて本心を露わにする。
「はい、楽しみにしていてください」
恭子は微笑んだ。
「もう冬休みに入ったんだっけか」
俺は色々と準備をし始めた恭子の後姿に語り掛ける。
「そうですよ。終業式でいただいた通信簿をおじさんは見てくれなかったじゃないですか」
「いや……そりゃ、2学期のやつを見た時余りにも異次元過ぎてだな……」
「そういえば姫紀お姉ちゃん、今回も凄いハナマル書いたんですよ!あれきっとおじさんに見て欲しかったんだと思います」
俺が以前に高熱を出したときのアレか……
「ま、まあ、そのうち見るよ。来年あたりに、多分」
恭子は『もうっ』と言って、俺に見るつもりのないことを彼女は悟る。
「……もうすぐ、正月だな」
「そうですね、今年一年あっという間でした」
「恭子も元旦くらいは振袖とか着たいだろう」
俺がそう言うと、恭子は準備を中断して俺の元にやってきた。
俺の買ってやると恭子の要らないを今まで何度も繰り広げてきたので恭子の何を言おうとしているのかは大体予想がつく。
「それは……家にあったのが残っていましたら着てみようかな?とも思いますけど、自宅と一緒に処分されていると思いますし、わざわざ買うなんて言わないでくださいね」
ほら、釘を刺された。
「思い出の品か」
恭子は自分の胸に手を当てて俺の目をジッと見る。
「おじさん。確かに私は失ったものも多いですけど、ここに来て、おじさんの元に来させていただいて得たものの方がとても大きいんですよ」
失った者はどうしようもないけど、失った物は……
「恭子、失ってはいないよ」
恭子は瞳を閉じた。
「はい、ちゃんと私の胸にあります。今でもこれからもずっと」
「違うんだ、そうじゃない。本当に失っていないんだ」
「え?」
確かにあったはずだ。俺は記憶の掘り起こして確信すると、リビングの引き出しに常備してあるアルコールチェッカーを自分の口に当てた。
よし、昼に飲んだビールはもう残ってないな。
「恭子、食事の準備中になんだけど、今からちょっとだけ出かけないか」
恭子は少しづつだけど、ちゃんと思い出として受け入れることが出来ている。
恭子に返してやれるなら、少しでも早い方が良いに決まっている。
俺の提案に戸惑いながらも『は、はい』と答えた恭子の手と車のキーを握って家の外へでると、そこには小さな粉雪が舞っていた。
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