21 / 71
恋の始まり1(回想)
しおりを挟む
ロナルド男爵の奥方は、リリアーナの母とは親友である。
その「ユリアーノおばさま」が亡くなり、リリアーナも葬儀に参列した。
ユリアーノおばさまは、かなり年上の男爵に大層大事にされており、二人を知る者は誰しもが、年老いても仲の良い夫婦となる未来を描いていた。
よもや、肺病を患い、たった十五年余りでその幸せな絵図を終わらせることになるとは。
打ちひしがられる人々の心を弄ぶように、雨の多いこの土地には珍しく、雲一つない快晴だった。
「ユリアーノ……ユリアーノ……どうして? 」
悲嘆に暮れる男爵に加えて、悲しみを露わにする母。ユリアーノの棺にしがみつき、そんな彼女の背を撫でて慰める父。
そんな二人には、愛娘を意識する余地がなかった。
まだ七つのリリアーナは、ユリアーノおばさまは眠る場所がベッドから棺に変わっただけで、すぐに目覚めるだろうと思っていた。
身近で人を失うという体験のない彼女にとって、何故大人達が真っ黒の服装をして涙で顔を濡らすのか、その意味をよく理解していなかった。
硬い木の椅子に尻をモゾモゾしていたら、教会の救世主の像に何だか怒られている気分になって、リリアーナは一人きりで教会を抜け出す。
周囲の大人達は、小さな子供が居なくなったことには誰も気づかない。
リリアーナは誘われるように教会の裏手に回る。鋳物製の柵に青々とした蔦が絡みついており、それがどこまで続いているのか辿るうちに、物寂しい裏口へと出てしまった。
この辺りは治安は悪くはないといえど、やはり、どこにでも企みを持つ輩はいる。
「やあ、お嬢さん」
ぼろぼろの穴だらけのシャツ、土埃で汚れたズボン。白髪混じりの髪はぐしゃぐしゃで伸び放題、顔の大半が髭で覆われて、その表情が全くわからない男が、妙な猫撫で声をリリアーナに向けた。
「こんなところで一人かい? 」
ニカッと笑う。歯はほとんどが抜け落ち、僅かに残された分は歯垢が溜まり黄色い。
「おじさま、だあれ? 」
まだ警戒心を知らないリリアーナは、無邪気に尋ねた。
「わしか? わしは……あんたのお母様の友達だよ」
「本当に? 」
母の友達の部類には決して入らないような人物。リリアーナは不思議で首を傾げる。
「ああ。本当だ」
男はまたもやニカッと笑う。長い前髪から覗く目が、ギョロリとリリアーナを捉える。
「君のお母様に頼まれたんだ。君だけを先に家に帰らせろと」
「嘘! お母様は、そんなこと仰らないわ! 」
さすがにリリアーナは違うとわかる。
母は出掛けに、一緒にいましょうとリリアーナに言いつけたからだ。
「嘘なものか。頼まれたんだよ」
「お母様は、私もユリアーノおばさまにお別れをしなさいと」
「だが、君のお母様は確かに私に頼んだんだよ」
「嘘よ! 嘘だわ! 」
お母様が意見を曲げるときは、必ずリリアーナに一言告げる。
それに、母は清潔を重んじる。このような不潔な男と知り合いのわけがない。
危ない!
そのときになり、ようやく、リリアーナの脳内で警告の笛が鳴り響いた。
たちまち、どくどくと血の巡りが速くなる。
両親から、巷では厄介な輩がうろついているから、決して裏口には回らないようにと言いつけたられていたことを思い出した。
貧富の差が激しい王都では、強盗、誘拐、脅迫、詐欺など、あらゆる犯罪が茶飯事だ。
治安の悪化を憂いた政府により、治安警察が組織されたものの、溢れ返る犯罪者に、まだ彼らの手は充分ではない。
目の前の男も悪党の類だ。
世間知らずのリリアーナも、さすがに確信する。
「小うるさいガキめ! 」
男はリリアーナに企みがバレて、本性を剥き出した。
たちまち、カッと男の落ち窪んだ目が見開く。
男の熊のように指先まで毛深い手が、リリアーナに伸びる。
「いやああああ! 」
リリアーナは叫んだ。
その「ユリアーノおばさま」が亡くなり、リリアーナも葬儀に参列した。
ユリアーノおばさまは、かなり年上の男爵に大層大事にされており、二人を知る者は誰しもが、年老いても仲の良い夫婦となる未来を描いていた。
よもや、肺病を患い、たった十五年余りでその幸せな絵図を終わらせることになるとは。
打ちひしがられる人々の心を弄ぶように、雨の多いこの土地には珍しく、雲一つない快晴だった。
「ユリアーノ……ユリアーノ……どうして? 」
悲嘆に暮れる男爵に加えて、悲しみを露わにする母。ユリアーノの棺にしがみつき、そんな彼女の背を撫でて慰める父。
そんな二人には、愛娘を意識する余地がなかった。
まだ七つのリリアーナは、ユリアーノおばさまは眠る場所がベッドから棺に変わっただけで、すぐに目覚めるだろうと思っていた。
身近で人を失うという体験のない彼女にとって、何故大人達が真っ黒の服装をして涙で顔を濡らすのか、その意味をよく理解していなかった。
硬い木の椅子に尻をモゾモゾしていたら、教会の救世主の像に何だか怒られている気分になって、リリアーナは一人きりで教会を抜け出す。
周囲の大人達は、小さな子供が居なくなったことには誰も気づかない。
リリアーナは誘われるように教会の裏手に回る。鋳物製の柵に青々とした蔦が絡みついており、それがどこまで続いているのか辿るうちに、物寂しい裏口へと出てしまった。
この辺りは治安は悪くはないといえど、やはり、どこにでも企みを持つ輩はいる。
「やあ、お嬢さん」
