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荒ぶった客

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 気を効かせた社員からマチルダが温かい紅茶を受け取った、そのときだった。
「おい! どういうつもりだ! 」
 野太い声を張り上げて、熊のような毛むくじゃらの男がどたんと社長室のドアを開けた。
「何故、うちの荷物が運べないんだ! 」
 無作法に入って来た男は、顔半分を濃い黒髭、腕まくりしたシャツから覗いた肌も、皮膚が見えないくらい毛で覆われている。さすがにロイより遥かに背は低いが、横に広く、男一人によって急に圧迫感が増した。
「立ち入りは禁止したはずですよ、メイカーさん」
 書類から目を上げず、ロイは済まして苦言を呈す。
「ふざけるなよ! この野郎! 」
 自分には目も呉れない社長に、メイカーは喉彦を震わせた。
「うちは違法なものは取り扱わないのでね。幾ら金を積もうと無駄ですよ」
 書類にサインを走らせながら、ロイはあくまで彼の方を向かない。
「何だと! うちの積荷が違法だと! 」
 メイカーは、だん、と平手で執務机を叩きつけた。
 それでもロイは動じない。
「うちは至ってまともなワインしか扱っていないぞ! 」
「ええ。ワインはね」
 面倒臭そうに溜め息を吐くと、書類の束を整える。
 続けて睨みつけたその漆黒の目の鋭さに、メイカーはうっと怯み、踵を引いた。
「気づかないと思ったのですか? うちも舐められたものだな」
「な、ななな何だと! 」
 負けじとメイカーは必要以上に怒鳴りつける。
「ワインの木箱を二重底にして、違法薬物を取引しているとはな」
「な、なななな! 何のことだ! 」
 図星だったようだ。明らかに目を泳がせ、メイカーはあわあわと口を開いたり閉じたりしている。
「まだ白を切るつもりか? 」
 嘘を吐くのがどうしようもなく下手くそな男に、ロイは呆れ返り、椅子の背に凭れ掛かかった。


「きゃあ! 」


 マチルダは思わず叫んでしまった。


 メイカーが身を乗り出し、ロイの胸倉を掴んだからだ。
 メイカーは、鼻の穴から湯気を吹かんばかり。毛むくじゃらの顔が怒りで真っ赤になる。
 ロイの襟元を締め上げる腕は丸太そのもの。
 幾らロイが格闘技を嗜んでいるといえど、体格差があり過ぎて、分が悪い。
 だがロイは顔色一つ変えない。
「メイカーさん。私に手荒い真似はさせないでくれ」
「ふざけんな! 若造が! 」
 カッとなったメイカーは、掴んでいたロイの襟元を勢い任せに自分の方へ引いた。
 殴られる! 
 マチルダは両手で顔を覆う。
 そんなマチルダの耳を、物凄い地響きがつんざいた。
 どおおおん、とまるで雷が落ちたのかと錯覚する。続いた、椅子が薙ぎ倒される音。
男の呻き声。
 マチルダは指の隙間から、恐る恐る状況を確かめる。
 中指と薬指の間から見えたのは、乱れた襟元を直す夫の姿だった。
 仰向けにひっくり返っていたのは、熊……もとい、メイカーだ。
 メイカーは何が起きたのか把握し切れず、殴りつけられた右頬を腫らしながら、呆けて天井の木目を見つめていた。
「警察に引き渡せ」
 マチルダを庇うように立ち塞がっていた社員に、ロイは険しい顔で命じる。
「この男には余罪がありそうだな」
 鬱陶しそうに前髪を掻き上げると、ロイはポケットに手を突っ込み、机から回り込んでメイカーの前で仁王立ちとなった。
「念の為に聞いておくか。おい、アニストン家のイメルダは知っているか? 」
 呆けたままのメイカーを見下ろす。
「それなりに顔の広いお前なら、知っていそうだが」
「ああ。あのアバズレか? 」
 メイカーは正気を取り戻すと、顔をしかめながら上半身を起こす。
「知っているんだな」
「あ、ああ。昨夜、俺のとこに来た」
「昨夜会ったんだな? 」
「あ、ああ。金がいるから抱けと擦り寄って来た」
「今は? 」
「知らねえよ。金渡した途端、出て行っちまったからな」
 マチルダは彼らの一連の会話に震えが止まらない。椅子の脚がガタガタ揺れた。
「お姉様。一体どこに? 」
 金のために身を売るほど、切迫しているというのか。
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 このような彼女の好みとかけ離れた男に身を差し出すなんて。
「あんた、あの女の妹か? 」
 マチルダの呟きを拾ったメイカーは、面白そうに頬肉を歪ませた。
「随分と恨まれてるようだな。犯ってる最中、ずっと、あんたへの恨み言が途切れなかったぞ」
「……! 」
 マチルダの呼吸が止まる。
「あんたを殺してやるとまで言ってたぞ」
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「黙れ! 」
 まだ何か続けようとしたメイカーの鼻面を、ロイが容赦なく殴りつけた。
 メイカーは再び仰向けに倒れ込む。
「マチルダに聞かせる話ではない」
 鼻血を流して気を失うメイカーに、ロイはいらいらと舌打ちした。
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