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第157話「致死量未満の快楽⑪」

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  六月十二日(日)十八時十四分 埼玉県大宮市・路地裏

 (生まれた時からずっとそうだった。)
 彩芽祐樹は回想する。
 (出来ないことがあった試しがなかった。初めて触る道具はさながら使い古された魂の如く良く手に馴染んだし、大学教授ですら頭を抱える難問が立ち塞がったところで、そんなものはあくびの出る消化試合だった。)
 徐にナイフをかざし、構える二人の少年に向かい合う。
 (生まれた時からずっとそうだった。窃盗を何度働こうが見つかった憶えがなかった。だからあの時・・・も、何も出来ない人間を演じながら自分の出来ないを探し求めて———出会った・・・・。実際、ソレ・・を小動物に注入するなんて低俗な真似を——今でこそフルボッキものだが——寒気すら覚える下卑た真似をしたのは、それこそ何かを予感したからなのかもしれなかった。どんな脳も才能も容易く等しくとろかし溶かす悪魔の魅力。悪夢の魅力。退屈すらも吹き飛ばす人生の香辛料ペッパー。その証拠に、俺は自由に、自在に、精製できるようになったんだから。)
 回想を終了し、本格的に腰を落とす”pepper”。
 そこに立ち向かうは、神室秀青。
「あああああああああっ‼」
 叫び散らし、喚き散らして走る神室秀青。
 激昂している。
 激昂しているが、彼は先ほどよりも澄んで冷静で、それは彼の後方に構える嵐山楓も同じだった。
 ”pepper”が投擲した二本のナイフ。
 大小異なるそのナイフ、毒物が塗り込められたナイフを、神室秀青は躱さずに向かっていく。
 当然、ナイフは真っ直ぐに彼に向かって飛んでいくが、しかしそれは当たらなかった。
 彼の眼前で、二本の刃は二本とも、軌道を逸れた。
 嵐山楓の『風さんのえっち!ウィンドウズ』だ。
 嵐山楓はここで本来の自身の役割ポジションを思い出した。
 二人以上で一人の敵と交戦する時は、援護フォローに徹すること。
 実際それが嵐山楓の能力的にも“性癖のうりょく“的にも、最も噛み合っていた。
 そして、それを神室秀青は理解していた。
 彼の戦い方を知っているから——ではない。
 神室秀青は嵐山楓の戦い方を知らない。
 二人以上の連携で戦闘を行う上では、これほど不利なことはない。
 それでも、神室秀青は理解していた。
 先程の、一瞬の目配せ。
 それで全てを理解した。
 これまでも、神室秀青と嵐山楓は噛み合わないながらも噛み合わないなりに、視線だけで会話をしていることがしばしばあった。
 喧嘩するほど何とやら。
 正反対こそ紙一重。
 だからこそ神室秀青は臆することなく全速前進。
 防御を嵐山楓に任せて“pepper”目掛けて突進していった。
「くっく…」
 突っ込んでくる少年。
 その目を。
 その瞳を見つめて、”pepper”は声を漏らす。
「はっはっはっはっはぁ‼ そうだよその目だぁ‼ 一生懸命に‼ 一所懸命に‼ 俺だけに敵意を向けろぉ‼」
 両手をズボンのポケットに突っ込み、“pepper”は歓喜に打ち震える。
「それを‼ 俺がぁぁぁっ‼」
 眼前に神室秀青。
 振り上げられる右拳。
「蹂躙してやっからよ♪」
 そのタイミング。位置。
 “pepper”は瞬時に右ポケットから刃物を取り出し、神室秀青に向かって振るう。
 散々見てきたいつもの横薙ぎ。
 神室秀青の体は、左手は、慣れた動作でそれをいなしにかかる。
 が、しかし。
「っ⁉」
 瞬間的に、反射的に神室秀青は足を止め、上体を下方へと落として振られたナイフを避ける。
 それは、正解だった。
 それが、正解だった。