ぼろぼろの穴だらけのシャツ、土埃で汚れたズボン。白髪混じりの髪はぐしゃぐしゃで伸び放題、顔の大半が髭で覆われて、その表情が全くわからない男が、妙な猫撫で声をリリアーナに向けた。
「こんなところで一人かい? 」
ニカッと笑う。歯はほとんどが抜け落ち、僅かに残された分は歯垢が溜まり黄色い。
「おじさま、だあれ? 」
まだ警戒心を知らないリリアーナは、無邪気に尋ねた。
「わしか? わしは……あんたのお母様の友達だよ」
「本当に? 」
母の友達の部類には決して入らないような人物。リリアーナは不思議で首を傾げる。
「ああ。本当だ」
男はまたもやニカッと笑う。長い前髪から覗く目が、ギョロリとリリアーナを捉える。
「君のお母様に頼まれたんだ。君だけを先に家に帰らせろと」
「嘘! お母様は、そんなこと仰らないわ! 」
さすがにリリアーナは違うとわかる。
母は出掛けに、一緒にいましょうとリリアーナに言いつけたからだ。
「嘘なものか。頼まれたんだよ」
「お母様は、私もユリアーノおばさまにお別れをしなさいと」
「だが、君のお母様は確かに私に頼んだんだよ」
「嘘よ! 嘘だわ! 」
お母様が意見を曲げるときは、必ずリリアーナに一言告げる。
それに、母は清潔を重んじる。このような不潔な男と知り合いのわけがない。
危ない!
そのときになり、ようやく、リリアーナの脳内で警告の笛が鳴り響いた。
たちまち、どくどくと血の巡りが速くなる。
両親から、巷では厄介な輩がうろついているから、決して裏口には回らないようにと言いつけたられていたことを思い出した。
貧富の差が激しい王都では、強盗、誘拐、脅迫、詐欺など、あらゆる犯罪が茶飯事だ。
治安の悪化を憂いた政府により、治安警察が組織されたものの、溢れ返る犯罪者に、まだ彼らの手は充分ではない。
目の前の男も悪党の類だ。
世間知らずのリリアーナも、さすがに確信する。
「小うるさいガキめ! 」
男はリリアーナに企みがバレて、本性を剥き出した。
たちまち、カッと男の落ち窪んだ目が見開く。
男の熊のように指先まで毛深い手が、リリアーナに伸びる。
「いやああああ! 」
リリアーナは叫んだ。
43
お気に入りに追加
311
あなたにおすすめの小説
転生悪役王女は平民希望です!
くしゃみ。
恋愛
――あ。わたし王女じゃない。
そう気付いたのは三歳の時初めて鏡で自分の顔を見た時だった。
少女漫画の世界。
そしてわたしは取り違いで王女になってしまい、いつか本当の王女が城に帰ってきたときに最終的に処刑されてしまうことを知っているので平民に戻ろうと決意した。…したのに何故かいろんな人が止めてくるんですけど?
平民になりたいので邪魔しないでください!
2018.11.10 ホットランキングで1位でした。ありがとうございます。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
会うたびに、貴方が嫌いになる
黒猫子猫(猫子猫)
恋愛
長身の王女レオーネは、侯爵家令息のアリエスに会うたびに惹かれた。だが、守り役に徹している彼が応えてくれたことはない。彼女が聖獣の力を持つために発情期を迎えた時も、身体を差し出して鎮めてくれこそしたが、その後も変わらず塩対応だ。悩むレオーネは、彼が自分とは正反対の可愛らしい令嬢と親しくしているのを目撃してしまう。優しく笑いかけ、「小さい方が良い」と褒めているのも聞いた。失恋という現実を受け入れるしかなかったレオーネは、二人の妨げになるまいと決意した。
アリエスは嫌そうに自分を遠ざけ始めたレオーネに、動揺を隠せなくなった。彼女が演技などではなく、本気でそう思っていると分かったからだ。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【完結】救済版:ずっと好きだった
ユユ
恋愛
『ずっと好きだった』を愛読してくださった
読者様にお応えして、救済版として作りました。
あのままでいいという方は読まないでください。
かわいそうなエヴァンとライアンの為のものです。
『ずっと好きだった』を読まないとこの話は理解できないようになっています。
章分けしています。
最初はエヴァン。次はライアン。
最後はライアンの子の章です。
エヴァンとライアンの章はそれぞれ纏めて公開。
ライアンの子の章は1日1話を公開します。
暇つぶしにどうぞ。
* 作り話です。
* 完結しています。
* エヴァンの話は別ルートです。
* ライアンの話は転生ルートです。
* 最後はライアンの子の話しです。
婚約破棄寸前の悪役令嬢に転生したはずなのに!?
もふきゅな
恋愛
現代日本の普通一般人だった主人公は、突然異世界の豪華なベッドで目を覚ます。鏡に映るのは見たこともない美しい少女、アリシア・フォン・ルーベンス。悪役令嬢として知られるアリシアは、王子レオンハルトとの婚約破棄寸前にあるという。彼女は、王子の恋人に嫌がらせをしたとされていた。
王子との初対面で冷たく婚約破棄を告げられるが、美咲はアリシアとして無実を訴える。彼女の誠実な態度に次第に心を開くレオンハルト
悪役令嬢としてのレッテルを払拭し、彼と共に幸せな日々を歩もうと試みるアリシア。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる