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28.焦燥

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「だから私は魔王に操られてはいないと、何度言えばわかるんだ!」

 イシュメルの怒声が、無機質な独房にこだまする。
 小さな鉄格子窓の向こう側では、食事の配膳を担当する下女が困り果てた様子だ。そのようなことを言われても、私にはどうすることもできないのです。言葉には出さずとも、下女の困惑はひしひしと伝わってくる。

 ここは聖ミルギスタ王国宮殿の別棟に位置する独房。独房とはいっても、室内には生活に必要な最低限の設備が備えられており、収監者であるイシュメルも手錠や足枷の類はつけられていない。
 宮殿の地下部分に位置する地下房とは異なり、この独房には高位な立場の罪人が収監される。例えばスパイ容疑のかけられた隣国の客人、収賄容疑のかけられた大臣などだ。

 イシュメルがこの独房へと収監されたのは今日から2日前のこと。国王オリヴァーとの謁見中、聖女アリシアから「魔王に操られている」との嫌疑をかけられ、まともな反論もできないまま独房へと連行された。
 主張を押し通すためにがむしゃらに抵抗することなどできなかった。魔王に操られているとの嫌疑がかけられている以上、イシュメルの行動は全てが魔王の意志と見なされてしまう。宮殿の人間に傷一つでもつけるのはまずい。

「イシュメル様、荒れておいでですね」

 下女の背後にひょこりと顔を出した者は、魔王討伐パーティーの一人であるザカリだ。イシュメルを独房へと連行した張本人でもある。きりりとした顔立ちと長身の体躯が、どことなくドーベルマンを連想させる。

 イシュメルは鉄格子を掴んだ。

「ザカリ、オリヴァー国王殿下を呼んでくれ。聖女のいないところで話がしたい」
「それはできません。魔王のかけた悪しき術が解けるまで、イシュメル様は国王殿下にお会いすることが叶いません」
「私は魔王の術にかかってはいない」
「ご自分で気づいておられないだけでしょう。魔族の使う魔法という術は、人間には理解の及ばない不可思議なもの。ましてや魔王の使う術となれば、どれほど巧妙でいて邪悪な効果をもたらすことか」
「魔王が恐れられているのは黒龍の力を宿すがゆえ。人の心を操るからではない」
「それはわからないでしょう。魔王ともなればどのような魔法を使えても不思議ではありません」

 話しが通じない、とイシュメルは唇を噛んだ。それでも冷静な説得を続ける以外に方法はなかった。

「そもそも魔王は今、魔法を使えない。私がオーディンの指輪を使い魔力を封じたからだ。私から没収したオーディンの指輪を調べれば、発動の形跡があるかどうかはわかるはずだ」
「聖女曰く『確かにオーディンの指輪には発動の形跡がある。けれども誰を相手に神器を使用したのかまではわからない』だそうです」
「畜生……!」

 イシュメルは握りこぶしで壁を打った。響き渡る大音にザカリは眉一つ動かさないが、配膳担当の下女は恐ろしげに身を竦めた。
 不安げな表情の下女を一瞥し、ザカリは鉄格子窓に顔をよせる。これからが本題だ、と言わんばかりだ。

「イシュメル様。ヴィザルの剣をどこで手に入れられました」
「ヴィザ……何だって?」
「ヴィザルの剣です。別名『宿命を背負いし剣』、貴方が持っていた古の剣のことですよ」
 国王オリヴァーへの謁見時、イシュメルが所持していた武器は一つだけ。ギオラから借り受けた長剣だ。古い剣ながらよく手に馴染み、柄頭(ポンメル)にはいくつもの翡翠玉が埋め込まれていた。
 おととい独房へ収監されたとき、オーディンの指輪とともに没収されたその剣のことを、ザカリはよく知っているようだ。

「あれは魔王から借りたんだ。有名な剣なのか?」
「歴史家や武器収集家の間では、比較的有名な剣ですね。稀代の刀匠エト・クラメルが10年の歳月をかけて打ち上げた逸品。悪を滅ぼし、正しき者たちを救い上げよとの願いが込められた剣です。世を正す『宿命を背負いし剣』ということですね。歴史書の記述では、古の騎士レオン・ラドフォード卿の愛刀であったはずです」
「ああ……そうだったのか。確か魔王も、あの剣はかつてとある騎士の物だったと話していた。仲間の死も黒龍の牙も恐れぬ、勇敢な騎士だったと」

 数日前の記憶をたどりながら、イシュメルは鉄格子窓越しにザカリを見た。
 ザカリは魔王討伐パーティーの戦士であり頭脳であった。記憶力がよく、判断力に優れ、与えられた情報と元に真実を探り当てる術に長けていた。魔王との戦いの最中、「イシュメルを見捨てて逃げる」という判断を下したのもザカリだったのだろう。
 冷静沈着で、感情に流されることのないザカリ。国王と聖女は崩せずとも、情報判断力に優れたザカリならあるいは――?

 イシュメルはすがるように鉄格子を握った。しかしその時には、ザカリはもうイシュメルに向けて浅く腰を折っていた。

「では私はこれにて失礼します。剣のことが聞きたかっただけですので」
「待て、ザカリ! もう少し話を――」

 イシュメルの叫びも虚しく、ザカリは振り返ることなくその場を後にした。
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