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樹海男 VS 店長

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「この野郎」
 オラは店長を殴った。
 二十代後半の茶髪でイケメンと呼ばれ、雌からチヤホヤされてそうな店長を殴った。
 殴られた店長は汚い物でも見るかのように、オラをじっと眺めている。
 オラの怒りは増幅する。
「この野郎!」
 オラはまた店長を殴った。さっきより思い切り強くだ。
 店長は後ろの壁に吹っ飛んで、頭をぶつけた。
「どうして、どうして」
 オラは店長へ怒りの眼差しを向ける。
 店長は座り込み、頭を押さえたまま、やっぱりオラを汚いものでも見るかのように、眺めている。
「クソッ!」
 怒りで頭に血が上り、体中が熱い。
「どうして、同じ人間なのに、そんなに馬鹿にされなきゃならねぇんだ! 確かに、中学は行ってねぇ。でも、小学校は卒業してるんだ! 小卒で何が悪いんだ!」
 オラは吠えた。
 この薄暗い『面接』というものが行われた部屋で。
 店長がゆっくりと立ち上がる。
「あのな、小卒では馬鹿にされて当然なの。あなた、四十二なんでしょ? それで小卒で、住所もなく、今まで、山奥で猿と暮らして生活していた? 猿の一匹が病気になってしまい、病院代を稼ぐために、うちに来て雇ってくれって、ふざけてんの? 雇うわけないでしょ。さっさと帰ってくれる? 忙しいんだよ」
 店長はドアを指差した。
「この野郎! おまえには心がないのか? 思いやりがないのか? それでも人間か? 」
「そんなこと、あなたに言われる筋合いはないね。それに警察を呼ばないでいてあげてるんだから、思いやりを示してるでしょ。普通ならあなたは暴力を振るったんだから、警察呼んで逮捕だよ」
「暴力? 警察? なんだそれ? 殴り合いこそお互いをわかり合う手段だ。おまえも俺を好きに殴れ。そうやって、わかりあえばいいんだ。さあ、殴れ。俺もおまえを殴る」
「よく小学校卒業できたね。さあ、帰ってくれ。うちじゃなくても、相席居酒屋はいくらでもあるから。そっちに当たってみてくれ」 店長は再びドアを指差す。
「相席居酒屋? 何だそれ? ここ以外にもあるのか?」
「あなたは何の店かもわからないのに、雇って欲しくて来たのか?」店長は呆れている。
「そうだ。何の店かなんてこだわないんだ。オラの住んでた所は店なんかねぇ。ただ、おまえの店では包丁を持って魚さばいてたろ? 歩いてたら、店の窓から見えた。オラも魚をさばけるんだ。毎日釣った魚をさばいて食ってたし。猪もさばけるぞ」
 オラは自信満々に言った。
「そうか。自給自足みたいなことをしてたんだな。でも、うちにはあなたみたいな人間は必要ないんだ。他なら雇ってくれるかもね。奇跡が起これば。まぁ、ないだろうけど。さぁ、帰った、帰った」
「この野郎! オラは馬鹿にされるのが大嫌いなんだ。オラは帰らねぇぞ。おまえが謝って雇うまで。雇わなきゃ、おまえをぶっ倒してやる! オラをなめるな!」オラは拳に力を込めた。
 店長は深く溜息をつきながら、机に置いてある電話のボタンを押し、受話器を取った。
「あ、すいません。私、『横浜相席居酒屋ハッピーチョイス』の店長の活浦清春と申しますが、求人で不採用を宣告した者が帰らず脅してきます。追い出してください。ーはい、そうです。ええ。いえ、被害届は出しません。追い出して、注意してもらえればいいです。事を荒立てるつもりはありません。穏便に済ませれば。はい。横浜駅西口からすぐです。看板が見えると思います。はい。お願いします」
 店長は受話器を元に戻す。
「警察を呼んだ。まだここにいるつもりか? 早くあなたの言う山奥の猿の元に帰りなさい」
 店長はまた汚いものを見るかのように、オラを眺める。
「警察だか何だか知らねえが、おまえが謝ってオラを雇うまで、オラは負けねぇ。絶対負けねぇぞ!」
 オラは再び吠えた。 
 店長は少し考えている素振りを見せながら、口を開いた。
「もうじき警察が来る。それであなたはうちから追い出される。ただ、追い出された後、今日の閉店時間の五時までに、新規の女性客三人をうちに連れて来たら、考えてやってもいい」
「よし。新規の女性客三人だな」
「ただし、女性客三人は美女であること。十八歳以上であること。北海道出身、京都出身、沖縄出身であること。血液型はA型とO型とB型であること。そして最後に処女であること。うちの店では相席女は無料だが、相席男は有料だ。だから男から金を取らなければいけない。そして男から人気の相席女は、今話した組み合わせだ。今は午後五時だから時間はあるな。やるか、やらないかは自由だ」
「よし、やる!」
 オラは即答だ。
 店長は即答で答えたオラに驚いた様子だ。
「意味わかってるのか?」店長は訝しげだ。
「わかってるさ。店が閉まる朝五時までに、雌三人を連れてくればいいんだろ? 美女で、十八歳以上で、北海道生まれと京都生まれと沖縄生まれで、A型とO型とB型で、処女であればいいんだろ? そうすれば、おまえはオラを馬鹿にしたことを謝って、オラを雇うんだな?」
 オラは強い口調で言った。
「まぁ、そうだが。もしできなければ、もう二度と来るなよ。約束できるか?」
 店長も強い口調で言った。
「あぁ、約束だ。オラは約束は絶対守る。」オラは頷いた。
 ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
 店長はドアの方を向きながら応えた。
 この店の従業員で、二十代前半くらいの金髪男が入って来た。
「警察が来ましたが、何かあったんですか?」
 金髪従業員は不安そうに言った。
「まぁな。こちらに来てもらってくれ。休憩行っていいぞ」
 金髪従業員は頭を下げて出て行った。
 店長はオラと関わったからか、少し疲れた様子だった。
 その後、警察官が来た。五十代の男二人だ。
 オラは強制的に店から追い出され、説教された。
「次は逮捕だからね」
 そう言って、警察官二人は足早に去って行った。とても忙しそうだった。
 これが警察官か。
 オラが生活していた村では、警察官はいない。
 だから新鮮だった。
 
 追い出され後、オラはこの『横浜相席居酒屋ハッピーチョイス』と書かれた看板の店をしばらく眺めた。
 雌三人、美女、十八歳以上、北海道出身と京都出身と沖縄出身、A型とO型とB型、処女、この単語を念仏のように唱えてみる。
 忘れないように。
 それにしても暑い。
 真夏の暑さで、汗が噴き出してくる。
 オラは額から流れる汗を右手で拭った。
 店から先程の面接部屋に入って来た、二十代前半くらいの金髪従業員の男が出て来た。
 その男は、オラを見つけると、オラの方へと向かって来た。
「店長から聞いたよ。ある意味すごいな。本当に山奥の猿と生活していたの? 猿だけとしか生活していないの? 他に人間はいなかったの?」
 従業員の男は笑みを浮かべた。
「人間なら四人いた。後は猿達だ。オラにとってはファミリーだ。オラの話は本当だ。信じてくれるのか?」
 オラは従業員の男をじっと見る。
「う~ん、嘘くさいな。ずっと自給自足してたの?」
 従業員の男は腕を組んで、訝しげにオラを見る。
「そうだ」
「ここまでのお金はどうしたの?」
「お金? オラの村にはお金なんてない。ここまでは車に乗せてもらって来た」
「ヒッチハイク?」
「ああ」
「その村って、何処にあるの? 何県?」
「静岡県と山梨県の間だ。オラの村は、富士の樹海って言われてる所にあるんだ」
「えっ、富士の樹海? 青木ヶ原とか?」
「そうだ。青木ヶ原のさらに奥にあるよ。来ようとしても、絶対に迷子になる」
「マジで? 何故、そんな所に住むの? そもそも、きっかけは?」
 住む理由? きっかけ?
 オラは思い出していた。
 あの日のことをー。


 オラは母子家庭で育った。
 そして山梨県の甲府小学校を卒業した。
 卒業した翌日、母親に連れられて富士の樹海へと向かった。
 母親は「遠足よ」と言っていた。
 だからオラは母親と手を繋いで歩きながら、この遠足を楽しんでいた。
 立ち入り禁止エリアを抜けて、樹海の奥へ奥へと進む。
 辺りは夜になり、真っ暗。
 不気味な静寂感がオラと母親を包む。
「ちょっと、座りましょ」
 母親は疲れた声で言った。
 オラは手を繋いだまま、母親と一緒に座り込んだ。
「怖い?」
 母親はオラに聞いた。
 オラは黙って首を振った。
「そう。良かった」
 母親はそう言って、虚ろな目で下を向く。
 お互い無言で、五分くらい経った後、母親は顔を上げてオラを見た。
 オラの首を両手で触る。
「ごめんね」
 母親は両手でオラの首を力強く締め始めた。
「ごめんね。ごめんね。もう人生に疲れちゃったの。限界なのよ」
 首を絞める力が一段と強くなる。
「ごめんね。母さんも後で逝くからね。死んで」
 母親は鬼の形相でオラの首を絞める。
 息ができない。
 意識が遠のく。
 もう駄目だ。
 死ぬ。
 その時だった。
 猿の集団がやって来て、オラの首を絞めている母親に、叩いたり噛みついたり攻撃をした。
 母親は倒れ込み、オラはゲホッゲホッと咳き込みながら、大きく空気を吸った。
 もはや死ぬ寸前だった。
 ふと気付くと、目の前には、民族衣装を着ている老婆がいた。
「こんな場所で自分の息子を手にかけるとは。やっぱり、外の人間は病んでいるわ」
 老婆は呆れたように言った。
 そして、老婆はキッーーーーーと金切り声をあげた。
 猿の集団がオラを持ち運んで行く。
 また更に樹海の奥へと進む。
 三十分ぐらい経った所で、猿の集団はオラを引きずり下ろした。
 そこは、村のようであった。
 中心部に大きな焚火があり、周りに鍋やフライパンなどの料理道具が置かれている。
 さらにその周りには、木や藁で出来た小さな家が四軒あった。
 猿の集団がキッーーーーーと吠えると、それぞれの家から、三十代前半くらいの男二人と、七十代くらいの老人が出て来た。
 男達はオラをじっと見る。
「まさか、子供を連れて来るとは」
「育てるのか?」
「やれやれ、うちの家内は困ったもんだ。明日からこの子供の分まで調達しなくては」
 男達は互いに顔を見合わせて、話し込み始めた。
 オラの後ろから、老婆がやって来る。
「この子供、母親に殺されそうになっていた。おそらく無理心中する気だったんじゃろう。だから連れて来た。今日からファミリーじゃよ」
 老婆は言った。
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