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第153話「致死量未満の快楽⑦」
しおりを挟む六月十二日(日)十八時十分 埼玉県大宮市・市街地
一週間前の月曜日、下田従士は唖然としていた。
「昨日の神室君の件なんだが」
神室秀青の外出許可申請。
真希老獪によってあっさり却下され、さて生徒にどう頭を下げようかと悩んでいたところ、翌日になった途端、手のひらを返したようにいとも簡単に許可が下った。
「随分と…急に意見を変えるんですね。」
「たまには外の空気も吸わせてやらんと…お前の意見に同調したまでだよ。」
そう淡々と返す真希老獪ではあったが。
しかし、下田従士は確信した。
これには絶対になにか裏ある、と———
「———なのに、結局間に合ってないんだよなぁ、はぁ……。まったく僕は、どれだけ教師失格だったら気が済むんだか……」
ハンドルを握る手の力が強まる。
もう何度目の後悔か、下田従士は狭い間隔で車が立ち並ぶ路上で一人そう呟いていた。
「しかし、美神くんが単独で追ってた殺人鬼が相手だなんて、学長もよっぽど賭博師じゃないか。……いや、これはあの人の差し金———か。」
彼がもう一度大きく溜息をつくと同時に、止まっていた車の流れが再び僅かに動き出した。
この流れもすぐに止まることがわかっていた下田従士は三度大きく息を吐く。
彼が先程の通話で提示した制限時間、十分。
これは決してその場の思いつき等ではなく、車をこよなく愛する彼の今までの経験則からくるものであり、彼が全力で現場に向かった場合のこの上なく正確無比な時間設定であった。
つまり何が言いたいかというと、下田従士が現場に到着するまで、残り五百八十秒———
六月十二日(日)十八時十分 埼玉県大宮市・路地裏
“pepper”がナイフを薙ぐように振るうと同時に、二人はそれを回避、後退した。
瞬間、反対側の手で握っていたナイフを神室秀青に向かって投擲。
神室秀青は左手でそれを弾くと、ナイフは軽快に回転して地面に突き刺さった。
その時には、“pepper”はその手に新たなナイフを握っていた。
「気を付けろ! こいつのナイフ、先端になにか塗ってある! 多分毒だ!」
「先に言ってっ‼」
嵐山楓の忠告に神室秀青は左手を擦る。
彼は最初の襲撃の段階で刃先に塗られた毒に気が付いていた。
それ故に、相手の出方を窺ってから行動に移るという、後手に回るいつもの悪癖に、特に拍車がかかっていたのだが、それらを差し引いても彼は反撃に出られなくなっていた。
“pepper”の動きが速さを増してきた、否、元の動きに戻ってきていた。
消耗しきっていても神室秀青と嵐山楓、二人を同時に相手取ってもなお余りある動きを見せていた殺人鬼の駆動が調子を取り戻す。
元々難しかった反撃の難易度が、さらに向上した。
どんどん隙が無くなっていく。
「あっはぁ♪ バレちゃあしょうがねぇなぁっ!」
嗤うように、嘲るように、”pepper”は肩を揺らす。
(こいつ…ハイになってやがんのか⁉)
“pepper”が本来の動きを取り戻し始めるのと同時に、しかし甚だ遅く、嵐山楓も本来の冷静さを取り戻し始めていた。
“pepper”は両手にナイフを持って二人に突っ込む。
そして、片手ずつ、それぞれ独立した動きで二人それぞれに切りかかった。
完全並列同時行動。
器用貧乏な殺人鬼の成せる技だ。
それを二人は、全身駆動でようやく片手の処理に回る。
ナイフを避け、手の軌道を逸らし、ようやくどうにか紙一重で攻撃を躱し続けていく。
それでも押され、体力が削られ続けていく。
そんな中でも、嵐山楓は分析を始める。
思考を巡らす。
(こいつは素の動きが速いのかエーラの動作向上率が半端ないのか、どちらにせよ傾倒型っぽいのは間違いなさそうだ。エーラを纏えてる以上俺の攻撃じゃ通りすらしねぇかもしれねぇ。)
横薙ぎのナイフ右下に躱す。
(体中に仕込んでるナイフは実物か、“性癖“で創った物か……”性癖“で創れんだったらわざわざポケットに手を突っ込まねぇだろ…いや、見せかけの可能性もある。別の”性癖“を匂わせるためのミスリード。わざと実物のナイフを取り出してるように見せかけて、見えないところでナイフを創っている可能性。)
神室秀青は手首をいなしてナイフの軌道を逸らす。
(しかし、そこまでするか? 神室を『鍵』と呼んでない以上、こいつは『パンドラの箱』の構成員じゃねぇだろ。“性癖“を持ってるかすら怪しい。けど———)
嵐山楓は、心音まりあに抱かれている美神𨸶を横目に敵の攻撃を避ける。
(美神先輩があそこまでやられてんだ。“性癖“は絶対に持ってる。そしてなにより、こいつの接近に心音が気付かなかったこと。あっさりと後ろを取られたこと、だ。自慰後にエーラが消えていたわけじゃねぇ。ここに入るまではこいつのエーラを心音は感知していた。にもかかわらず、こいつのエーラは一度消え、背後に現れた。)
これに関しては、種を明かしてしまえばなんてことはない。
丁度美神𨸶を倒した時、“pepper”自身も三人の接近に気付いた。
気付いた瞬間に、彼は躊躇いなく行動に出た。
壁にナイフを突き刺しての壁上り。
そして、ビルの屋上から大きく迂回して三人の到着に合わせて背後に出現。
わかってしまえば、簡単なこと。
しかしそれでも、まだ完全に冷静に戻りきっていない嵐山楓からすれば不気味な現象であることには変わりなかった。
生まれる、小さな疑問。
取り越し苦労の深読み。
そして、圧倒的格上を前にした時、その僅かな状況把握のズレが命取りとなる。
(一応、色々と小細工は仕込んできたが、本格的な戦闘を考慮した装備じゃねぇ。これでどうにか、こいつの動きを止めねぇと……)
神室秀青がナイフを弾き飛ばし、”pepper”は空いた左手をスーツの裏に突っ込み、新たなナイフを取り出す。
その一瞬の隙。
ほんの僅かな一瞬の隙に、嵐山楓も両手をポケットに突っ込んだ。
下田従士到着まで、残り五百二秒———
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