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第2章:失って得るモノ

第10話:ふたりの距離

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 レオナルト=ヴィッダーは広場のど真ん中で石畳にへたり込んで座りつつも、左腕だけは真っ直ぐにバルコニーに立つアイリス=クレープスに向けていた。その彼の左の腕先には紅い波模様が走る黒い手甲ナックル・カバーが装着されており、静かに鳴動しはじめる。禍々しい黒いオーラが今まさに噴き出そうとする矢先、彼のみぞおちに向けて膝蹴りをかます人物が居た。

「お待ちになってくださいまし? こんなところでとんでもないことをしでかそうとするんじゃありませんことよ。ったく。この場を血の海にする気なのカシラ?」

 その者は真っ黒いローブを纏い、これまた真っ黒いフードで顔を隠していた。レオナルト=ヴィッダーの両脇に立っていたクルス=サンティーモとデーブ=オクボーンは眼を白黒とさせてしまう。彼らふたりの眼からは、その怪しげな恰好をしている人物が突然、どこからともなく現れたかのように見えたからだ。激しく動揺するふたりを余所に、ウゲッゴホッ! とえずくレオナルト=ヴィッダーの背中側に回り、彼の首に細い両腕を回し、チョークスリーパーホールドをかます。

「さあ、今はまだお寝んねしなさい……。『自由を得るための暴力』は、ここで使っちゃダメなの。あるべき時、あるべき場所で、貴方はその暴力を最大限に発揮するのデスワ?」

 怪しげな人物が着る黒いローブの袖から出ている細い腕のどこからその怪力が湧き出ているのかわからないが、レオナルト=ヴィッダーの頸動脈を確実に締め上げる。レオナルト=ヴィッダーはウゥ……という低い呻き声をあげつつ、段々と視界が暗くなっていく。そして、数十秒後には完全に意識を断たれ、レオナルト=ヴィッダーは力無く左腕をガクッと地面に向かって降ろす。それと同時に鳴動していた手甲ナックル・カバーは沈黙してしまう。

 素戔嗚スサノオ呪力ちからを発動することを完全に停止したのを確認したローブ姿の人物は、レオナルト=ヴィッダーの身体からその身を離す。そして、レオナルト=ヴィッダーが完全に気絶したかどうかを確認するために、一度、彼の背中の右側に前蹴りを入れる。すると、レオナルト=ヴィッダーは左斜めに倒れていき、石畳の上に身体の左側を預けることとなる。

「ふぅ……、これでしばらくは安全でしょう。ほらほら、そこの豚ニンゲンオーク。何故に街中に豚ニンゲンオークが居るのかは謎ですけど、アナタはレオナルト=ヴィッダーの友人でしょう? この馬鹿を安宿にでも押し込めてくださいマシ?」

 黒いローブに身を包んだ人物はそう言うと、再び、どこかに消えていこうとする。しかし、クルス=サンティーモはその人物を逃してたまるかと、黒いローブの裾を掴んで見せる。その行為により、怪しげな人物の顔を覆い隠していた黒いフードが剥がれてしまう。眼深く被っていたフードの奥から聞こえてきていた声からして、女性だと思っていたクルス=サンティーモであったが、その人物の顔を見ることにより、疑念が確信に変わる。

 真っ黒なフードに身を包んでいたのは確かに女性であり、唇を茜色に染め上げており、眼尻には紫色でアイラインを描いていた。彼女はローブの裾を掴むクルス=サンティーモの右手を右腕で払いのけ、そそくさとその場から消えていく。クルス=サンティーモはムムム……と難しい顔になるが、それよりも気絶させられてしまったレオン様を介抱するほうが先だと思い直す。

 レオナルト=ヴィッダーを大きな背中に背負ったデーブ=オクボーンが城前の広場から退出していく。その姿をバルコニーに居るアイリス=クレープスは凝視し続けた。青碧玉ブルー・サファイアの両目を赤くさせながらも、必死に彼らが消えていく先を見続けた。そして、完全にレオナルト=ヴィッダーたちが見えなくなると同時に、アイリス=クレープスはバルコニーから城内へと駆け込み、さらには自室へ籠る。

「レオ。待っててね……。わたしがすぐに貴方の下に駆けつけるからっ!」

 自室に籠ったアイリス=クレープスは壁に設置されているクローゼットの扉を大きく開き、その中から着替えを絨毯の上に放り投げていく。ああでもないこうでもないと言いながら、外出用の衣服を選別していく。アイリス=クレープスの側付である侍女たちはおろおろとし、姫を止めなければならない立場であるのに、それが出来ずじまいであった。

「ぼさっとしてないで、衣服を詰めるための大き目の旅行カバンくらい持ってきなさいよっ!」

 アイリス=クレープスがそう侍女たちを怒鳴り散らすが、言われた側の侍女たちは互いの顔を見やり、行動に移すことは決してなかった。巻き込まれたくなかったのだ侍女たちは。いくら姫の普段のお世話をさせてもらうことで、仲睦まじい間柄になっているとはいえ、国王の意思に反して、彼女を城から出すための協力をすることは決して出来なかった。そんな煮え切らぬ態度に業を煮やしたアイリス=クレープスは彼女たちを押しのけ、自室の扉のドアノブに手をかける。侍女たちが旅行カバンを持ってこないのであれば、自分が城内を探索し、それを見つけてこようとしたのだ。

 しかしながら、アイリス=クレープスがドアノブをガチャリという音と共に回し、ドアを開くと、その向こう側には首席騎士であるゴーマ=タールタルが立っていた。彼はまるで今からいくさが始まるのか? と疑ってしまうような恰好をしており、アイリス=クレープスを通せんぼしたのだ。

「アイリス様。このようなことになってしまい、非常に残念です。真剣を使いますか? それとも訓練用の木剣がよろしいか?」

「ふんっ。貴方らしい受け答えね、ゴーマ=タールタル。わたしに剣を教えたのは、師匠である貴方ですわ。でも、半年前にはその貴方から免許皆伝をいただいておりますことをお忘れでして?」

 アイリス=クレープスと首席騎士であるゴーマ=タールタルは一触即発の雰囲気を醸し出していた。侍女たちは姫の自室の隅へと自然と追いやられる。それもそうだろう。アイリス=クレープスはじりじりと後ろへ下がり、それと同時にいくさ支度をし終えている首席騎士が姫の自室に乗り込んできたからだ。

 アイリス=クレープスが退くと同時に、首席騎士が彼女の衣服が散らばる絨毯の上へと足を踏み入れる。ガチャッガチャッと全身鎧フルプレート・メイルの金属音を鳴らし、完全に出入り口を塞いでしまったゴーマ=タールタルは、彼女の足元に向かって銀色の鞘に収まる長剣ロング・ソードを投げつける。

「さあ、それを拾うのです、姫。剣の師匠であるゴーマ=タールタルが、貴女様の希望を打ち砕いてみせましょうぞ」

「ええ、望むところよ。わたしを『剣姫』とまで呼ばれるまでに鍛え上げたことを後悔させてあげ!?」

 アイリス=クレープスが絨毯の上に転がる長剣ロング・ソードを鞘ごと拾おうと、首席騎士から眼を離した瞬間であった。彼はこれまた翠玉エメラルド色をした籠手に包まれた右腕を彼女のうなじよりやや下部分へと叩きつけたのだ。急激に暗くなる視界の中、それでも彼女は恨めしそうに首席騎士:ゴーマ=タールタルを睨み続けていた……。
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