21 / 33
紫水晶
しおりを挟む
食事を終えたアメシスとダイナは、そのままの足で街歩きを楽しんだ。気の向くままに小道を歩き、出会った小間物屋で小さな土産を買い、道端にベンチを見つければ腰を下ろして話し込む。そんな時間が数時間過ぎた。
時は夕暮れ時。白を基調とした神都の街並みを、真っ赤な夕陽が照らす。もうじき太陽は山陰にその姿を隠し、うっすらと寒い夜が来る。楽しい街歩きももう終わり。ダイナとアメシスは、それぞれの私宅に帰らねばならない。
「ダイナ殿。あちらの店に立ち寄っても構わないか」
そう言ってアメシスが指さしたのは、大通りの一角にある真四角の建物だ。壁は白い煉瓦作りで、看板は掛けられているが何の店かはわからない。擦りガラスの出入り口からは、内部の様子を覗き込むこともできない。
「構いません。私もお供した方がよろしいですか?」
「いや、外で待っていてくれ。すぐに戻る」
分かりました、とダイナが言うよりも早く、アメシスは箱状の建物に歩みを向けた。紺色の上着を羽織った背中は、擦りガラスの向こうへと消えて行く。
一人きりになったダイナは燃えるように赤い夕陽を見あげ、息を吐いた。夢のように楽しい一日だった。ダイナは神都にやって来てから今日にいたるまで、気ままな街歩きを楽しんだ経験はない。食事は全て『カフェひとやすみ』で済ませていたし、カフェで使う食材の買い出しも最低限の店回りで済ませていた。細々とした日用生活品も、購入は専らが近所の寂れた商店だ。洒落たレストランで食事に舌鼓を打つのも、隠れ家のような雑貨店に立ち入るのも、コーヒーを片手に道端でおしゃべりをするのも、ダイナにとっては初めての経験なのだ。もちろんかつての婚約者であったクロシュラとの外出経験はある。しかし小さな村でできることなどたかが知れている。馴染みの食堂で食事をし、農村を歩きながら他愛もない話をする。それがダイナとクロシュラの全てだった。
ならば今日という日がどうしようもなく名残惜しいのは、初めての街歩きが楽しかったから?考えても答えは出ない。
夕陽を眺めるダイナの元に、アメシスが戻って来た。「すぐに戻る」との言葉の通りまだ5分と経っていない。アメシスの右手には、真っ白な小箱が握られている。
「ダイナ殿。待たせたな」
「いいえ。欲しい物は買えましたか」
「ああ、買えた」
アメシスは手の中の小箱を、ダイナに向かって真っすぐに差し出した。
「これを貴女に」
「…私に?」
「貴女にだ。今日一日付き合ってもらった礼だ。いや、礼と言うのもおかしいか?…とにかく、私が貴女に贈りたいと思った物だ。差し支えなければ受け取ってくれ」
アメシスはそう言い放つと、小箱をダイナの胸元に押し付けた。半ば強引に押し付けられた小箱を、ダイナはおそるおそる開封する。蝶々結びのリボンをほどき、純白の紙包みを開き、小箱の蓋を開ける。中から出て来た物は対の耳飾りだ。銀細工の金具に紫色の宝石をぶら下げた耳飾り。綺麗、とダイナは呟く。
「これを私に?本当によろしいのですか」
「よろしいんだ。貴女のために買ったのだから、貴女が受け取らなければその耳飾りは行き場所がなくなってしまう。本当はもっと良い物を買いたかったのだが、あの店にある紫水晶の宝飾具はそれだけで…失敬。こんな話はどうでもいい。その耳飾り、私が付けさせていただいても宜しいか。貴女の耳に」
アメシスの口調は、いつもよりも大分早口だ。表情は今日一番の仏頂面。だがその仏頂面は不機嫌からくるものではなく、緊張とか、照れ隠しとか、恐らくはそういう類のものだ。ダイナはこくりと頷く。
アメシスの指先が、ダイナの手の中の小箱に伸びる。耳飾りの片方をつまみ上げ、そのままダイナの耳元へと。微かに震える指先が耳朶に触れる。一つが終わればもう片方も。くすぐったい、ダイナは肩を竦める。
「付けた…が、痛みはないか?人の耳朶に耳飾りをぶら下げるのは初めての経験で、正しい位置がわからない」
相変わらず仏頂面のアメシスがそう言うものだから、ダイナは己の両耳に触れた。柔らかな左右の耳朶が、銀の金具にしっかりと挟み込まれている。指先に触れる2つの紫水晶。
「痛みはありません。あの、ありがとうございます。こんな高価な物を頂いて。食事代も出していただきましたし」
「気にするな。私から誘ったんだ。さぁそろそろ帰ろう。日が暮れると質の悪い酔っ払いが現れる。声を掛けられては面倒だ」
ふと空を見上げれば、緋色の空は徐々に紺碧に飲み込まれつつある。一度暮れかけてしませば、夜が訪れるのは早い。そうですね、帰らないと。名残しげに呟いて、2人は肩を並べて歩き出す。
