36 / 71
疾雷1
しおりを挟む
稲妻が光り、視界が白く爆ぜた。
どしゃあああ、と天井から雨の塊が落ち、リリアーナの前方で滝のように床面を打ちつけた。
「屋根がないから、雨が凄いわ」
ほんの僅かでも位置がずれていたら、滝の雨に打たれて身動きが取れなかった。
が、リリアーナらのいる位置も危うい。
屋根と屋根の隙間から、ボタボタと重い雫が降ってきて、頭のてっぺんや肩で大きく跳ねた。
「来い」
ザカリスはもう弱々しい顔つきではない。険しく目を尖らせると、リリアーナの手首を掴んだ。
彼の視線は、小屋の奥にある破れた木製のドアに向いている。ドアノブは壊れて半開きになっている、その奥は部屋ではなく下方へ続く階段だ。
「ザ、ザカリス様? 何を? 」
戸惑うリリアーナには一切答えず、ザカリスはリリアーナをお姫様抱っこすると、ドアを蹴破る。腐った木製ドアはあっさりと粉々になった。
急にひんやりと空気の流れが変わった。
螺旋になった石の階段は、コツコツと反響する。
灯りのない階段は真っ暗で足元が何も見えない。
しかしザカリスは躓くことなく慎重に階段を降りきった。
そこは、七平米ほどの狭い部屋だった。
御影石で作られた、明かり取りの窓もない薄暗い部屋。
ガランとして、家具も何もない。床にはいつのものかわからない中身の入った瓶詰めが一つ転がっているのみ。
「おそらく休憩場所を兼ねた貯蔵庫だな」
瓶詰めを爪先で蹴飛ばしてから、ザカリスはリリアーナをそっと降ろした。
「風雨を凌げるだけ、まだマシだ」
すぐさまザカリスはリリアーナに背を向けると、壁を窪ませた燭台を覗き込む。使われた形跡のない蝋燭が入っていた。おそらく蝋燭を取り替えて程なく、この場所を廃したのだろう。
ザカリスは胸ポケットからマッチを取り出すと、蝋燭を灯した。
ぼんやりと室内がオレンジ色に包まれる。
一連の動作を眺めていたリリアーナは、ポツリと背中に尋ねた。
「煙草をお吸いになるの? 」
ザカリスが怪訝な顔つきで振り返る。
「だって。マッチを」
「ああ。紳士クラブに出入りするときなどにな」
彼も紳士の端くれ。
高い会費を払って社交場に顔を出して、食事や会話を楽しんでいる。会員にはブライス伯爵や、ジョナサン男爵、アークライト子爵など、ザカリスと同じ投資家が名を連ねていた。
「私の前では吸ったことなんてないのに」
ザカリスがパイプを燻らせている場面など、リリアーナは知らない。
「お前が幼い頃、煙で咽せてしかたなかったからな。以来、リリアーナの前ではやめている」
「知らなかったわ」
「煙草の匂いは香水で消していたしな」
ザカリスは徹底していた。
「私、ザカリス様のことは何でも知っているつもりだったけど……何も知らないんだわ」
始終彼にくっついて知ったつもりになっていただけ。
ザカリスは複雑そうな一瞥を向けただけで、四方にある壁の窪みの蝋燭全てに火を点けていく。
真っ暗だった室内が明るくなった。
「しばらく雨は止まないだろう。諦めてここにいるしかないな」
地下なのに、頭上の雨の音を確認出来るとは、かなりの土砂降りだということだ。
「雨が止めば、使用人らが助けに来るはずだ」
ザカリスはリリアーナを慰めた。
不意に、リリアーナがギョッと目を剥いた。
「な、何をなさるの? 」
彼が、高価なコートを脱ぎ、泥の跳ねた表側を下向きにして、床に敷いたからだ。埃と黴臭さが生地につけば、いよいよ服が台無しになってしまう。
「立ったままでは疲れるだろ。床に寝転んでいろ」
「ザカリス様の服をお尻に敷くなんて」
「構わん。そのままではドレスが汚れてしまうぞ」
ザカリスは譲らない。
リリアーナは仕方なしに彼の上等のコートを尻に敷く。
ザカリスはリリアーナから一定の距離を取って、床に直に胡座をかいた。
「ザカリス様もそばに来て」
両手を広げたリリアーナは、切なげに顔を歪めた。
「い、いや。それは」
拭ったはずなのに、またしてもザカリスの額に汗が浮き出す。
「寒いわ。寒くて仕方ないの」
リリアーナは訴える。
「あ、ああ。五月の初めといえど、まだ冷えるからな」
「ザカリス様。抱きしめて」
リリアーナは両手を広げたまま、彼を見つめた。
