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第一章:大英雄の産声《ルクス・ゲネシス》
45 剥奪
しおりを挟む注がれた珈琲を躊躇なく飲み干し、おかわりを注文した。
イキョウもおかわりを頼む。快く承諾したオクルスが部屋の奥へ引っ込んだところで、
「……さて、祝福もしたところで。そろそろ、本題に入ろうか」
イキョウは長卓の上で手を組んだ。
「今日、キミを呼んだ理由は他でもない。私の方にも圧力がかかってきてね。――この巻き紙に見覚えはあるかな?」
懐から出してきた巻き紙に描かれているのは、一つの華。当然、見覚えがある。
勇者を魔王領に向かわせるのを決めた国の国花――牡丹が刻まれている。
「国からの圧力か」
イキョウは頷く。巻き紙を開けることはなく、長卓の上においた。
「ディエス・エレの冒険者資格の即刻停止を求める文書だ。蒼銀等級の地位を剥奪せよとも書いてあった。時代はどうも君の敵となったらしい」
「まぁ、そんなこったろうと思った」
背もたれにもたれかかって、変化のない窓の外を見やった。
「国としては次の勇者一党の候補探しにまた冒険者組合を利用をしたいらしくてね。多額な資金を用意してくれたよ。魔導学院、傭兵、国の兵士はなんと選考から外して冒険者組合一極集中ときた! その理由は聞きたいかね?」
ヒラヒラと手を動かすと、イキョウは上機嫌だった眉を下げ、肩を竦めた。
その横で、オクルスが場の空気を堪能しながらも珈琲を注ぎに回っている。
「アイツの考えてることだ。なんとなく分かる」
「マスター、砂糖は?」
「ミルクをくれ――話が分かってるならいい。勇者のモスカ君と、塔の管理者の一人であるルートス君。冒険者組合からは、盾の一旗であるヴァンド。それを補うために」
「斥候と補助職を一人ずつ借りたい」
「聡いな。もしかして、募集の文言でも目にしたか?」
「珈琲に砂糖は付けますか?」
「最初付けてなかったろ――まさか! 今のアイツらがどうしようが俺には関係ない話だ。ただ足りない部分を言っただけさ」
自分が一党内でやっていた仕事くらいは把握しているつもりだ。
「ディエス様、ミルクはどういたしましょう?」
「……いただくよ。えぇと、オクルス?」
「えぇ、オクルスです。下の名もお聞きになりますか? 冒険者組合の職員ですので、なんでも気兼ねなくお尋ねください」
「じゃあ、引っ込んどいてくれ」
「分かりました」
壁際に寄ったオクルスから視線を切ると、イキョウも同じように呆れたように笑って。
「ならば、深い話はしなくてもいいのか」
「ン。じゃあ、ホラ」
自分の首から下げていた認識票を滑らせてイキョウに投げた。
「……」
長卓を滑り、目の前に来た青銀等級の認識票に目を落とす。
大海が太陽を包み込んだような認識票は、誰もが手を伸ばしても届かなかった称号だ。
たった一人の男が必死に身を削って、辛苦を飲み干し、積み上げた誰もが羨む地位。
「……オマエなぁ、そう易易と渡すもんじゃないぞ」
「なんでだ? お前らが欲したものだろう」
職務を全うしたと労うわけでもない。
たった一つの文書で、剥奪する。これが平然と行われている。王様のちからというのは計り知れないな。
「今すぐにではなかったのだが、いいのか?」
「この状況じゃあ依頼も出来そうにないしな。それに、今のオレは蒼銀等級の実力なんてねぇよ」
「…………」
肩をすくめると、オクルスは手を止め、イキョウは息をついて頬を掻く。
「……英雄になるのではないのか?」
「オイオイ。どの口が言う。等級を返せと言ったのはそっちだぞ?」
「何も敵意を剥き出しにすることはない。ただの確認だよ」
全て分かっていて聞いている。オレは溜息を長く吐いた。
「なりたいさ。でも、その力が今のオレにはない」