時は夕暮れ時。白を基調とした神都の街並みを、真っ赤な夕陽が照らす。もうじき太陽は山陰にその姿を隠し、うっすらと寒い夜が来る。楽しい街歩きももう終わり。ダイナとアメシスは、それぞれの私宅に帰らねばならない。
「ダイナ殿。あちらの店に立ち寄っても構わないか」
そう言ってアメシスが指さしたのは、大通りの一角にある真四角の建物だ。壁は白い煉瓦作りで、看板は掛けられているが何の店かはわからない。擦りガラスの出入り口からは、内部の様子を覗き込むこともできない。
「構いません。私もお供した方がよろしいですか?」
「いや、外で待っていてくれ。すぐに戻る」
分かりました、とダイナが言うよりも早く、アメシスは箱状の建物に歩みを向けた。紺色の上着を羽織った背中は、擦りガラスの向こうへと消えて行く。
一人きりになったダイナは燃えるように赤い夕陽を見あげ、息を吐いた。夢のように楽しい一日だった。ダイナは神都にやって来てから今日にいたるまで、気ままな街歩きを楽しんだ経験はない。食事は全て『カフェひとやすみ』で済ませていたし、カフェで使う食材の買い出しも最低限の店回りで済ませていた。細々とした日用生活品も、購入は専らが近所の寂れた商店だ。洒落たレストランで食事に舌鼓を打つのも、隠れ家のような雑貨店に立ち入るのも、コーヒーを片手に道端でおしゃべりをするのも、ダイナにとっては初めての経験なのだ。もちろんかつての婚約者であったクロシュラとの外出経験はある。しかし小さな村でできることなどたかが知れている。馴染みの食堂で食事をし、農村を歩きながら他愛もない話をする。それがダイナとクロシュラの全てだった。
ならば今日という日がどうしようもなく名残惜しいのは、初めての街歩きが楽しかったから?考えても答えは出ない。
夕陽を眺めるダイナの元に、アメシスが戻って来た。「すぐに戻る」との言葉の通りまだ5分と経っていない。アメシスの右手には、真っ白な小箱が握られている。
「ダイナ殿。待たせたな」
「いいえ。欲しい物は買えましたか」
「ああ、買えた」
アメシスは手の中の小箱を、ダイナに向かって真っすぐに差し出した。
「これを貴女に」
「…私に?」
「貴女にだ。今日一日付き合ってもらった礼だ。いや、礼と言うのもおかしいか?…とにかく、私が貴女に贈りたいと思った物だ。差し支えなければ受け取ってくれ」
アメシスはそう言い放つと、小箱をダイナの胸元に押し付けた。半ば強引に押し付けられた小箱を、ダイナはおそるおそる開封する。蝶々結びのリボンをほどき、純白の紙包みを開き、小箱の蓋を開ける。中から出て来た物は対の耳飾りだ。銀細工の金具に紫色の宝石をぶら下げた耳飾り。綺麗、とダイナは呟く。
「これを私に?本当によろしいのですか」
「よろしいんだ。貴女のために買ったのだから、貴女が受け取らなければその耳飾りは行き場所がなくなってしまう。本当はもっと良い物を買いたかったのだが、あの店にある紫水晶の宝飾具はそれだけで…失敬。こんな話はどうでもいい。その耳飾り、私が付けさせていただいても宜しいか。貴女の耳に」
アメシスの口調は、いつもよりも大分早口だ。表情は今日一番の仏頂面。だがその仏頂面は不機嫌からくるものではなく、緊張とか、照れ隠しとか、恐らくはそういう類のものだ。ダイナはこくりと頷く。
アメシスの指先が、ダイナの手の中の小箱に伸びる。耳飾りの片方をつまみ上げ、そのままダイナの耳元へと。微かに震える指先が耳朶に触れる。一つが終わればもう片方も。くすぐったい、ダイナは肩を竦める。
「付けた…が、痛みはないか?人の耳朶に耳飾りをぶら下げるのは初めての経験で、正しい位置がわからない」
相変わらず仏頂面のアメシスがそう言うものだから、ダイナは己の両耳に触れた。柔らかな左右の耳朶が、銀の金具にしっかりと挟み込まれている。指先に触れる2つの紫水晶。
「痛みはありません。あの、ありがとうございます。こんな高価な物を頂いて。食事代も出していただきましたし」
「気にするな。私から誘ったんだ。さぁそろそろ帰ろう。日が暮れると質の悪い酔っ払いが現れる。声を掛けられては面倒だ」
ふと空を見上げれば、緋色の空は徐々に紺碧に飲み込まれつつある。一度暮れかけてしませば、夜が訪れるのは早い。そうですね、帰らないと。名残しげに呟いて、2人は肩を並べて歩き出す。
33
お気に入りに追加
1,941
あなたにおすすめの小説
国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。
ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。
