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第一章
噂雀らの視線
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「まあ! ふしだらな! 」
怪しげな雰囲気を割ったのは、ヒステリックな年配女性の非難だった。
「恋人でもない男女が、表立っていかがわしいことを」
銀縁眼鏡のお堅いご婦人は、扇で口元を隠してさも穢らわしいものを見るような目を向けてきた。
しかし、アメリアは知っている。
その扇の下にある口は、たった今見たことを誰彼構わず言いふらしたくて堪らないということを。
そして、お堅い身なりは単なる目眩しで、若い愛人にどっぷりと嵌り込んでいるということも。彼女の背後には、髪の長い金髪青年が控えていた。抜け抜けと愛人と逢引きの最中だったのだ。
自分のことは棚に上げて、面白おかしく騒ぎ立てる。
「じ、事故ですわ! 」
野次馬から根も葉もない噂が広がるのは明らかだったが、それでも言われっぱなしにするつもりはない。
「こ、これは事故です! 意思が働いたわけではありません! 」
「まああ! 本当に!? 」
銀縁眼鏡の婦人は大袈裟なくらいに仰け反って、キイキイと耳障りな声を上げた。
その声は、庭にいた人々を一気に注目させるに充分だった。むしろ、そうなることを彼女は狙っていた。
途端に二人は円状に囲まれてしまった。大広間からも、何だ何だと人々が寄ってくる。
「ブランシェット、どういうことだ? これは? 」
騒ぎをききつけた兄ハリーは、人々をかき分け、中心にいるエデュアルトに詰め寄る。
エデュアルトはわざとらしく肩を竦めてみせた。
「どうもこうも、アメリアがそう言うのだから、そうなんだろう」
「おい」
騒動の中心にいるというのに、まるで他人事の物言いだ。
「ふざけるなよ」
親友といえど、妹の名誉を傷つけた男の胸倉を掴み上げる。
彼より背が高く力のあるエデュアルトは、難なくその手を振り払った。
続けて、顔を真っ赤にさせて今にも泣き出してしまいそうに打ち震えるアメリアの前に立ち塞がり、好奇な視線を遮る。
「とにかく。これは、ちょっとした事故だ。何でもありませんよ、皆さん」
まるで芝居の段取りのような身振り手振りで、集まった人々を追い返す。
「さあ。パーティーはまだまだ続いていますよ。どうぞ、お楽しみください」
ゴシップ好きの連中は物足りなさそうだったが、主催者であるブランシェット子爵の言葉に逆らおうとする者は一人としていない。皆んな、判で押したように不満そうな顔をしつつ、屋敷の中へと引き上げていく。
「おい、ブランシェット。説明しろ」
「それはパーティーが終わってからだ」
人々の波に逆らおうとするハリーを、エデュアルトは鬱陶しそうに追い返した。ハリーはまだ何か言おうとしていたが、ぎゅうぎゅう詰めの人々の波に呑まれ、否応なしに屋敷へと戻されていった。
再び静寂が戻る。
やれやれ、とエデュアルトは乱れた前髪を指で整えた。
「よ、よくも謀ったわね! 」
我慢し切れずボロボロと大粒の涙を溢すアメリア。目を真っ赤に腫らせて涙を流そうが、みっともなく鼻水を垂らそうが、とにかく見栄えより感情の方が勝った。
「何のことかな? お嬢さん? 」
エデュアルトは小首を傾げながら、懐から糊のきいたハンカチを差し出す。
「わ、私の名誉を傷つけて! 」
アメリアはそれを引っ手繰ると、思い切り鼻をかんだ。
嫌そうにエデュアルトはハンカチを取り返し、躊躇しつつポケットに仕舞い込む。
「わざとじゃないさ。普通なら今の時間、この庭には誰も寄り付かないんだよ」
「ばっちりと見られていたわ」
「ああ。あのゴシップ好きな婦人にな。迂闊だった」
「わざと見せつけたのでしょう? 最低! 」
「だから、誤解だ」
アメリアは信じられない。
「とんだスキャンダルだわ! ゴシップ好きな噂雀達よ。尾鰭がついて、明日には私の噂は王都中を駆け巡るわ」
言いながら、視線は自然とエデュアルトの唇の動きを追ってしまう。
つい今しがたまでの、蕩けるような甘さは粉々に消し飛んでしまっていた。
エデュアルトは腕組みし、顎に拳を当てて考え込む。
「これでは、結婚して噂を払拭するしかないな」
「あなたと!? 」
「まさか」
彼の整った眉がヒョイと上がる。
「ヴィンセントが適当な相手を見繕ってくるだろう」
アメリアは怒りのあまり、ドレス生地をぐしゃぐしゃに握りしめた。
無責任な言い方。原因の一端はエデュアルトにもあると言うのに。勿論、軽率に挑発に乗ってしまった自分が悪い。
「あ、あなたの名誉も地に堕ちたわよ」
悔し紛れにギリギリと歯を擦り合わせ、エデュアルトを睨みつける。
「俺はとっくに堕ちてる。今更だ」
言葉通り、その堕落ぶりは地の底を這っている。失う名誉などとっくにない。
「さあ、もう逃げ場はないぞ。今夜が独身最後のパーティーになるかな」
エデュアルトは残忍な笑みを貼り付かせた。
たとえ過去のほんの僅かだろうと、淡い恋心を彼に向けていた娘に放つ言葉だろうか。そこには、多分に楽しげな響きさえ含まれている。
「最低! 」
アメリアはめいいっぱい叫んだ。
エデュアルトは単なる放蕩者ではない。
この上なく極悪な、根性のねじくれ曲がった悪魔だ。悪魔は人間を惑わすために、時に天使のように美しく化身するという。
