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かすみ草の淑女
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大広間に戻ったところで笑い者になるのは易々と予測出来た。
愛し合う二人であることを隠しもせず、今頃バルモアとフローレンスはワルツを踊っているのだ。
壁の花からようやく解放された悪役令嬢は、婚約者を寝取られた哀れな女として、人々から同情という表向きの好奇な視線をくらうだけ。
ますます惨めになってしまうのはわかっていたが。
ヴィンセント家の迎えの馬車が到着するには、まだまだ時間が掛かる。
馬車の待機にも序列があり、王族公爵を始めとして公爵、侯爵家と連なり、ようやくヴィンセント所有の伯爵家の馬車となる。ヴィンセントよりも身分の高い馬車を差し置いて乗り込むなど以ての外。
マーレイに残された選択は、仮面舞踏会に居座ること一択のみ。
「待ちたまえ。そんな顔で大広間に戻れば、何事かと注目を浴びてしまうぞ」
彼女を追いかけてきた男は、開きかけたドアを押さえて再びドアを閉ざした。おまけに鍵まで掛けて。
幾ら扇で誤魔化そうとしても、頬に引いた涙の筋は隠せない。
「それなら、中庭におります」
スプレー薔薇のアーチをくぐれば、そこは開放感のある中庭だ。
人魚の石膏像が飾られた噴水があり、それを中心に約千三百種もある薔薇が花開いている。
アイリスが細工された鋳物製のベンチがところどころに配置されているので、休むには困らない。
薔薇の他にもペチュニアやクレマチス、ラベンダーなど、春の花がその美しさを競い合い、芳しさに荒む心がきっと癒されるはず。
「駄目だ。五月といえどまだ冷える。風邪をひいてしまうぞ」
「でしたら、私はどうすれば良いのかしら? 」
ややムキになって問いかけてしまい、すぐさま目を伏せる。
相手はあくまでマーレイを慮って発言しているというのに。
「一つ名案があるのだが」
「え? 」
「お嬢さん。ダンスをお願い出来ますか? 」
唐突に男はマーレイに手を差し出してきた。節の張る長い指。マーレイの顔がすっぽり収まるくらい大きな手だ。
「レディ。返事を」
仮面から覗いた琥珀の瞳が優しく細められた。
いつも敵意剥き出しの視線しか与えられなかったマーレイにとって、男性からこれほど優しく接してもらったことなどない。
何か裏があるのではないかと、マーレイは警戒する。
「本気で仰っているの? 」
「勿論」
彼はマーレイの疑りを微笑んで一蹴した。
「あなたはかすみ草のように儚げだ」
もしや、どこぞの令嬢と思い違いしているのでは?
「かすみ草の淑女ですね、あなたは」
そのような比喩など似つかわしくない。儚げなど、自分とは真逆だ。ましてや、かすみ草など愛らしい小花など。ヴィンセント家の紋章の花でありながら、これほど相応しくない女であるのは自覚している。
「レディ。名前を教えていただけますか? 」
彼は耳元に唇を寄せてきて、低音で鼓膜を揺すってきた。
頭がくらくらする。
彼の声は毒を含んでいる。
「女性に尋ねる前に、まずは私が名乗るべきでしたね。私の名前は」
「お待ちになって」
うっかり口を滑らせそうになって、慌ててマーレイは留めた。
「今夜は仮面舞踏会。身を明かさないための仮面ですわ」
仮面をつけているのは、誰が誰だかわからなくすることが本来の目的。身分を明かせばその意味がなくなってしまう。
「そうでしたね」
残念そうではあるものの、彼も納得したらしい。琥珀の瞳がふわりと細くなった。
「では、改めて。ダンスを一曲」
「お受けしますわ」
マーレイは微笑んで、彼の手のひらに自分の手を重ねた。
愛し合う二人であることを隠しもせず、今頃バルモアとフローレンスはワルツを踊っているのだ。
壁の花からようやく解放された悪役令嬢は、婚約者を寝取られた哀れな女として、人々から同情という表向きの好奇な視線をくらうだけ。
ますます惨めになってしまうのはわかっていたが。
ヴィンセント家の迎えの馬車が到着するには、まだまだ時間が掛かる。
馬車の待機にも序列があり、王族公爵を始めとして公爵、侯爵家と連なり、ようやくヴィンセント所有の伯爵家の馬車となる。ヴィンセントよりも身分の高い馬車を差し置いて乗り込むなど以ての外。
マーレイに残された選択は、仮面舞踏会に居座ること一択のみ。
「待ちたまえ。そんな顔で大広間に戻れば、何事かと注目を浴びてしまうぞ」
彼女を追いかけてきた男は、開きかけたドアを押さえて再びドアを閉ざした。おまけに鍵まで掛けて。
幾ら扇で誤魔化そうとしても、頬に引いた涙の筋は隠せない。
「それなら、中庭におります」
スプレー薔薇のアーチをくぐれば、そこは開放感のある中庭だ。
人魚の石膏像が飾られた噴水があり、それを中心に約千三百種もある薔薇が花開いている。
アイリスが細工された鋳物製のベンチがところどころに配置されているので、休むには困らない。
薔薇の他にもペチュニアやクレマチス、ラベンダーなど、春の花がその美しさを競い合い、芳しさに荒む心がきっと癒されるはず。
「駄目だ。五月といえどまだ冷える。風邪をひいてしまうぞ」
「でしたら、私はどうすれば良いのかしら? 」
ややムキになって問いかけてしまい、すぐさま目を伏せる。
相手はあくまでマーレイを慮って発言しているというのに。
「一つ名案があるのだが」
「え? 」
「お嬢さん。ダンスをお願い出来ますか? 」
唐突に男はマーレイに手を差し出してきた。節の張る長い指。マーレイの顔がすっぽり収まるくらい大きな手だ。
「レディ。返事を」
仮面から覗いた琥珀の瞳が優しく細められた。
いつも敵意剥き出しの視線しか与えられなかったマーレイにとって、男性からこれほど優しく接してもらったことなどない。
何か裏があるのではないかと、マーレイは警戒する。
「本気で仰っているの? 」
「勿論」
彼はマーレイの疑りを微笑んで一蹴した。
「あなたはかすみ草のように儚げだ」
もしや、どこぞの令嬢と思い違いしているのでは?
「かすみ草の淑女ですね、あなたは」
そのような比喩など似つかわしくない。儚げなど、自分とは真逆だ。ましてや、かすみ草など愛らしい小花など。ヴィンセント家の紋章の花でありながら、これほど相応しくない女であるのは自覚している。
「レディ。名前を教えていただけますか? 」
彼は耳元に唇を寄せてきて、低音で鼓膜を揺すってきた。
頭がくらくらする。
彼の声は毒を含んでいる。
「女性に尋ねる前に、まずは私が名乗るべきでしたね。私の名前は」
「お待ちになって」
うっかり口を滑らせそうになって、慌ててマーレイは留めた。
「今夜は仮面舞踏会。身を明かさないための仮面ですわ」
仮面をつけているのは、誰が誰だかわからなくすることが本来の目的。身分を明かせばその意味がなくなってしまう。
「そうでしたね」
残念そうではあるものの、彼も納得したらしい。琥珀の瞳がふわりと細くなった。
「では、改めて。ダンスを一曲」
「お受けしますわ」
マーレイは微笑んで、彼の手のひらに自分の手を重ねた。
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