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第163話「致死量未満の快楽⑰」
しおりを挟む六月十二日(日)十八時十七分 埼玉県大宮市・路地裏
鞭のようにしなる腕。
男の無骨な腕からは想像もできない程にしなやかな動きで、”pepper”は見もしないままに背後を跳ぶ嵐山楓に逆手持ちのナイフを振るった。
眼前に迫る凶刃、鈍い色の刃先、塗り込められている無色透明なほのかに刺激臭漂う毒物。
それを、嵐山楓は。
空中で体を捻り、“pepper”の右側面へと移動することで回避した。
(右っ…側っ…‼)
エーラの気配を辿るまでもなく、他者の気配を嗅ぎ取り、”pepper”はすぐさま嵐山楓の移動先に体を捩る。
“pepper”の視線のその先で、嵐山楓は脚を振り上げていた。
狙う先は”pepper”の首筋。
そこを、“pepper”のナイフが阻む。
先程振り回した腕と、既に振り下ろし終えていた腕が交差し、自身の急所を、相手の狙いを的確に防御した。
その防御。
重なる刃に爪先が当たる直前。
嵐山楓の脚が、下一直線へと軌道を変えた。
攻撃のキャンセル、後、瞬間的な修正。
“pepper”の右腿を、嵐山楓の右足が蹴り下した。
(脚かよっ‼)
直後。
大きくバランスを崩した“pepper”に向かって、嵐山楓は軸足を捻った。
途端に彼の右足がまた宙に浮く。
そしてそのまま、上段右後ろ蹴り。
狙うは仕込まれたナイフの下、うなじ。
本来の彼の身体能力ならば不可能な動き。
しかし今は、それが可能。
「———っ‼」
ナイフで受ける余裕はなかった。
”pepper”は瞬時に右腕で彼の踵を受ける。
勢いそのまま、殺人鬼は路地裏内の隅の隅、角の角へと飛ばされていった。
角。
二枚の壁の合流地点にて、“pepper”は強くコンクリート壁に激突する。
(土壇場でこいつも速くなった⁉)
ガスマスクの下で口角を吊り上げる“pepper”の、斜め左上。
トンッ。
甚だしく軽い、足音が静かに響いた。
見上げる”pepper”。
その先には。
少年漫画さながらに、壁に立つ嵐山楓の姿が。
そして。
「捕らえた。」
そう呟いた直後、彼の姿がまた消えて、消えたと思えば“pepper”の背後へと回っていた。
振り向く”pepper”。
同時に、すぐさま死角へと回り込む嵐山楓。
そして“pepper”がもう一度振り向いた刹那、嵐山楓は地面を蹴り、壁を蹴り、”pepper”の周りを縦横無尽に駆け回った。
壁と壁。
繋がる二枚の巨大なコンクリート板が結ぶ空間を利用した多角的な移動。
足場を蹴る度に、嵐山楓の速度が増していく。
“pepper”の動体視力でも追えないほどに。
そこから放たれる、鋭い蹴り。
当然、“pepper”の防御は追いつかなかった。
脇腹に、爪先が刺さる。
しかし。
「っ⁉」
嵐山楓が足に感じた、決して柔らかくはない感触。
仕込まれたナイフ。
「あはっ♪」
“pepper”の笑い、そしてナイフを強く握る気配。
気取った瞬間、嵐山楓は離脱した。
瞬時に対角にある壁へと着地。
”pepper”が動く前の行動。
相手を上回った速度。
先程までの彼にはなかったモノ。
そして繋げる、高速機動。
三角錐上に繋がる点同士、そこに生まれる空間が織りなす、多角的鋭角。
四方八方から乱れる拳舞。
“pepper”は、嵐山楓の動きに完全に置いていかれた。
(こいつっ…‼ 今まであったどんな奴よりも速ぇ‼ つまんねぇ奴だと思ってたのに……なのに……)
「あっはぁっ♪ 滾るぅぅぅぅぅっ‼」
”pepper”歓喜の雄叫び。
しかし嵐山楓は怯まない。
振りかざされたナイフを、極めて冷静に爪先で蹴り上げる。
爪先での蹴り。
これは彼が持ち合わせる格闘術、サバット特有の動きだ。
危険な刃物有する傍観を相手取った路上喧嘩。
そんな特殊な発祥が生んだ動き。
対人戦闘においては比類なき強さを誇るこの格闘術に、彼は更に自身の“性癖“を絡めた。
嵐山楓固有の“性癖“。
限定型・自然現象系。
能力名『風さんのえっち!』。
今さら語るべくもない彼の能力は、自身のエーラを消費することによって自在にかつ多彩に風を発生させられるものだ。
さらに言えば、風の強弱、発生範囲は消費エーラによって調整が可能。
軽いものを飛ばす際には少ないエーラ消費量が、重いものを飛ばす際には多大なエーラ消費量が発生するというわかりやすい仕組み。
その単純かつ明快な仕掛けの“性癖“を体術に絡めることによって彼の戦闘能力は大幅に上昇した。
その一つが、移動術———。
嵐山楓は”pepper”の腕を左拳で弾き上げると、もう片方の拳を首へと放った。
“pepper”はそれを紙一重で躱すと、ナイフを振るって反撃に出る。
瞬間、嵐山楓は腰を落として刃を避け、刃が通過した直後に上へと跳んだ。
———上下左右の範囲を絞り、奥行きを最大限に引き伸ばした追い風を発生させることによって機動速度を向上させたり、風向きを操作することによって空中での無理な動きや、攻撃の軌道を途中で変更させたりと小回りの利いた動きも可能とする。
そして、二つ目———。
嵐山楓は地面に着地後、すぐさま“pepper”の背後を取る——と見せかけて前方へと回り込んだ。
“pepper”は既に彼の動きについていけていない。
最早反射的な反応のみで彼の影を追っている状態だった。
よって彼は騙された。
眼前に立つ嵐山楓の影に反応できず、背後を振り向く。
瞬間、襲い来る右足の蹴りを、殺人鬼は寸でのところで頭を下げて回避。
嵐山楓の蹴りが、コンクリートの壁を穿った。
———プロボクサーがしばしば語る、強いパンチの打ち方。それは、ヒットさせる瞬間に拳を握りこむという手法。
インパクトの瞬間に拳を握りこむことによって、瞬間的に拳内部の筋肉にかかる力の速度を上昇させる。よって、質量に速度を掛けた運動量が倍増し、緩急によって変則的な力の流れを生み、内部へと響くパンチが打てるのだという。
嵐山楓は、それをエーラと“性癖“で再現してみせた。
攻撃がヒットする瞬間に、エーラを攻撃部位に局所集中。さらに極限まで範囲を絞った追い風を発生させることで、攻撃のインパクト時に、瞬間的に威力を拡張させているのだ。
蹴りを避けた直後、“pepper”は体を回転させ、乱暴にナイフを振るった。
当然、嵐山楓はそれを躱すが、そこに一瞬、ほんの一瞬だけ隙が生じてしまった。
そこを見逃す殺人鬼ではなく、当然、体勢が整った直後に攻勢に移る。
最小の動きでナイフを構え、最速の動きでナイフを突き出す。
この瞬間においての、最良の判断であり最高の動きを”pepper”はいとも容易く実現させた。
隙を突かれた嵐山楓。
足が、止まっている。
刺さった、と“pepper”は確信した。
確かに、この攻撃は嵐山楓には避けられない。
避けられはしないが、今の嵐山楓はさっきまでとは違う。
「っ⁉」
“pepper”が刺突の動きを見せたタイミング、直後に、彼の動きが極端に遅くなった。
極端に、というのは、今までの“pepper”の動きと比較した場合の話であって、実際に肉眼で見たとしても、その違いには気付けないだろう。
それほどまでの微々たる変化。
しかしそれでも、“pepper”の動きは確実に遅くなっていた。
———そしてこれが、三つ目の向上点。
相手の動きを予測し、反射での計算をもってして、反応で“性癖“を発動する。
その時発生させるのは、追い風ではなく、むしろその逆。
向かい風。
相手の動きに合わせ、凝縮した風を攻撃の核となる部位にぶつける。
速度を鈍らせ、動きを牽制、妨害する技術。
無論、それでも相手の動きが鈍るのはほんの一瞬。
しかし、その一瞬こそが、高速機動を併せ持つ嵐山楓にとって最も重要なタイミング。
この三つの要素が合わさったものこそが、以前、内水康太を相手取った時に見せた、格闘術と“性癖“の合わせ技。
『風さんのえっち!』“疾風怒濤の散歩者”!
———嵐山楓の爪先が、“pepper”の顎を蹴り抜いた。
下田従士到着まで、残り九十一秒———
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