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第100話「愚者のハンドワーク⑲」

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  五月二十九日(日)十五時四十二分 豊島区・光が丘公園
  神室秀青ⅤS“八分儀オクタヌス”逆撫偕楽

 再度走り出した逆撫偕楽。
 慌てて体勢を立て直し、神室秀青は距離を取っていく。
 (回り込まれた? あのタイミングで⁉)
 攻撃が当たる寸前。
 攻撃をいなす寸前。
 一瞬できた死角から、逆撫偕楽は消えた。
 (体術か、“性癖スキル”か……。どっちにしろ、近づかれたらマズい? でも……)
 突如目の当たりにした謎の移動術。
 警戒し、瞬時に接近を避けるべく思考するが。
 しかし、彼には遠距離の攻撃手段がない。
 『独り善がりの絶倫オーバーロード』により無限に等しい体力とタフネスを手に入れ、さらには梶消事により叩き込まれた自己防衛術。
 神室秀青は典型的な近接タイプだった。
 殴る蹴るが通用しない相手には滅法弱い。
 圧倒的な分の悪さ。
 最悪の相性だった。
 初の戦闘、初の不利。
 対応策が掴めずにいた。
 ただ、それは相手も同じことだった。
 (このまま近づいてもよいのやら……)
 逆撫偕楽は接近しつつも警戒する。
 初めて相まみえる、自身よりも桁違いにエーラ量が膨大な万能型。
 全力の打撃がようやく通じる程度の相手。
 複数の“性癖スキル”の可能性。
 それらの要素が、彼を攻めきれずにさせていた。
 だが、それでも相手は百戦錬磨の工作員テロリスト
 数多の戦闘経験。
 そこから来る根拠の乏しい勘が、自身が今優位的状況にいることを確信させた。
 (……さっきの攻撃の正体にも気付けてねぇんだ。ビビっててもしゃあねぇか。今のうちに——ぶちのめす!)
「!」
 速度を上げ、一気に神室秀青との距離を詰める。
 未だ思考が纏まっておらず、一瞬固まる神室秀青。
 痛む背中。
 瞬時に脳裏を過るは、先ほど受けた攻撃。展開した攻防。
 咄嗟に彼は動き出す。
 土を蹴り上げての目隠しブラインド
 生い茂る樹々の源。
 柔らかい土と舞い落ちた木の葉が、逆撫偕楽の視界を遮る。
 (こいつ…俺の真似をっ⁉)
 (ぶっ飛べ!)
 満を持して放たれる、神室秀青渾身の右ストレート。
 チリッ———。
 握りこまれた中指に伝わる、布地の感触。
 (当たった……)
 思考の外でそう確信する神室秀青。
 しかし。
「なっ……」
 彼の拳は虚しくも空を切った。
 そして、背後からの殺気。
「———っがぁっ!」
 鈍痛。
 割れるような衝撃とともに地面に投げ出され、何度も跳ねる体。
 大勢を立て直そうとする彼を、逆撫偕楽は待たなかった。
 勢いをつけて。
 右脚からの蹴り。
 両腕を交差させて防御する神室秀青の体が、宙に浮いた。
「おらおらぁっ‼」
 警棒による連撃。
 しっちゃかめっちゃかな動きだが、決して規則性がないわけではない。
 その場その場で最速の動きとなり、一撃一撃が確実に神室秀青の体力を削っていた。
 いなすことなど不可能。
 受けることで精いっぱいの神室秀青だが、どうにか両腕で直撃を避けている。
 それでも、至近距離。
 ともすれば吐息も当たるような距離感の中、変則的に繰り返される打撃。
 次第に防御は追いつかなくなり、徐々に攻撃が身体しんたいを直撃するようになってきた。
「ぐ・・・ぅっ……」
 (視界を潰したのに避けられた⁉ やっぱり消えたのか⁉ だとしても、目隠しが……)
 晒される謎の攻撃。連撃。
 そして、如何に膨大なエーラ量といえども、それを用いた的確な防御術・・・・・・攻撃術・・・もまだ教わっていない状態。
 未熟な戦士。
 早くも彼は、体力的、精神的共に追い込まれつつあった。
 体が削られれば心が折れる。
 心が折れれば技が鈍る。
 神室秀青の防御は次第に、逆撫偕楽の攻撃に追いつけなくなってきた。
 (こんなん……無理っ……)
 対する逆撫偕楽。
 彼の調子は、みるみるうちに上がっていた。
 精神的に優位に立ったことで、本来以上の力が発揮されてきたのだ。
 心が伸びれば体も応えてくれる。
 体が応えれば、技は真価を発揮する。
 加えて、再三言うが、圧倒的な実戦経験の差。
 すなわち天と地ほどの差。
 先程の、神室秀青からの目隠し攻撃にしたってそうだ。
 土と木の葉を巻き上げた目隠し。
 それは確実に彼の視界を遮った。
 一瞬とは言え、戦場では命取りとなる瞬間。
 だが、その瞬間ほど大きな好機チャンスはない。
 彼が今まで潜ってきた修羅場の数々。
 その経験からくる、視界を遮られた刹那の五感の拡張。
 布地に触れた感触は、なにも神室秀青だけが感じ取ったわけではなかったのだ。
 視覚を奪われれば、他の器官が目の代わりを担ってくれる。
 逆撫偕楽にとってはそれで充分であった。
「おらぁっ!」
 鋭い蹴り。
 神室秀青の腹部を直撃し、彼は背中から地面を転がった。
「……つっ」
 全身から伝わる鈍い痛み。
 最早どこが痛いのかもわからなくなっていた。
「なんだよ。やっぱただの高校生ガキじゃねぇか。」
 徐に彼を見下ろす逆撫偕楽。
「これ、いいだろ?」
「……?」
 逆撫偕楽は、握っている特殊警棒を見せつける。
「縮めて持ち運びができる鉄の棒。威力もそこそこ。奇襲にはもってこいの得物だ。……一昔前までは、スケバン女なんかが痴漢撃退用に携帯してた武器なんだぜ、これ。」
 特殊警棒による連撃は、神室秀青をあと一歩のところまで追い込んでいた。
 確実に仕留め切れたタイミング。
 それを放棄して、所持している武器について語り始める逆撫偕楽。
 何かしらの意図があるわけではない。
 神室秀青を格下だと認識した彼は、自身を抑制できずにいた。
 痴漢としての本質。
 弱者を舐る快楽が、彼を制御不能の言動に走らせていたのだ。
「痴漢対策の武器を、痴漢が痴漢の為に振り回している・・・・・・・・・・・・・・・……これ程シャレが効いてて面白いモンはねぇよなぁ! ひゃっひゃっひゃっひゃっ‼」
「っ!」
 現された本性。
 痴漢の素顔。
 神室秀青の中で、何かが切れた。
「……そうだ。そうだよな……。こいつは……痴漢……」
「あ?」
 ゆっくりと、拳を握りしめ立ち上がる神室秀青。
 変わらず見下す逆撫偕楽。
 (こいつは…こいつらは——まりあ様の尻触って…木梨さん殴ろうとして…嵐山殺そうとして……)
「お前がどんな御託並べようが関係ねぇ。」
 再び構えた神室秀青。
 逆撫偕楽の不用意な発言。
 仲間を、友を侮辱された記憶。
 再燃した怒りが、彼の中の精神的脆さを焼き尽くした。
 再び立ち向かう力となった。
「お前は…お前だけはぜってぇ許さねぇ……痴漢野郎‼」
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