 神室秀青が寸前で気付いたもの、見たものは。
 ナイフの逆手持ち。
 神室秀青はこれまで、ナイフの持ち手、その手首を弾いていなし、いなして躱してきた。
 ”pepper”は何度もそれを見てきた。
 見てきたからこその対策。
 ナイフの持ち手、その手首に刃を置いたのだ。
 直後に、神室秀青には大きな隙ができる。
 それを”pepper”は当然わかっていたし、嵐山楓もわかっていた・・・・・・・・・・
 故に、彼は神室秀青の背後に構えていた。
 故に、“pepper”が左手でナイフを取り出す前に、行動できた。
 神室秀青が体勢を落とし、”pepper”がナイフを薙いだ直後にできる、一瞬の隙。小さな空間。小さな穴。
 そこを目掛けて。
「———ふっ‼」
 息を吐き、体の回転と連動させた、全体重を乗せた上段右回し蹴り。
 エーラは込もっていなかったが、彼の狙いはそもそもが相手にダメージを与えることではなく。
「っ⁉」
 即座にナイフを取り出すのを諦め、左腕で彼の蹴りを受けた“pepper”は、大きく後方へと飛ばされる。
 殺人鬼は驚く。
 嵐山楓と”pepper”、二人の間にそれ程の体格差はないように見え、体重的には僅かに”pepper”の方が上回っているはず。
 それでも、大してエーラの込もっていない蹴りに、エーラで局所防御を計った“pepper”が押し負け、あまつさえ吹っ飛ばされた。
 これこそが嵐山楓の技能であり技巧であり、狙いそのものだった。
 至近距離での攻防は”pepper”に分がありすぎる。
 だからこそ。
 距離を飛ばし、隙を作って神室秀青をそこへと走らせる。
 その狙いさえも神室秀青は理解——していたわけではなかったが、それでも彼は走った。
 彼が走ることを、嵐山楓が理解していた。
 予想外の事態に動きが遅れ、瞬時にナイフを順手持ち。
 そこに、神室秀青が飛びつく。
 文字通り、飛びついた。
 “pepper”の両手首を両手で掴み、押し上げる。
 二人の位置関係、体勢的に、今度は神室秀青の力が勝った。
 窮鼠、猫を噛む。
 その状況下。
 獲物の予想以上の反撃に、しかし”pepper”に込み上がってくるのは、嘲笑だった。
「うっひゃぁっ‼」
 喜び、悦び、右足首を僅かに揺する”pepper”。
 靴先から飛び出たのは、毒の塗られた仕込みナイフ。
 神室秀青の顎先を狙って、殺人鬼は右足を振り上げた。
 瞬間、後方へと引きずられる神室秀青。
「っ⁉」
 神室秀青の首根っこを掴み、嵐山楓が体を捻っていた。
 そして、僅かな捻りから打ち出される、エーラを込めた・・・・・・・右横蹴り。
 ただの横蹴りではない。
 軸足で返し、爪先で狙う蹴り。
 “シャッセ”と呼ばれる、嵐山楓が有する格闘技の技だ。
 その靴先が狙うは、殺人鬼の首。
 遥か空へと上がった両手と片足。
 防御は間に合わない。
 防御は間に合わなかったが——“pepper”。は咄嗟に顎を引いた。
「‼ ちっ」
 嵐山楓の舌打ち、後に飛ぶ“pepper”の体。
 彼の蹴りは、”pepper”の顔面に当たった、否、当たってしまった。
 (ガスマスク+エーラ。硬ぇしやっぱ通んねぇか。)
 今度は”pepper”、体勢を大きく崩さず、地に着く。
 (前衛ガキの後ろにひっつく中衛ガキ。ナイフじゃ二枚抜きは不可能。存外、厄介だな。……しかしどうした。ここに来て二人の息が合いだした。有効な連携———)
「いいねぇ‼ そういうの最高だぁ‼」
 さながら悪夢そのままに、なおも“pepper”は笑い叫ぶ。
 (認めたくねぇ……)
 地に片手を着いて、神室秀青は一人、心の中で呟いた。


 下田従士到着まで、残り二百六十六秒———
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