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8.2度目の襲撃

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 静夜であった昨日とは打って変わって、今夜は音の多い夜だ。
 夕方から降り始めた雨は激しさを増し、魔王城の石壁をばらばらと打つ。無造作に吹く風が木々を揺らし、枝葉は今にも引き千切られんばかりだ。
 
 雨風の音を隠れ蓑にして、イシュメルは魔王城の廊下を駆けていた。深夜と呼ぶにふさわしいこの時間、灯りの落とされた廊下に人影はない。夜番を任された数名の配下を除き、城の者はみなベッドでぐっすりと眠り込んでいる時間だ。
 イシュメルの同室者であるリリィもまた、柔らかな毛布にくるまれすぅすぅと寝息を立てていた。イシュメルの隠密を知る者は、誰1人としていない。
 
 長い長い階段をのぼり、ようやくたどり着いた城の最上階で、イシュメルは分厚い扉を押し開けた。扉の隙間に身体を滑りこませ、暗闇に包まれた室内へと侵入する。雨音と風音を除き物音はしない。部屋の主はお休み中のようだ。
 
 イシュメルは息をひそめ、衣擦れの音にさえ気をつかいながら暗闇の中を進んだ。目指す先にはベッドがある。飴色の天蓋をのせた豪華なベッドだ。ベッドの上の毛布は膨らんでいる。
 ベッドのかたわらに立ち、腰ベルトから短刀を抜く。昼間、馬小屋で手に入れた古びた短刀。刃はいくらか錆びていたが、武器としては十分に使える。

 息を止め、短刀を振りかざす。
 
「やはり夜襲か。芸がなくてつまらんな」
 
 背後から間延びした声が聞こえた。イシュメルは今まさに毛布に突き刺さんとしていた短刀を、寸でのところで止めた。
 短刀を胸の前に構えなおし、ゆっくりと振り返った。暗闇の中に魔王が立っていた。右手に抜き身の長剣をぶら下げ、やる気のない構えでイシュメルを見つめている。
 魔王がそこにいるということは、毛布の膨らみは夜襲に備えたおとり。
 イシュメルは忌々しげに吐き捨てた。
 
「……いつから見ていたんだ」
「いつから? お前が部屋に入ったときからに決まっているだろう」
「後ろから切りつければ良かったものを」
「阿保か。ここでお前を切れば床が血まみれになるだろうか。切られたいのなら表へ出ろ。なます切りにしてくれる」
 
 魔王は長剣の切っ先をちょいちょいと揺らすが、切りかかってくる気配はない。剣を持ってはいるが積極的に切り合うつもりはなさそうだ。
 イシュメルは短刀を構えたまま、魔王をあざ笑うかのように言った。
 
「まさかずっと眠れずにいたのか? 私の夜襲が怖くて?」
 
 魔王は平然と答えた。
 
「そうだな、眠れなかった。夜襲に失敗したお前が、どんな間抜け面をさらすのかと思えば楽しみで仕方なくてな。時が経つのも忘れてしまった」
「随分と余裕じゃないか。昨晩は私の腕の中で、子猫のように震えていたくせに」
 
 イシュメルがそう皮肉れば、魔王はふんと鼻を鳴らした。
 
「その昨晩のうちに間違いなく俺を殺すべきであったな。肉親との再会に浮かれ、使命をないがしろにするとは愚かな奴よ。好機を逃した以上、お前に俺は殺せない」
「……精々そうであることを祈っていろ」
 
 これ以上の張り合いに意味はなし。イシュメルは小刀をさやに収め、懐へとしまい込んだ。ここまで話して斬りこんでこないのだから、今の魔王には本当に戦意がないのだ。さびた小刀で長剣と打ち合うことは不可能だ。
 本日の夜襲は失敗、日を改めるほかになさそうだ。
 
 長剣をさやに収めながら、魔王が言った。
 
「その小刀はどこで手に入れた。お前が持っていた武器は全て捨ててやったはずだが」
「園庭の馬小屋で拾った」
「馬小屋? お前、勝手に馬小屋へ立ち入ったのか」
 
 イシュメルはじろりと魔王をにらみつけた。
 
「勝手に、ではない。サラとエマに頼まれたんだ。園庭の枯木を切り倒してほしいと。それで道具を借りるために馬小屋へ」
「ああ……そういえば園庭の枯木が数本なくなっていたな。あれはお前の仕事か。眷属になることは拒むくせに、城のために働くことは拒まんのか。こっけいな奴だな」
「ん……」
 
 イシュメルは言葉に詰まった。魔王の言葉が真実であったからだ。
 
 イシュメルは今日という一日を、園庭の手入れをして過ごした。枯れ木の伐採に加え、欠けた花壇の修理、芝生に散らばった枝拾い、その他諸々。うっそうとしていた園庭が見違えたと、サラとエマは大層喜んでいた。
 そして明日は――馬小屋の壁板を直してほしいと頼まれた。隙間風が吹き込んでは馬たちが可哀想だからと。イシュメルはサラとエマの頼みを断ることができず、明日の仕事を引き受けてしまった。
 
 捕虜という立場を思えば仕事を引き受けるべきではなかった。己の行いを悔いるイシュメルの耳に、眠たそうな魔王の声。
 
「どうせ俺を殺す以外にすることもないのだろう。枯れ木を切るなり、馬小屋の掃除をするなり、好きにすればいい。だが一つだけ忠告しておく。くれぐれの俺の眷属を誘惑するな。『ともに聖ミルギスタ王国へ帰ろう』などと間違っても口にするなよ。一度俺の眷属になった者は、2度と人間には戻れない。彼らは祖国へは帰れない」
 
 イシュメルははっと目を見開いた。
 
「待ってくれ、それはどういうことだ。『2度と人間には戻れない』……? 魔王の眷属とは元々は人間だったのか。サラとエマも? エイダも?」
 
 イシュメルの問いに魔王は応えなかった。面倒くさそうに眉をひそめるだけだ。
 
「俺はもう寝る。さっさと寝室から出ていけ。先に言っておくが3度目はない。次に断りなく寝室へ立ち入れば、容赦なくその首を切り落とすぞ」
 
 さやに収められた刀の切っ先がイシュメルの首元を指した。イシュメルは「質問に答えろ」と叫びかけるが、やはり思い直して大人しく部屋の扉へと向かった。イシュメルと魔王は憎み合う敵同士。全ての質問に丁寧に答えてもらえるはずはない。
 
 ざわざわと心が騒がしくなった。
 サラもエマもエイダも、元はイシュメルと同じ人間だったのか。彼女たちはリリィと同じく、魔王への供物として城にやってきたのか。そうだとすれば魔王は供物の少女を殺してはいないということか。犯すこともなぶることもせず、眷属として生かしているということ?
 そうだとしたら――
 
 頭に湧いたらしくもない考えを消し去るべく、イシュメルは頭を振った。
 魔王は悪、それは紛れもない事実だ。人間を嫌い、さげすみ、虫けらのように殺す。供物の少女を生かしたのは単なる気まぐれにすぎない。気まぐれでイシュメルを眷属にしようとしたように、数人の少女を生かしただけ。そこに人間らしい感情は存在しない。
 
 魔王は悪、それは紛れもない事実――のはずだ。
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