この言葉も、何回繰り返しただろうか。
かつての全盛期の動きはできなくなっている。
そこらの冒険者には負ける気はないが、それでも前線で戦えるほどの力はもうないのは分かっている。
オクルスという冒険者職員にも勝てなかったしな。
「それは諦めの言葉かな」
「……どういうことだ?」
「私には、なりたくて堪らない、と言っているように聞こえるんだがね」
イキョウはくつくつと笑った。
「なりたくば、なればいい。昔からお前はそういう奴だ。昔、私に向かって英雄になるから黙って登録させろ、と啖呵を切った時よりかは格段に強くなっている。なのに、諦めようとする理由はなにかな?」
「言っただろう。もう、オレの体は限界なんだよ」
「壁の上り方は一つではない。英雄との間にある壁を超えるためにするべきは、現実を見て嘆くことではなく、壁を超える方法を考える、ではないかな?」
「説教か? 自分のことは自分で分かってんだよ」
「分かってはいないさ」
イキョウの瞳に射抜かれ、自然と口を閉じた。
「ディエスはまだ何も成し遂げてはいないのだから」
幼い頃のエレを知っているからこそ。
あの時の覚悟をしていたエレを知っているからこそ。
エレを信じて身を切った者だからこそ。
(…………イキョウも、ヴァンドと同じことを言うのか)
「力がなければ搾取されるだけだ。それをお前はよく知っている。よーく知ってるとも……なぁ、影の子よ」
「……」
あぁ、痛いほど知っている。
「なれる見込みがないから、もう目指さない? バカを言うな。若造が全てを知り得た気になってどうする? 体を言い訳にして打ちひしがれるのは止めろ。頑張り給えよ。この老骨をもっと楽しませてくれ」
「……結局は、自分のためかよ」
「期待をしているよ。ハッハッハ!」
ニコリと笑うイキョウの言葉は体に染み込んでいくような気がした。
自然とオレの顔にも笑みが浮かぶ。
「まぁ、どのみち、その認識票は返しておく」
「ほお? コレがあったほうが英雄の道には近道だと思うがね」
「後続のために席を開けるのも先を歩く者の役目だ。それに、英雄の道に近道なんてねぇよ。それはアンタが気にかけている新人でもいればソイツにでもあげればいい」
「ふむ。ならば、いっそのこと0からのスタートをするのはどうだ? 今のディエスは敵が多すぎる」
「0から?」
「そうだ。身分を一度なくし、やり直しをする。どうだ? 悪い話ではないだろう?」
「一度死ねってか? 死のうとしても死なないってのに?」
鼻で笑うと、イキョウは使い古されても丁寧に磨かれているその認識票をゆっくりと時間をかけて受け取った。
「じゃあ、今日の話は終わりか? オレも色々と用事があってな」
「まぁ待て待て、そう急かせかするな」
「歳を取ると会話が好きになるな。なんだよ」
「やはり反抗期か。おじいちゃんは悲しい」
真剣な顔でそう言い切るジジイにめんどくさいと顔に出してみるが通じる訳もない。
「はいはい。労わらせていただきますよ。高齢者は大事にするべきだ。何を言われようともな」
「当然だ。この時代の高齢者は貴重だぞ?」
「うっせぇよ――で、話は?」
気がつけば、カーテンは全て締め切られており、屋内の灯りは徐々に暗くなっていっていた。長卓の上に燭台が現れ、長さがバラバラな火の灯った蝋燭が立てられている。
「なに、もう一つ話があるのだ。というよりも、こちらの方が面白い話かもしれないがな! はっはっは!」
咳払いをして、腕を組み――今までで一番の笑顔で問いかける。
「ディエスの連れていたあの少女神官。勇者一党へくれないだろうか?」
カチと、時計の長針が残り時間を知らせた。
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