上 下
1 / 68
第一章:大英雄の産声《ルクス・ゲネシス》

プロローグ

しおりを挟む



「誰かの言う通りに従っても、その誰かはその責任を取ってくれないんだよ」──三英雄・森王賢者の言葉から抜粋。


    
「オレだって──勇者になりたかった……!!」

 吹き荒ぶ雪の中、変声期も迎えていない少年の声が山岳地帯に響き渡っていた。
 白銀の世界には似つかわしくない黒髪と黒の瞳をしている少年は、一言で言うと朽ちた体をしていた。
  
 小さな腹部からまろびでるのは、絡まりながら地面に線をなぞる線上の臓物。片腕は千切れ落ち、片目の涙堂が潰されている。その姿で生きていることが不思議に思う様だが、彼は神様に異能によって”生かされている状態”だった。

「こんなことをしたくて……オレは、生まれてきた訳じゃない……っ」

 そう信じたい自分と、雪原に惨めに立つ自分の姿の乖離に狂いそうになるほどの頭痛が襲う。
 涙堂が潰されていることで、真っ赤な涙が溢れ出した。 
 頬に伝う温かう液体が急速に外気に冷やされるのを感じながら、少年はまた泣いた。

 靴の脱げた足は青白く腐り、着ていた神官服も防寒具としての機能をとうの昔に投げ出している。何ヶ月にも及ぶ雪山での闘争によって、小鬼の糞尿と血液が混ざりに混ざったニオイが漂っていた。

 だが、もう、彼は自分の体に頓着するほどの余裕はなかった。

「どうして……そこまでして、戦うのですか」

 そんな少年の前で、聖女が慈しみの瞳で問いかける。

「それしか……教えられてないから」

 聖女の潤む瞳を少年は見上げた。聖女は引きつったような声を喉から出した。

「オマエ……あの日から、ずっと……?」

 赤髪の剣聖が問う。

「居場所……が、なくなったから」

 少年の出しても良い声色ではない。
 少年がしていい瞳の色ではない。
 大人びた瞳──いや、諦めることに慣れてしまった瞳だ。
 
「殺しても死なぬ体とは、神も厄介な異能を授けたものだな」

 翠石の賢者は体を眺めながら話す。

「…………この体は、呪いだ」

神殿の子ベネデッドが呪いだと? 祝福の間違いだろう」

「祝福……? この体を見て、そう思うか……?」

 腹からまろびでていた臓器はキレイに元通りになり、潰れていた片目はゆっくりと元に戻っている。
 人智を遥かに超えたソレは神の祝福──と呼ぶには最も遠く離れた怪異だった。
 赤髪の剣聖がその少年の瞳に一歩、後退りをした。
 翠石の賢者は興味深そうに瞳を細める。




 少年の前にいるのは、三人の英雄だった。
 雪山に恐ろしく早い小鬼がいる、と。そう噂を聞き、山に登った。
 ところがどうだ。実際にいたのは……あの日、あの場所の最前線にいた──輝かしい瞳をしていた少年じゃないか。
 
 三英雄は変わり果てた『勇者候補』の姿に現しきれないほどの感情を飲み込む。

 あの日……勇者選定の日に見た少年の姿は輝いていた。
 神官服に身を包み、礼拝堂の最前席で勇者への神託イレーネを待ち望んでいたは記憶に新しい。

 勇者になるためだけに育てられていた子どもたちの内の一人。
 神殿内の神官たちも彼らには多くの期待を寄せていた。
 
 が、彼がこうなってしまった理由も三人は知っていた。
 彼は勇者に選ばれなかったのだ。
 
 
 

「オマエはなんで勇者になりたいんだ?」

 赤髪の剣聖が問いかける。

「……その夢さえなくなったら…………オレ、空っぽなんだ──本当にあいつらがいう通り、ただのバケモノだ。
 兄妹が何回も殺された。護れる力がほしかった。
 みんなを見返す……力が、欲しかっただけなのに」

 不安と焦燥感が渦巻き、胸の異物感となる。
 それらを吐き出そうと胸を押さえつけた。

 勇者になるために育てられた器。
 その器が神託で満たされなければ、それはただの器……いや、幼い体には過ぎた力を持つバケモノの誕生だ。
 その後の彼がどのような扱いを受けてきたかは、想像に難くない

「────なぁ。答えてくれよ。オレさぁ、どうしたらいい……?」

 少年は歩み寄る。

「なぁ……なぁ──ナァ!! オレ、どうしたらいいんだよ!!」

 腕が再生した少年は、自分の髪の毛をかきむしりながら、再生した涙堂に溜まった液体をその星空のような瞳からこぼした。

「真っ暗なんだよぉ……もう……イヤなんだ。勇者に選ばれなかった俺は……価値がない、バケモノなんだ……っ」

 聖女は涙を流し、剣聖は言葉を失う。

「……生きることが、こんなにつらいことだって知ってたら……生まれてこなかったのに…………っ!!!」

 体がすべて再生した少年はその場に蹲り、声を枯らして泣いていた。
 そんな残酷なほどまでに美しい彼の瞳を見て、英雄の一人が歩み寄る。

 ぱちぱち、と乾いた音が聞こえ、顔を上げると賢者は笑みながら拍手をしていた。

「良いぞ。その瞳、気に入った。良し、地面に堕ちて伸びる影の子よ。その問の答えを授けよう」

 翠石の賢者は手を差し伸べる。

「勇者に選ばれなかったら、英雄になればいい」

「……英雄、に……?」

「影の言葉を聞く限り、勇者にならずとも達成できることばかりだ。要は周りに認めさせ、人を護る力を付けたいのだろう? そんなの英雄と呼ばれる私達は幾度となく行ってきた」
 
「英雄になれば……アイツらを見返せる……?」

「あぁ! その通りだ!」

 美しい顔に浮かぶのは豪快な笑み。
 神殿から教えられたことしか知らない少年に、賢者の話す言葉はすべてが新しいものだった。

 ──だって、周りは勇者になれって。
 ──勇者にならないとお前らに価値はないって。

「だが、簡単ではない。勇者に選ばれて用意される人生よりも、過酷で、色濃く、後悔の連続の人生になるだろう。しかし、それらをその双脚で踏み抜いた時、勇者に選ばれなかったことを誉れに思えるようになるだろう。どうだ、神殿の子よ」

 誰も、そんなこと言ってくれなかったのだ。

「腹部から臓器を引き摺りながら灼熱の遠路を歩む覚悟はあるか?」

 誰も、少年を救ってくれようとしてくれなかった。
 周りの大人たちの期待を裏切った少年は、ただのバケモノだって。
 人外の祈らぬ者ノンプレイヤーだって。
 殺したほうが良いって、言われてた、のに。

「ついていけば……オレにも、できるかなぁ……っ?」

 ──なんで、そんなオレにまだ期待を抱かせてくれるんですか。

「もちろんだ。断言してもいい。私らは勇者でなければ、その血縁でもないのだから……勇者に選ばれなくとも、英雄にはなれる」

 だが、と賢者は言葉を区切る。

「英雄になるための近道は、勇者の付き人として勇者を支えることだ。勇者を生かすことで自ずと名声は高まっていく。影にとっては残酷な道となるがな。それでも良ければ──」

「なんだってやるよ……! なんだってやる!」

 快い承諾を得られ、三英雄は口元に笑みを湛えた。
 少年に迷う理由はなかった。
 生きる意味を失っていた少年の前に出てきた道はなによりも光り輝いて見えた。

「ならば決まりだ。さぁ、私達に着いてくるといい。と、その前に……名前を聞いておこうじゃないか」

「オレの名前……」

 賢者の手を取り、少年はその道を歩みだした。
 
「エレ──ディエス・エレって言います」

 これは、今は名も無き少年が英雄になるまでを軌跡を綴った英雄譚である。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

【完結】4人の令嬢とその婚約者達

cc.
恋愛
仲の良い4人の令嬢には、それぞれ幼い頃から決められた婚約者がいた。 優れた才能を持つ婚約者達は、騎士団に入り活躍をみせると、その評判は瞬く間に広まっていく。 年に、数回だけ行われる婚約者との交流も活躍すればする程、回数は減り気がつけばもう数年以上もお互い顔を合わせていなかった。 そんな中、4人の令嬢が街にお忍びで遊びに来たある日… 有名な娼館の前で話している男女数組を見かける。 真昼間から、騎士団の制服で娼館に来ているなんて… 呆れていると、そのうちの1人… いや、もう1人… あれ、あと2人も… まさかの、自分たちの婚約者であった。 貴方達が、好き勝手するならば、私達も自由に生きたい! そう決意した4人の令嬢の、我慢をやめたお話である。 *20話完結予定です。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

別に構いませんよ、予想通りの婚約破棄ですので。

ララ
恋愛
告げられた婚約破棄に私は淡々と応じる。 だって、全て私の予想通りですもの。

殿下から婚約破棄されたけど痛くも痒くもなかった令嬢の話

ルジェ*
ファンタジー
 婚約者である第二王子レオナルドの卒業記念パーティーで突然婚約破棄を突きつけられたレティシア・デ・シルエラ。同様に婚約破棄を告げられるレオナルドの側近達の婚約者達。皆唖然とする中、レオナルドは彼の隣に立つ平民ながらも稀有な魔法属性を持つセシリア・ビオレータにその場でプロポーズしてしまうが─── 「は?ふざけんなよ。」  これは不運な彼女達が、レオナルド達に逆転勝利するお話。 ********  「冒険がしたいので殿下とは結婚しません!」の元になった物です。メモの中で眠っていたのを見つけたのでこれも投稿します。R15は保険です。プロトタイプなので深掘りとか全くなくゆるゆる設定で雑に進んで行きます。ほぼ書きたいところだけ書いたような状態です。細かいことは気にしない方は宜しければ覗いてみてやってください! *2023/11/22 ファンタジー1位…⁉︎皆様ありがとうございます!!

【完結】さようならと言うしかなかった。

ユユ
恋愛
卒業の1ヶ月後、デビュー後に親友が豹変した。 既成事実を経て婚約した。 ずっと愛していたと言った彼は 別の令嬢とも寝てしまった。 その令嬢は彼の子を孕ってしまった。 友人兼 婚約者兼 恋人を失った私は 隣国の伯母を訪ねることに… *作り話です

処理中です...