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執務室の呑気な男

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「そろそろ来る頃だと思ったよ」
 ローレンスの執務室のドアを連打したマチルダは、短い返事を待たずして開けると、執務椅子に浅く腰かけ脚を組むロイに出迎えられた。
 顔を真っ赤にして鼻息を荒くする、レディとしての品格を後回しにしたマチルダを前にしても、ロイは驚く素振りすら見せず、「或る愛の軌跡」なる官能小説のページを捲った。
「今、良いとこなんだ。未亡人がいよいよ下着を脱ぐぞ」
 などと、呑気に文章を指でなぞり、視線すら寄越さない。
 マチルダはそれをひったくるなり、音を立てて執務机に叩きつけた。
「おい、何をするんだ。これからなのに」
 ムスッとして、マチルダを睨みつける。
 ロイの機嫌を損ねようが、関係ない。どんどんと、拳をテーブルに打ちつけた。
「た、大変よ! 大変なのよ! 」
 物凄い剣幕で机を叩きつける。そのあまりの勢いに、端に積まれた書類が一枚、二枚とひらひらした。ブルーブラックのインク瓶が振動する。
 倒れて書類が滅茶苦茶になる前に、ロイはさっとインク瓶を持ち上げた。
「この机は友人の特注品で、野郎がとても気に入っているんだ。壊したりしたら、首を締め上げられるぞ」
 ようやくマチルダは上下する腕を止めた。
 興奮し過ぎて、腰まで波打つ髪が乱れてしまっている。こめかみから頬のラインへ、汗の雫が垂れた。ゼイハアと、荒々しく肩を上下させる。
 いつもはツンツンと澄ましているマチルダだが、首が飛ぶ恐怖を前に、冷静でいられるわけがない。
「ああ、うるさい、うるさい。あまり取り乱すな。キンキンとうるさい。昨夜も遅くまで調べ物をしていて、あまり寝ていないんだ」
「まだネズミ退治に奔走しているの? 」
「ああ。なかなか強かなネズミでね。その話は誰から聞いた? 」
「あなたのご友人から」
「あのクマ野郎。べらべらと余計なことを」
 イラついたようにロイは鼻に皺を寄せた。 
 あまり寝ていないのは確かだろう。
 浅黒く日に焼けた健康な肌は、今はどことなく血の気がない。そう思わせるのは、目の下に大きく作られた隈のせいだ。ギラギラしていた鋭い双眸も、ぼんやりして覇気を失っていた。
 椅子に浅く腰かけ、気怠げに肘掛けに肘を乗せるその姿に、マチルダは一瞬、話を続けるかどうか躊躇った。
 が、このまま放置して良いわけがない。
「そうなの……ではなくて! 落ち着いている場合ではないのよ! 大変なの! 」
「だから、何が大変なんだ」
 さらにロイの苛立ちが増す。
 彼はまだ状況を把握していないから仕方のないことだが、悲壮感丸出しのマチルダにとって、ロイの態度は呑気以外の何物でもない。
「これを見てちょうだい! 」
 マチルダは唾を飛ばし、箔押しの封筒を突き出した。


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