即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。
そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。
国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。
⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎
※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!
【完結】婚約者を譲れと言うなら譲ります。私が欲しいのはアナタの婚約者なので。
海野凛久
恋愛
【書籍絶賛発売中】
クラリンス侯爵家の長女・マリーアンネは、幼いころから王太子の婚約者と定められ、育てられてきた。
しかしそんなある日、とあるパーティーで、妹から婚約者の地位を譲るように迫られる。
失意に打ちひしがれるかと思われたマリーアンネだったが――
これは、初恋を実らせようと奮闘する、とある令嬢の物語――。
※第14回恋愛小説大賞で特別賞頂きました!応援くださった皆様、ありがとうございました!
※主人公の名前を『マリ』から『マリーアンネ』へ変更しました。
お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!
水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。
シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。
緊張しながら迎えた謁見の日。
シエルから言われた。
「俺がお前を愛することはない」
ああ、そうですか。
結構です。
白い結婚大歓迎!
私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。
私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。
家出した伯爵令嬢【完結済】
弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。
番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています
6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します
矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜
言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。
お互いに気持ちは同じだと信じていたから。
それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。
『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』
サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。
愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。
実家から絶縁されたので好きに生きたいと思います
榎夜
ファンタジー
婚約者が妹に奪われた挙句、家から絶縁されました。
なので、これからは自分自身の為に生きてもいいですよね?
【ご報告】
書籍化のお話を頂きまして、31日で非公開とさせていただきますm(_ _)m
発売日等は現在調整中です。
婚約破棄をされた悪役令嬢は、すべてを見捨てることにした
アルト
ファンタジー
今から七年前。
婚約者である王太子の都合により、ありもしない罪を着せられ、国外追放に処された一人の令嬢がいた。偽りの悪業の経歴を押し付けられ、人里に彼女の居場所はどこにもなかった。
そして彼女は、『魔の森』と呼ばれる魔窟へと足を踏み入れる。
そして現在。
『魔の森』に住まうとある女性を訪ねてとある集団が彼女の勧誘にと向かっていた。
彼らの正体は女神からの神託を受け、結成された魔王討伐パーティー。神託により指名された最後の一人の勧誘にと足を運んでいたのだが——。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる