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令嬢の誤算

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 誤算だった。
 シェカール公爵サーフェス・ディアミッド・マクラバーという男を侮っていたといっても良い。


「マーレイ! マーレイ! マーレイ! 」
 またしても朝っぱらから賑々しく父に名前を連呼されて、マーレイは寝不足によるこめかみの疼きが余計に酷くなり呻いた。
「どうなさったの、お父様? まだ朝食には早いのではなくて? 」
 やっとベッドから起きて、朝の召替えをしたばかりだ。
 昨夜、ケアランがあんまり勧めるものだから、渋々と「或る愛の軌跡」に挟んだ栞のページから読み進めたのだ。


 冒頭の赤面するようなキスシーンから中盤までは、怒涛の展開で、恋愛要素まるでなし。
 主人公が、しつこい求愛者の公爵を振った腹いせに無実の罪で投獄されるまでは、固唾を飲んで必死にページを捲った。
 主人公の悲壮に自身を投影し、涙まで流した。
 が、中盤から赴きが変わって、いっぺんに涙が引っ込んでしまった。
 恋愛小説要素が薄まって、官能が露骨だ。
 序盤のキスなんて、子供のお遊びだと思えるくらいに。
「じょ、女性の胸の谷間に性器を挟むことを強要するなんて。何て卑猥な。しかも、牢から出すことを条件にするなんて。ジャックという男は、何て卑怯なの」
 マーレイは怒り心頭で、思わずページを拳で叩いてしまった。
「リシュエルもどうかしてるわ。幾ら亡き夫とは形ばかりの夫婦だったとしても。未亡人になったばかりのくせに、年下の男の甘言にのぼせるなんて」
 葡萄色の襟ぐりの詰まったドレスに袖を通しながら憤慨するマーレイに、ケアランは心底呆れたような溜め息をついた。
「そのような感想をお持ちになるのは、お嬢様くらいなものですよ」
「まあ! では他の方はどう思っているの? 」
「めくるめく愛のシーンに釘付けですよ」
「あの、いかがわしいまぐわいが? 」
「二人の距離がぐっと近づく重要なシーンですよ」
「無理やり男性器を舐めさせられる、あれが? 」
 身も蓋もない言い方に、ケアランは話にならないと首を横に振った。
 経験のないマーレイにとって、嫌悪感でしかない。
 貴族社会がまだまだ男性上位だとしても、現在国を統治しているのは女王であり、数年前より幾らかは女性の地位が向上してきたと言うのに。
 男性に組み敷かれて悦んでいるなんて。
 時代を逆行しているとしか思えない。
「お嬢様も経験を積まれたら、リシュエルの気持ちがわかりますよ」
「わかりたくないわ」
 フンとマーレイは鼻を鳴らす。
 小説は監獄の卑猥なシーンで早々に閉じてしまった。寝不足は、怒りで腹の虫が治らなかったからだ。


「マーレイ! 」
 どんどんとドアを連打する父。
「どうなさったの? お父様? 」
 うんざりとマーレイは尋ねた。
 鼻息を荒くさせ、ズカズカと入ってきた父は、興奮して目が血走っている。
 以前も同じことがあった。
 あのときは、シェカール公爵からの文が届いた。
 二度も同じことはない。 
 きっと公爵は自分を避けるはずだから。
 だが、マーレイのその考えは誤算だった。
「公爵だ! 」
「え? 」
 父が声を張り上げる。
「シェカール公爵、直々にお前を迎えに来られた! 」
「え? え? 」
「早く支度をしろ! 」
 意味がわからず、マーレイはケアランに助けを乞う視線を送る。
 ケアランは選択肢から外れたドレスをクローゼットに仕舞っているところだったが、何やら言いたそうにマーレイに対してニンマリした。
「公爵が今、我が家の応接室でお待ちなんだ! 」
「こ、公爵が? 遣いでなくて? 」
 観劇の際は父は所用で留守にしており、迎えは遣いの者だったから、このような大騒ぎにはならなかった。
 そもそも呼びつけた主人あるじ自らが迎えに来るなんて、余程のことだ。
「な、何故? 」
 混乱を来すマーレイに焦れた父は、いらいらと床を踏んだ。
「お前を公爵家の朝食に招待したいとのことだ! 」
「な、何故? 」
「知らん! 」
 たった一言でマーレイの疑問は片付けられてしまった。
 シェカール公爵という男は、マーレイの常識をことごとく覆す。侮れない。
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