まさに、この男のことだ。
怪しげな雰囲気を割ったのは、ヒステリックな年配女性の非難だった。
「恋人でもない男女が、表立っていかがわしいことを」
銀縁眼鏡のお堅いご婦人は、扇で口元を隠してさも穢らわしいものを見るような目を向けてきた。
しかし、アメリアは知っている。
その扇の下にある口は、たった今見たことを誰彼構わず言いふらしたくて堪らないということを。
そして、お堅い身なりは単なる目眩しで、若い愛人にどっぷりと嵌り込んでいるということも。彼女の背後には、髪の長い金髪青年が控えていた。抜け抜けと愛人と逢引きの最中だったのだ。
自分のことは棚に上げて、面白おかしく騒ぎ立てる。
「じ、事故ですわ! 」
野次馬から根も葉もない噂が広がるのは明らかだったが、それでも言われっぱなしにするつもりはない。
「こ、これは事故です! 意思が働いたわけではありません! 」
「まああ! 本当に!? 」
銀縁眼鏡の婦人は大袈裟なくらいに仰け反って、キイキイと耳障りな声を上げた。
その声は、庭にいた人々を一気に注目させるに充分だった。むしろ、そうなることを彼女は狙っていた。
途端に二人は円状に囲まれてしまった。大広間からも、何だ何だと人々が寄ってくる。
「ブランシェット、どういうことだ? これは? 」
騒ぎをききつけた兄ハリーは、人々をかき分け、中心にいるエデュアルトに詰め寄る。
エデュアルトはわざとらしく肩を竦めてみせた。
「どうもこうも、アメリアがそう言うのだから、そうなんだろう」
「おい」
騒動の中心にいるというのに、まるで他人事の物言いだ。
「ふざけるなよ」
親友といえど、妹の名誉を傷つけた男の胸倉を掴み上げる。
彼より背が高く力のあるエデュアルトは、難なくその手を振り払った。
続けて、顔を真っ赤にさせて今にも泣き出してしまいそうに打ち震えるアメリアの前に立ち塞がり、好奇な視線を遮る。
「とにかく。これは、ちょっとした事故だ。何でもありませんよ、皆さん」
まるで芝居の段取りのような身振り手振りで、集まった人々を追い返す。
「さあ。パーティーはまだまだ続いていますよ。どうぞ、お楽しみください」
ゴシップ好きの連中は物足りなさそうだったが、主催者であるブランシェット子爵の言葉に逆らおうとする者は一人としていない。皆んな、判で押したように不満そうな顔をしつつ、屋敷の中へと引き上げていく。
「おい、ブランシェット。説明しろ」
「それはパーティーが終わってからだ」
人々の波に逆らおうとするハリーを、エデュアルトは鬱陶しそうに追い返した。ハリーはまだ何か言おうとしていたが、ぎゅうぎゅう詰めの人々の波に呑まれ、否応なしに屋敷へと戻されていった。
再び静寂が戻る。
やれやれ、とエデュアルトは乱れた前髪を指で整えた。
「よ、よくも謀ったわね! 」
我慢し切れずボロボロと大粒の涙を溢すアメリア。目を真っ赤に腫らせて涙を流そうが、みっともなく鼻水を垂らそうが、とにかく見栄えより感情の方が勝った。
「何のことかな? お嬢さん? 」
エデュアルトは小首を傾げながら、懐から糊のきいたハンカチを差し出す。
「わ、私の名誉を傷つけて! 」
アメリアはそれを引っ手繰ると、思い切り鼻をかんだ。
嫌そうにエデュアルトはハンカチを取り返し、躊躇しつつポケットに仕舞い込む。
「わざとじゃないさ。普通なら今の時間、この庭には誰も寄り付かないんだよ」
「ばっちりと見られていたわ」
「ああ。あのゴシップ好きな婦人にな。迂闊だった」
「わざと見せつけたのでしょう? 最低! 」
「だから、誤解だ」
アメリアは信じられない。
「とんだスキャンダルだわ! ゴシップ好きな噂雀達よ。尾鰭がついて、明日には私の噂は王都中を駆け巡るわ」
言いながら、視線は自然とエデュアルトの唇の動きを追ってしまう。
つい今しがたまでの、蕩けるような甘さは粉々に消し飛んでしまっていた。
エデュアルトは腕組みし、顎に拳を当てて考え込む。
「これでは、結婚して噂を払拭するしかないな」
「あなたと!? 」
「まさか」
彼の整った眉がヒョイと上がる。
「ヴィンセントが適当な相手を見繕ってくるだろう」
アメリアは怒りのあまり、ドレス生地をぐしゃぐしゃに握りしめた。
無責任な言い方。原因の一端はエデュアルトにもあると言うのに。勿論、軽率に挑発に乗ってしまった自分が悪い。
「あ、あなたの名誉も地に堕ちたわよ」
悔し紛れにギリギリと歯を擦り合わせ、エデュアルトを睨みつける。
「俺はとっくに堕ちてる。今更だ」
言葉通り、その堕落ぶりは地の底を這っている。失う名誉などとっくにない。
「さあ、もう逃げ場はないぞ。今夜が独身最後のパーティーになるかな」
エデュアルトは残忍な笑みを貼り付かせた。
たとえ過去のほんの僅かだろうと、淡い恋心を彼に向けていた娘に放つ言葉だろうか。そこには、多分に楽しげな響きさえ含まれている。
「最低! 」
アメリアはめいいっぱい叫んだ。
エデュアルトは単なる放蕩者ではない。
この上なく極悪な、根性のねじくれ曲がった悪魔だ。悪魔は人間を惑わすために、時に天使のように美しく化身するという。
まさに、この男のことだ。
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