その目には、チリチリと微かな炎が見え隠れしている。
「リリアーナ。俺の話を聞いただろ。駄目だ」
「わかった上でお願いしているの」
「駄目だ。お前に手を出すわけには」
「私はもう立派な成人よ」
「わかってる。お前のことは、子供とは思っていない」
「だったら、何故? 」
追求は、彼が視線を逸らせたことで途絶える。さらに問い詰めたところで、答えは返ってこないと判断したリリアーナは、小さく息を吸い、彼を見据えた。
「ザカリス様。ドレスを脱がせて」
微かに声が震える。
リリアーナはこの瞬間に賭けた。
「な、何を」
戸惑い、体を退くザカリス。
リリアーナは前のめりになって、彼との距離を詰めた。
「だって。このままではドレスが汚れてしまうわ」
「お前、狡いぞ。こんなときに色気を全開にして」
「あなたの弱みにつけ込んでいるの」
リリアーナは計算高く微笑んだ。
いつまでも無邪気な乙女ではいられない。
ここ一カ月余りで、彼を攻め続けるリリアーナが学んだことだ。
どしゃあああ、と天井から雨の塊が落ち、リリアーナの前方で滝のように床面を打ちつけた。
「屋根がないから、雨が凄いわ」
ほんの僅かでも位置がずれていたら、滝の雨に打たれて身動きが取れなかった。
が、リリアーナらのいる位置も危うい。
屋根と屋根の隙間から、ボタボタと重い雫が降ってきて、頭のてっぺんや肩で大きく跳ねた。
「来い」
ザカリスはもう弱々しい顔つきではない。険しく目を尖らせると、リリアーナの手首を掴んだ。
彼の視線は、小屋の奥にある破れた木製のドアに向いている。ドアノブは壊れて半開きになっている、その奥は部屋ではなく下方へ続く階段だ。
「ザ、ザカリス様? 何を? 」
戸惑うリリアーナには一切答えず、ザカリスはリリアーナをお姫様抱っこすると、ドアを蹴破る。腐った木製ドアはあっさりと粉々になった。
急にひんやりと空気の流れが変わった。
螺旋になった石の階段は、コツコツと反響する。
灯りのない階段は真っ暗で足元が何も見えない。
しかしザカリスは躓くことなく慎重に階段を降りきった。
そこは、七平米ほどの狭い部屋だった。
御影石で作られた、明かり取りの窓もない薄暗い部屋。
ガランとして、家具も何もない。床にはいつのものかわからない中身の入った瓶詰めが一つ転がっているのみ。
「おそらく休憩場所を兼ねた貯蔵庫だな」
瓶詰めを爪先で蹴飛ばしてから、ザカリスはリリアーナをそっと降ろした。
「風雨を凌げるだけ、まだマシだ」
すぐさまザカリスはリリアーナに背を向けると、壁を窪ませた燭台を覗き込む。使われた形跡のない蝋燭が入っていた。おそらく蝋燭を取り替えて程なく、この場所を廃したのだろう。
ザカリスは胸ポケットからマッチを取り出すと、蝋燭を灯した。
ぼんやりと室内がオレンジ色に包まれる。
一連の動作を眺めていたリリアーナは、ポツリと背中に尋ねた。
「煙草をお吸いになるの? 」
ザカリスが怪訝な顔つきで振り返る。
「だって。マッチを」
「ああ。紳士クラブに出入りするときなどにな」
彼も紳士の端くれ。
高い会費を払って社交場に顔を出して、食事や会話を楽しんでいる。会員にはブライス伯爵や、ジョナサン男爵、アークライト子爵など、ザカリスと同じ投資家が名を連ねていた。
「私の前では吸ったことなんてないのに」
ザカリスがパイプを燻らせている場面など、リリアーナは知らない。
「お前が幼い頃、煙で咽せてしかたなかったからな。以来、リリアーナの前ではやめている」
「知らなかったわ」
「煙草の匂いは香水で消していたしな」
ザカリスは徹底していた。
「私、ザカリス様のことは何でも知っているつもりだったけど……何も知らないんだわ」
始終彼にくっついて知ったつもりになっていただけ。
ザカリスは複雑そうな一瞥を向けただけで、四方にある壁の窪みの蝋燭全てに火を点けていく。
真っ暗だった室内が明るくなった。
「しばらく雨は止まないだろう。諦めてここにいるしかないな」
地下なのに、頭上の雨の音を確認出来るとは、かなりの土砂降りだということだ。
「雨が止めば、使用人らが助けに来るはずだ」
ザカリスはリリアーナを慰めた。
不意に、リリアーナがギョッと目を剥いた。
「な、何をなさるの? 」
彼が、高価なコートを脱ぎ、泥の跳ねた表側を下向きにして、床に敷いたからだ。埃と黴臭さが生地につけば、いよいよ服が台無しになってしまう。
「立ったままでは疲れるだろ。床に寝転んでいろ」
「ザカリス様の服をお尻に敷くなんて」
「構わん。そのままではドレスが汚れてしまうぞ」
ザカリスは譲らない。
リリアーナは仕方なしに彼の上等のコートを尻に敷く。
ザカリスはリリアーナから一定の距離を取って、床に直に胡座をかいた。
「ザカリス様もそばに来て」
両手を広げたリリアーナは、切なげに顔を歪めた。
「い、いや。それは」
拭ったはずなのに、またしてもザカリスの額に汗が浮き出す。
「寒いわ。寒くて仕方ないの」
リリアーナは訴える。
「あ、ああ。五月の初めといえど、まだ冷えるからな」
「ザカリス様。抱きしめて」
リリアーナは両手を広げたまま、彼を見つめた。
その目には、チリチリと微かな炎が見え隠れしている。
「リリアーナ。俺の話を聞いただろ。駄目だ」
「わかった上でお願いしているの」
「駄目だ。お前に手を出すわけには」
「私はもう立派な成人よ」
「わかってる。お前のことは、子供とは思っていない」
「だったら、何故? 」
追求は、彼が視線を逸らせたことで途絶える。さらに問い詰めたところで、答えは返ってこないと判断したリリアーナは、小さく息を吸い、彼を見据えた。
「ザカリス様。ドレスを脱がせて」
微かに声が震える。
リリアーナはこの瞬間に賭けた。
「な、何を」
戸惑い、体を退くザカリス。
リリアーナは前のめりになって、彼との距離を詰めた。
「だって。このままではドレスが汚れてしまうわ」
「お前、狡いぞ。こんなときに色気を全開にして」
「あなたの弱みにつけ込んでいるの」
リリアーナは計算高く微笑んだ。
いつまでも無邪気な乙女ではいられない。
ここ一カ月余りで、彼を攻め続けるリリアーナが学んだことだ。
60
お気に入りに追加
311
あなたにおすすめの小説
婚約破棄寸前の悪役令嬢に転生したはずなのに!?
もふきゅな
恋愛
現代日本の普通一般人だった主人公は、突然異世界の豪華なベッドで目を覚ます。鏡に映るのは見たこともない美しい少女、アリシア・フォン・ルーベンス。悪役令嬢として知られるアリシアは、王子レオンハルトとの婚約破棄寸前にあるという。彼女は、王子の恋人に嫌がらせをしたとされていた。
王子との初対面で冷たく婚約破棄を告げられるが、美咲はアリシアとして無実を訴える。彼女の誠実な態度に次第に心を開くレオンハルト
悪役令嬢としてのレッテルを払拭し、彼と共に幸せな日々を歩もうと試みるアリシア。
目は口ほどに物を言うといいますが 〜筒抜け騎士様は今日も元気に業務(ストーカー)に励みます〜
新羽梅衣
恋愛
直接目が合った人の心を読めるアメリアは、危ないところを人気の騎士団員・ルーカスに助けられる。
密かに想いを寄せ始めるアメリアだったが、彼は無表情の裏にとんでもない素顔を隠していてーー…。
憧れ? それとも恐怖…?
こんな感情は初めてです…!
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
会うたびに、貴方が嫌いになる
黒猫子猫(猫子猫)
恋愛
長身の王女レオーネは、侯爵家令息のアリエスに会うたびに惹かれた。だが、守り役に徹している彼が応えてくれたことはない。彼女が聖獣の力を持つために発情期を迎えた時も、身体を差し出して鎮めてくれこそしたが、その後も変わらず塩対応だ。悩むレオーネは、彼が自分とは正反対の可愛らしい令嬢と親しくしているのを目撃してしまう。優しく笑いかけ、「小さい方が良い」と褒めているのも聞いた。失恋という現実を受け入れるしかなかったレオーネは、二人の妨げになるまいと決意した。
アリエスは嫌そうに自分を遠ざけ始めたレオーネに、動揺を隠せなくなった。彼女が演技などではなく、本気でそう思っていると分かったからだ。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる