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仮面舞踏会の王子様

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「あっ! 」
 いきなりドアが開いたかと思えば、驚愕した低い声が短く途切れる。
 ライオンを彷彿とさせる襟足のやや長めな鳶色の髪。鋭い切れ長の琥珀色の双眸が、宝石を散らせた濃紺のアイマスクから覗く。高い鼻。薄い引き締まった唇。それらが見事に配置された面差しは、王都で人気を誇る舞台役者に全く引けを取らない。
 燕尾服を着こなす逞しい体躯は、日々の鍛錬の賜物。
 マーレイは、不意に現れた一匹のしなやかな猛獣を頭に思い浮かべる。
「あ、あの。申し訳ない。その、物音がしたので」
 男は戸惑い、ドアノブを引いたまま立ち尽くしている。
「い、いえ。無断で部屋に入ってしまったこちらが悪いのです」
 ロゼット紋様が織り込まれた濃紺のペルシャ絨毯が敷かれたこの部屋は、おそらく客間として使われているのだろう。
 ネオクラシック様式のマホガニー製のクイーンサイズベッドが中央に配置され、向かって右側には書斎机、左側には三段の引き出し箪笥とクローゼット。いづれも、この仮面舞踏会の主催者であるシェカール公爵家の紋章であるアイリスの花が彫刻されている。
 マーレイは彼に背を向けると慌てて仮面をつけた。
 伯爵令嬢が他所様の部屋で号泣などと知れたら、とんだ大恥だ。
「失礼するよ」
 ハンサムな男性はおずおずと近寄って、マーレイの背後でピタリと止まった。
「……! 」
 深呼吸して気を落ち着かせたマーレイは、振り返るなりドキリと胸を高鳴らせた。
 ヒールの高い靴を履いたマーレイよりも、確実に十センチは背が高い。
 両親も平均より高い方だが、初めて身内以外で自分の背を越す男性に出会って、息を呑んだ。
「あ、あの。ダンスはとっくに始まっているのだが? 」
「ええ。こちらまで音楽が届いておりますもの。承知しておりますわ」
 楽団の音色はワルツを奏でている。微かに風に乗り、隣の建屋まで届いてきた。
「その、君の相手が待っているのではないか? 」
 迷惑そうだ。
 舞踏会の最中を見計い、休みに来たのか。それとも、どこぞの令嬢を部屋に引き込む算段なのか。
 どちらにせよ、邪魔者を排したいのは明らか。
 言われなくとも、すぐに出て行くつもりだ。
「そうですわね。すぐに部屋を空けますわ」
「あ、いや。別に追い出すつもりは」
 言い終わらないうちに、彼はマーレイの手首を掴んで引き止めた。 
 びくり、とマーレイの体が痙攣する。
「あ、ああ。失礼」
 そんなマーレイの反応に、彼は驚きを隠せず、パッと掴んだ手を離した。
 男性と手すら繋いだことのない初心うぶだと見破られてしまった。
 今時、社交デビューデビュタントしたての小娘でも、手を繋ぐことはおろか、キスやそれ以上の物凄いことまでとっくにやってのけているというのに。
 淑女たるもの、初夜までは貞操を守り抜く。そんなもの、今や錆びついた戯言だ。
 きっと彼は呆れたに違いない。
「私に相手などおりませんわ」
 マーレイは俯き加減でキッパリ告げた。
 男性はマーレイの返答に動揺し、モゾモゾと膝を擦り合わせる。
「今夜はパートナーを伴っての参加要件だったはず? もしや、相手の男性が体調を崩されたのか? 」
「いいえ。至って健康ですわ」
「それなら急用でも? 」
「いいえ。今頃は、どこぞのご令嬢とダンスを楽しんでおりますわ」
「君以外と? 」
「ええ」
「何故? 」
 この男は、なかなか無神経だ。
 パートナーがいながら別の女性とダンスをしていると聞けば、誰でも遠慮して口を噤むはず。
 ぐいぐいと前のめりになるなんて、無礼にもほどがある。
「誰もいない部屋で男女が二人きり。余計な勘繰りが入る前にこれで失礼しますわ」
 これ以上、詰め寄られたら堪らない。
 マーレイは扇で顔を隠すと、スッと足音も立てずドアへと向きを変えた。
 
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