157 / 186
第157話「致死量未満の快楽⑪」
しおりを挟む六月十二日(日)十八時十四分 埼玉県大宮市・路地裏
(生まれた時からずっとそうだった。)
彩芽祐樹は回想する。
(出来ないことがあった試しがなかった。初めて触る道具はさながら使い古された魂の如く良く手に馴染んだし、大学教授ですら頭を抱える難問が立ち塞がったところで、そんなものはあくびの出る消化試合だった。)
徐にナイフをかざし、構える二人の少年に向かい合う。
(生まれた時からずっとそうだった。窃盗を何度働こうが見つかった憶えがなかった。だからあの時も、何も出来ない人間を演じながら自分の出来ないを探し求めて———出会った。実際、ソレを小動物に注入するなんて低俗な真似を——今でこそフルボッキものだが——寒気すら覚える下卑た真似をしたのは、それこそ何かを予感したからなのかもしれなかった。どんな脳も才能も容易く等しくとろかし溶かす悪魔の魅力。悪夢の魅力。退屈すらも吹き飛ばす人生の香辛料。その証拠に、俺は自由に、自在に、精製できるようになったんだから。)
回想を終了し、本格的に腰を落とす”pepper”。
そこに立ち向かうは、神室秀青。
「あああああああああっ‼」
叫び散らし、喚き散らして走る神室秀青。
激昂している。
激昂しているが、彼は先ほどよりも澄んで冷静で、それは彼の後方に構える嵐山楓も同じだった。
”pepper”が投擲した二本のナイフ。
大小異なるそのナイフ、毒物が塗り込められたナイフを、神室秀青は躱さずに向かっていく。
当然、ナイフは真っ直ぐに彼に向かって飛んでいくが、しかしそれは当たらなかった。
彼の眼前で、二本の刃は二本とも、軌道を逸れた。
嵐山楓の『風さんのえっち!』だ。
嵐山楓はここで本来の自身の役割を思い出した。
二人以上で一人の敵と交戦する時は、援護に徹すること。
実際それが嵐山楓の能力的にも“性癖“的にも、最も噛み合っていた。
そして、それを神室秀青は理解していた。
彼の戦い方を知っているから——ではない。
神室秀青は嵐山楓の戦い方を知らない。
二人以上の連携で戦闘を行う上では、これほど不利なことはない。
それでも、神室秀青は理解していた。
先程の、一瞬の目配せ。
それで全てを理解した。
これまでも、神室秀青と嵐山楓は噛み合わないながらも噛み合わないなりに、視線だけで会話をしていることがしばしばあった。
喧嘩するほど何とやら。
正反対こそ紙一重。
だからこそ神室秀青は臆することなく全速前進。
防御を嵐山楓に任せて“pepper”目掛けて突進していった。
「くっく…」
突っ込んでくる少年。
その目を。
その瞳を見つめて、”pepper”は声を漏らす。
「はっはっはっはっはぁ‼ そうだよその目だぁ‼ 一生懸命に‼ 一所懸命に‼ 俺だけに敵意を向けろぉ‼」
両手をズボンのポケットに突っ込み、“pepper”は歓喜に打ち震える。
「それを‼ 俺がぁぁぁっ‼」
眼前に神室秀青。
振り上げられる右拳。
「蹂躙してやっからよ♪」
そのタイミング。位置。
“pepper”は瞬時に右ポケットから刃物を取り出し、神室秀青に向かって振るう。
散々見てきたいつもの横薙ぎ。
神室秀青の体は、左手は、慣れた動作でそれをいなしにかかる。
が、しかし。
「っ⁉」
瞬間的に、反射的に神室秀青は足を止め、上体を下方へと落として振られたナイフを避ける。
それは、正解だった。
それが、正解だった。
神室秀青が寸前で気付いたもの、見たものは。
ナイフの逆手持ち。
神室秀青はこれまで、ナイフの持ち手、その手首を弾いていなし、いなして躱してきた。
”pepper”は何度もそれを見てきた。
見てきたからこその対策。
ナイフの持ち手、その手首に刃を置いたのだ。
直後に、神室秀青には大きな隙ができる。
それを”pepper”は当然わかっていたし、嵐山楓もわかっていた。
故に、彼は神室秀青の背後に構えていた。
故に、“pepper”が左手でナイフを取り出す前に、行動できた。
神室秀青が体勢を落とし、”pepper”がナイフを薙いだ直後にできる、一瞬の隙。小さな空間。小さな穴。
そこを目掛けて。
「———ふっ‼」
息を吐き、体の回転と連動させた、全体重を乗せた上段右回し蹴り。
エーラは込もっていなかったが、彼の狙いはそもそもが相手にダメージを与えることではなく。
「っ⁉」
即座にナイフを取り出すのを諦め、左腕で彼の蹴りを受けた“pepper”は、大きく後方へと飛ばされる。
殺人鬼は驚く。
嵐山楓と”pepper”、二人の間にそれ程の体格差はないように見え、体重的には僅かに”pepper”の方が上回っているはず。
それでも、大してエーラの込もっていない蹴りに、エーラで局所防御を計った“pepper”が押し負け、あまつさえ吹っ飛ばされた。
これこそが嵐山楓の技能であり技巧であり、狙いそのものだった。
至近距離での攻防は”pepper”に分がありすぎる。
だからこそ。
距離を飛ばし、隙を作って神室秀青をそこへと走らせる。
その狙いさえも神室秀青は理解——していたわけではなかったが、それでも彼は走った。
彼が走ることを、嵐山楓が理解していた。
予想外の事態に動きが遅れ、瞬時にナイフを順手持ち。
そこに、神室秀青が飛びつく。
文字通り、飛びついた。
“pepper”の両手首を両手で掴み、押し上げる。
二人の位置関係、体勢的に、今度は神室秀青の力が勝った。
窮鼠、猫を噛む。
その状況下。
獲物の予想以上の反撃に、しかし”pepper”に込み上がってくるのは、嘲笑だった。
「うっひゃぁっ‼」
喜び、悦び、右足首を僅かに揺する”pepper”。
靴先から飛び出たのは、毒の塗られた仕込みナイフ。
神室秀青の顎先を狙って、殺人鬼は右足を振り上げた。
瞬間、後方へと引きずられる神室秀青。
「っ⁉」
神室秀青の首根っこを掴み、嵐山楓が体を捻っていた。
そして、僅かな捻りから打ち出される、エーラを込めた右横蹴り。
ただの横蹴りではない。
軸足で返し、爪先で狙う蹴り。
“シャッセ”と呼ばれる、嵐山楓が有する格闘技の技だ。
その靴先が狙うは、殺人鬼の首。
遥か空へと上がった両手と片足。
防御は間に合わない。
防御は間に合わなかったが——“pepper”。は咄嗟に顎を引いた。
「‼ ちっ」
嵐山楓の舌打ち、後に飛ぶ“pepper”の体。
彼の蹴りは、”pepper”の顔面に当たった、否、当たってしまった。
(ガスマスク+エーラ。硬ぇしやっぱ通んねぇか。)
今度は”pepper”、体勢を大きく崩さず、地に着く。
(前衛の後ろにひっつく中衛。ナイフじゃ二枚抜きは不可能。存外、厄介だな。……しかしどうした。ここに来て二人の息が合いだした。有効な連携———)
「いいねぇ‼ そういうの最高だぁ‼」
さながら悪夢そのままに、なおも“pepper”は笑い叫ぶ。
(認めたくねぇ……)
地に片手を着いて、神室秀青は一人、心の中で呟いた。
下田従士到着まで、残り二百六十六秒———
0
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる