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2話 オジロワシの郵便屋さん

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 オジロワシの郵便配達員が再び『喫茶わたゆき』へとやってきたのは、それから5日が経った日の夕暮れ時であった。
 カランコロン、とドアベルが鳴る。
 雪斗が洗い物をする手を止めて、音のした方を見てみれば、喫茶店の入り口にはオジロワシの青年が立っていた。黒茶色の頭髪に綿雪をのせ、真っ白な息をふぅと吐き出す。今日も外はよく冷えている。

「いらっしゃいませ」
 雪斗がそう声をかけると、青年はちらりと雪斗の方を見た。頭についた綿雪を払い落とし、手袋を脱ぐ。革製の郵便かばんに右手を入れる。
 雪斗は蛇口の水を止めると、タオルで両手をぬぐった。今、祖父と祖母は厨房に入っている。青年から手紙を受け取る者は、雪斗の他にいないということだ。

「郵便です。喫茶わたゆきの雪斗さんあてにお手紙を預かっています」
「ありがとうございます」
 青年が差し出した封筒を、雪斗はお礼を言って受け取った。封筒の表面には雪斗の名前、そして裏面には母の名前が刻まれている。
 
 雪斗の父母は、街からは少し離れた小さな集落で暮らしている。祖父母の元で働く雪斗のことを心配し、月に一度こうして手紙を送ってくるのだ。
(もう子どもじゃないんだから、こんなに頻繁に送ってこなくてもいいのになー……返事を書くのも結構、面倒だし)
 雪斗は手紙をエプロンのポケットへとしまい、青年に愛想のいい微笑みを向けた。
「今日は休んでいきますか?」

 青年の視線が一瞬、雪斗の帽子へとうつった。暖かな店内には不釣り合いな毛糸の帽子へと。しかしすぐに何事もなかったかのように答えた。
「ええ、ぜひ。温かい飲み物をいただけると助かります」
「ホットコーヒーにカフェラテ、ココア、それに紅茶を何種類か用意しています。何にしますか?」
「ホットコーヒーをお願いします」

 短いやりとりを済ませたあと、雪斗は青年を空いた席へと案内した。数あるテーブルの中で一番暖炉に近い席だ。煉瓦造りの暖炉では、真っ赤な火がばちぱちと音を立てて燃え盛っているから、濡れた衣服もよく乾くだろう。

 雪斗がカフェカウンターへと戻ったとき、厨房からは祖母が姿を現した。お盆の上にはオムライスの皿をのせている。祖母が作るオムライスは、三つ星の西洋料理店に負けるとも劣らないともっぱらの評判だ。

「おばあちゃん。暖炉のそばに座っている男の人、新しい配達員さんだよ」
 雪斗がひそひそ声でささやくと、祖母は「あら」と声をあげた。
「そういえば配達員さんが変わったと言っていたわねぇ。そう、あの人が新しい配達員さんなの……ずいぶんお若いわねぇ」
「前の人はおじいちゃんだったもんね。いつものように飲み物をお出ししていいよね?」
「何でも好きな物をお出ししてあげて。こんな遠いところまでわざわざ手紙を届けてくださるんだもの、サービスしないと」
 にこにこ笑顔の祖母は、オムライスを手にテーブル席の方へと歩いて行った。
 
 雪斗はコーヒーミルにコーヒー豆を入れると、力を入れてグリップを回した。かりかりかり、と豆が削れる小気味のいい音がする。
 喫茶わたゆきの自慢は、いつでも挽きたてのコーヒーが飲めること。常連客になればコーヒー豆の種類を選ぶこともできるし、豆の挽き方やミルクの量を指定することもできる。以前、この地区の郵便配達員であったハヤブサのおじいさんは、そうして好みのコーヒーを追求することを楽しみにしていた。
 
 挽きたてのコーヒー粉をドリッパーへと移しながら、ちらりと店内の様子をうかがった。3時のおやつというには中途半端な時間だが、店内はよく賑わっている。客の大半は常連客で、コーヒーを片手におしゃべりを楽しむ人の姿も目立つ。
 その和やかな雰囲気の中でただ1人、堅苦しい表情を保つオジロワシの青年。暖炉の火に背中をあてながら、そわそわと周囲の様子を見回している。
(うちの常連客は年配の人が多いからなー……無理に誘うような真似をして悪かったかな)

 淹れたてのコーヒーをお盆にのせる。ミルクと砂糖を添え、ティースプーンも忘れずに。
 少し悩んだ末、茶菓子にはクッキーを選んだ。うずまき模様のクッキーは、昨晩雪斗の祖母が焼いた物。メニューには載っていないが、店ではこうして気まぐれに無料の菓子を提供することがある。常連客ばかりの喫茶店ならではの楽しさだ。

「お待たせしました。ホットコーