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婚約破棄
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「ダイナ。君との婚約を破棄したい」
突然の宣告に、ダイナは頭の中が真っ白になった。何故、と問うたはずが言葉にならず、ようやく絞り出した言葉は何とも間抜け。
「クロシュラ様…それは一体、どういう意味でございましょう」
「どうもこうも、そのままの意味だ。君との婚約を取りやめたいと言っている」
「なぜ。何か私に、至らぬところがございましたか」
「君に非があるわけではない。ただその…好きな人ができたんだ。ダイナ。君よりもずっと、素敵な人」
前置きなく婚約破棄を突きつけ、更に私を貶めるなどと、貴方は一体何様ですか。脳裏に浮かんだ罵倒の言葉を、ダイナは口にすることができない。『婚約破棄』その4文字が頭の中をぐるぐると回り、まともな思考ができなくなる。口は乾き、それなのに涙腺からは涙が零れ落ちようとする。
「その素敵な女性とは一体誰」ダイナがそう問うよりも早く、近くの木陰から一人の女性が姿を現す。赤茶色の髪をそよ風に揺らす、美しい女性だ。赤茶色の瞳を縁取る睫毛は化粧筆のように長く、小さな鼻に小さな口。首も腕も腰も折れそうに細く、しかし胸元だけは目を見張るほどに豊かだ。その女性がひらりとワンピースのすそを翻せば、ただ風が吹き抜けるだけの林地は、一瞬にして照明輝く舞台となる。
「サフィー、来ていたのか」
クロシュラが驚いたように声を上げれば、サフィーと呼ばれた女性は魅惑の笑みを浮かべた。
「だって不安だったんだもの。貴方が過去の恋人にきちんと別れを告げられるかどうか。2年も前から結婚の約束をしていたのでしょう?」
そう言うと、サフィーはクロシュラの二の腕に自らの両腕を絡めた。それは正しく恋人同士の挙動。ダイナが目の前にいることなど微塵も気に掛けていない、2人だけの世界だ。
「だからきちんと別れを告げただろう。サフィー、俺は君を愛している。過去の婚約者に情を残したりはしない。こんな片田舎の村など捨てて、俺と2人で神都に行こう」
「もちろんよ、クロシュラ様」
目の前で繰り広げられる、憎々しい愛情劇。ダイナは震える手のひらを握り締める。
「クロシュラ様。私の親類には何と説明するおつもりなのです。資金の援助をするから事業を拡大するがよいとの言葉を信じ、私の父は先月、工房拡大の工事契約を締結したばかりです」
「それについては済まなかったと思っている。婚約破棄料という名目でいくらか金銭を支払うから、上手くやり繰りをしてくれ」
「そんな…お金を払えば済むという話ではありません」
「そうは言われても、仕方がないだろう。サフィーは君よりもずっと魅力的な女性だ。これを見てくれ」
クロシュラはすらりと、腰に差した剣を抜いた。
「この剣はサフィーの作った物だ。正確に言えば剣を打ったのは別の人物だが、サフィーがこの剣に加護を与えた。剣は固い岩をも易々と砕き、手入れを怠っても鈍ることはない。俺はこの剣でもう10頭もの魔獣を切ったが、刃こぼれ一つしないんだ。ダイナ、君にこの剣が作れるか?」
ダイナの住まう国を、名を『神国ジュリ』という。民は皆神の血を引き、神に等しい不可思議な術を使う。その不可思議な術を一部の他国では『魔法』と呼ぶが、ジュリの内部では一般的に『神力』と呼ばれる。膨大な神力を持つある者は、枯れかけた大地に大粒の雨を降らすのだという。またある者は、指先で触れただけで他者の傷を癒すのだという。そして神力を用い造られる特殊な道具を『神具』と呼び、それを造る者達を『神具師』と呼ぶ。一言に神具師と言ってもその実力は様々。サフィーのように武器に加護を与えられる優れた神具師もいれば、ダイナのようにガラクタしか作れない神具師もいる。
しかし神具師としての実力など、今この場では関係のないことだ。サフィーが優れた武器を作ることも、ダイナが神具師として劣ることも、クロシュラがサフィーを選ぶ明確な理由にはなり得ない。ダイナは拳を、痛いほどに握り締める。
「加護を与えられた剣ならば、村の武器屋にも売っています」
「失敬。何も俺は、この剣を理由にサフィーを求めるわけじゃない。サフィーは、君にはないたくさんの物を持っている。見た目の美しさも、淑やかさも、話術も。そして何より―」
クロシュラは言葉を区切り、そしてダイナの胸元を見下ろした。たわわな果実を連想させるサフィーの胸元とは雲泥の差の、ささやかな丘陵を。
「今まで言っていなかったが、俺は豊かな胸元が好きなんだ」
寝耳に水の発言である。
突然の宣告に、ダイナは頭の中が真っ白になった。何故、と問うたはずが言葉にならず、ようやく絞り出した言葉は何とも間抜け。
「クロシュラ様…それは一体、どういう意味でございましょう」
「どうもこうも、そのままの意味だ。君との婚約を取りやめたいと言っている」
「なぜ。何か私に、至らぬところがございましたか」
「君に非があるわけではない。ただその…好きな人ができたんだ。ダイナ。君よりもずっと、素敵な人」
前置きなく婚約破棄を突きつけ、更に私を貶めるなどと、貴方は一体何様ですか。脳裏に浮かんだ罵倒の言葉を、ダイナは口にすることができない。『婚約破棄』その4文字が頭の中をぐるぐると回り、まともな思考ができなくなる。口は乾き、それなのに涙腺からは涙が零れ落ちようとする。
「その素敵な女性とは一体誰」ダイナがそう問うよりも早く、近くの木陰から一人の女性が姿を現す。赤茶色の髪をそよ風に揺らす、美しい女性だ。赤茶色の瞳を縁取る睫毛は化粧筆のように長く、小さな鼻に小さな口。首も腕も腰も折れそうに細く、しかし胸元だけは目を見張るほどに豊かだ。その女性がひらりとワンピースのすそを翻せば、ただ風が吹き抜けるだけの林地は、一瞬にして照明輝く舞台となる。
「サフィー、来ていたのか」
クロシュラが驚いたように声を上げれば、サフィーと呼ばれた女性は魅惑の笑みを浮かべた。
「だって不安だったんだもの。貴方が過去の恋人にきちんと別れを告げられるかどうか。2年も前から結婚の約束をしていたのでしょう?」
そう言うと、サフィーはクロシュラの二の腕に自らの両腕を絡めた。それは正しく恋人同士の挙動。ダイナが目の前にいることなど微塵も気に掛けていない、2人だけの世界だ。
「だからきちんと別れを告げただろう。サフィー、俺は君を愛している。過去の婚約者に情を残したりはしない。こんな片田舎の村など捨てて、俺と2人で神都に行こう」
「もちろんよ、クロシュラ様」
目の前で繰り広げられる、憎々しい愛情劇。ダイナは震える手のひらを握り締める。
「クロシュラ様。私の親類には何と説明するおつもりなのです。資金の援助をするから事業を拡大するがよいとの言葉を信じ、私の父は先月、工房拡大の工事契約を締結したばかりです」
「それについては済まなかったと思っている。婚約破棄料という名目でいくらか金銭を支払うから、上手くやり繰りをしてくれ」
「そんな…お金を払えば済むという話ではありません」
「そうは言われても、仕方がないだろう。サフィーは君よりもずっと魅力的な女性だ。これを見てくれ」
クロシュラはすらりと、腰に差した剣を抜いた。
「この剣はサフィーの作った物だ。正確に言えば剣を打ったのは別の人物だが、サフィーがこの剣に加護を与えた。剣は固い岩をも易々と砕き、手入れを怠っても鈍ることはない。俺はこの剣でもう10頭もの魔獣を切ったが、刃こぼれ一つしないんだ。ダイナ、君にこの剣が作れるか?」
ダイナの住まう国を、名を『神国ジュリ』という。民は皆神の血を引き、神に等しい不可思議な術を使う。その不可思議な術を一部の他国では『魔法』と呼ぶが、ジュリの内部では一般的に『神力』と呼ばれる。膨大な神力を持つある者は、枯れかけた大地に大粒の雨を降らすのだという。またある者は、指先で触れただけで他者の傷を癒すのだという。そして神力を用い造られる特殊な道具を『神具』と呼び、それを造る者達を『神具師』と呼ぶ。一言に神具師と言ってもその実力は様々。サフィーのように武器に加護を与えられる優れた神具師もいれば、ダイナのようにガラクタしか作れない神具師もいる。
しかし神具師としての実力など、今この場では関係のないことだ。サフィーが優れた武器を作ることも、ダイナが神具師として劣ることも、クロシュラがサフィーを選ぶ明確な理由にはなり得ない。ダイナは拳を、痛いほどに握り締める。
「加護を与えられた剣ならば、村の武器屋にも売っています」
「失敬。何も俺は、この剣を理由にサフィーを求めるわけじゃない。サフィーは、君にはないたくさんの物を持っている。見た目の美しさも、淑やかさも、話術も。そして何より―」
クロシュラは言葉を区切り、そしてダイナの胸元を見下ろした。たわわな果実を連想させるサフィーの胸元とは雲泥の差の、ささやかな丘陵を。
「今まで言っていなかったが、俺は豊かな胸元が好きなんだ」
寝耳に水の発言である。
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