上 下
1 / 112

至上最悪な日

しおりを挟む
 ヴィンセント伯爵令嬢マーレイは、このまま気絶すればどんなに楽だろうと思ったが、生憎と自分の神経は肝心なところでかなり図太いようだ。
「あの? もう一度言ってくださる? 」
 半笑いの不気味な笑顔になっていようが、この際、構っていられない。
 仮面舞踏会が執り行われている大広間が、渡り廊下を挟んだ隣の建屋だということが、せめてもの救いだ。
 大勢の前で大恥をかかされるよりは、よっぽどマシ。
 そんなことを思いながら、マーレイは婚約者であるハミルトン子爵家次男のバルモアを見据えた。
 仮面から覗く濃い紫の瞳が鋭く尖る。
 バルモアは栗色のくせのある髪をしきりに撫で付けながら、マーレイの視線を居心地悪そうに受け止めた。
「だから、君との婚約破棄を願いたい」
 やはりバルモアの口から出て来たのは、先程と同じ台詞。
 空耳ではない。
「な、何故かしら? 」 
 動揺を悟られぬようレースの扇子で口元を隠しながら、背筋を正す。
 マーレイが背筋をピンと伸ばせば、バルモアの身長を余裕で五センチは越す。今はヒールの高い靴を履いているから、十センチは上だ。
 界隈では悪し様に「大女」だと男女問わず陰口を叩かれているのは知っているが。
 決してマーレイが大きいわけではない。
 この国の貴族ときたら、贅沢三昧で体を鍛えることもせず自堕落な生活を送っているから、栄養が偏って成長を著しく阻害して、背が低くて肥満気味なのだ。
 バルモアは痩せてはいるが、偏食がひどくて体は薄っぺらい。肌の色も病的に青白く、いつも目の下に大きな隈を作っている。
「答えなさい。バルモア」
 マーレイは低めの声で詰問する。
 それがバルモアを怯ませるとわかっていながら。
 虚勢を張っていないと、今にも泣き出してしまいかねないから。
「貴族の婚姻は当人同士のものではなくてよ? 両家の強い結びつきの上に成り立っているのよ? あなたも子爵家の次男ならわかっているのではなくて? 」
 我ながら高飛車な言い方だが、今やマーレイに残されているのは気位の高さしかない。
 破棄は嫌だと泣いて縋り付くくらいの可愛らしさがあれば、きっとこのような展開にはなっていない。
「それを踏まえた上で、あなたはこの私……いいえ、ヴィンセント伯爵家に喧嘩を売るおつもり? 」
 口をついて出てくるのは、バルモアを押さえつけるようなものばかり。
 バルモアは怯んで踵を引いたものの、ぶるぶると首を横に振ると、拳を握って発奮すると、ガッと髪と同じ色の目を見開いた。
「あ、相変わらず高飛車な女だな。君は」
「何ですって? 」
「そうやって威圧的に人を抑えようとして」
「私は常識的な話をしているだけよ」
 ツンとそっぽを向く。バサバサと長い睫毛を揺らして瞼を伏せる。
 バルモアは靴先を鳴らした。
「この僕が非常識だって言いたいのか? 」
「ええ。そうよ」
「バカなことを言うな。常識がないのは君じゃないか、マーレイ」
 目を閉じているのでハッキリしないが、指を差されているのはわかる。
 人に指先を突き出すなんて、非常識はどちらだろう。
 マーレイはムカムカする。
 バルモアの子供じみた仕草が気に食わないことが多々あったが、今夜も例外ではない。
 とても、マーレイより五歳上とは思えない。まるで寄宿学校に入る前の子供を相手しているようだ。
 ああ、なんて至上最悪な日だろう。
 マーレイは扇で隠した口元を血が滲みかねないほどきつく噛み締めた。


しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

お母様が国王陛下に見染められて再婚することになったら、美麗だけど残念な義兄の王太子殿下に婚姻を迫られました!

奏音 美都
恋愛
 まだ夜の冷気が残る早朝、焼かれたパンを店に並べていると、いつもは慌ただしく動き回っている母さんが、私の後ろに立っていた。 「エリー、実は……国王陛下に見染められて、婚姻を交わすことになったんだけど、貴女も王宮に入ってくれるかしら?」  国王陛下に見染められて……って。国王陛下が母さんを好きになって、求婚したってこと!? え、で……私も王宮にって、王室の一員になれってこと!?  国王陛下に挨拶に伺うと、そこには美しい顔立ちの王太子殿下がいた。 「エリー、どうか僕と結婚してくれ! 君こそ、僕の妻に相応しい!」  え……私、貴方の妹になるんですけど?  どこから突っ込んでいいのか分かんない。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

元彼にハメ婚させられちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
元彼にハメ婚させられちゃいました

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

処理中です...