【完結】蟻の痕跡

晴 菜葉

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第六章 顛末

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 執務机に座ったまま、坂下は忌々しそうに俺と秋葉を交互に睨んだ。一旦は受付で拒まれたものの、「ご命令通り、沢渡を発見しました」の一言であっさりと面通しが叶う。
 案の定、かなり苛立っているようで、指先の小刻みなリズムはいつになく早い。
「何の用だ」
 七福中央署での初対面の際に振り撒いた人の良い笑みは、最早どこにもない。他者を寄せ付けないバリアーが張り巡らされ、一歩近づくたびにビリビリと空気が軋むような感覚を味わう。だが、挫けている場合ではない。
「捜査は中止と言ったはずだ」
 坂下はこの上なく不機嫌そうに眉を中央に寄せた。
「お話があります」
「私はない」
「いいえ。聞いていただきます」
 秋葉の目は鋭く、さすがの坂下もたじろぐほどだった。
「沢渡が全てを自供しました」
 ぴく、と坂下の目尻の筋肉が僅かに動いた。
「覚醒剤の横流しをし、それを内部告発しようとした大島を高橋和子に殺害させようと画策した。いや、罪をなすりつけようとしたといった方がいいでしょうか」
 坂下は立ち上がると、窓の方に体を反転させる。背を向けていても苛立ちは明らかで、窓硝子を指先が叩いている。
「邪魔になった大島の殺しを、高橋和子の怨恨にすり替えようとしたんだ」
 秋葉の言葉を俺は引き継いだ。
「馬鹿馬鹿しい」
 坂下は俺の言葉を鼻で笑って一蹴する。
「随分と面倒なことをしましたね。俺達を使って沢渡を捜させ、ミスリードする。稲岡って告発者もあんただろ。巧く操ったもんだ。しかも、秋葉課長のよき理解者といった仮面まで被って」
「くだらん話はもう終わりだ」
 坂下は机の上にある受話器を取った。内線で誰かを呼び出し、俺達を追い出すつもりだ。
 坂下がボタンを押すよりも早く、秋葉は受話器を引っ手繰り戻した。
「坂下さん。みっともない真似はもうやめて下さい」
 忌々しそうに坂下が舌打ちする。
「秋葉」
「明日には、全てが世間の知るところですよ」
「どういう意味だ? 」
「今頃、ネットでは大騒ぎでしょう」
「まさか」
 ハッと坂下が息を呑む。秋葉は唇を弧の字に描くと、皮肉った笑いを作った。
「明日の一面の見出しはこうでしょうね。『汚職官僚の隠された真実を暴く』『覚醒剤横流し』『警察官自殺にも関与か』」
「貴様! 」
 カッと眼を血走らせた坂下が、秋葉の胸倉を掴み上げた。顔を真っ赤にさせ、今にも怒りが爆発せんばかりにぶるぶると体を震わせている。
「捜査情報を漏らしたのか! この警察の恥め! 」
「警察の恥とは、汚いことを平然と隠蔽する体質です」
「ふざけるな! 」
 しばらく坂下の気の済むように胸倉を掴んで揺さぶらせていた秋葉だが、頃合いを見計らい、どんと彼の胸を突き飛ばした。武術大会で幾度も優勝しているだけあって、秋葉は加減したであろうが、坂下を簡単によろめかせる。
「今更、人の口に戸は立てられないでしょう。ほら」
 秋葉はそう言って、パッドの画面を見せた。そこには、警察内部の不正に関する見出しが乱立し、コメントが続々と連なっている。
 秋葉の言う通り、裏から手を回したところで、最早どうしようもない状態は明らかだった。
「畜生! 」
 坂下はその場に崩れ落ち、四つ這いになると、がんがんと拳で床を何度も殴った。
 マスコミが飛びついてくることに間違いはない。自分がそれらに圧力を掛けたところで、坂下よりも上にいる人物がそれを阻止することは、わかっていた。
 腐った林檎が一つあると、それがどんどん広がって、やがては内部から膿が湧いて、闇の部分が明るみになってしまう。
 坂下も所詮は氷山の一角に過ぎない。
 坂下よりも遥かに高い山が崩れ落ちる前に、不必要と判断した者を切るのがベストだ。
 その不必要と烙印を押されてしまった坂下を庇ってくれる者が、最早、存在しないことは明白だ。誰もが保身に回る。立場が逆転するなら、坂下も同じことをする。
 結局のところ組織の手駒にしか過ぎない坂下は、悔しさを滲ませ、何度も何度も拳を叩きつけた。仕舞に手の甲が赤く切れ、血で汚れようとも、構わず殴り続けた。
 俺達は、その惨めな姿を黙って見つめていた。
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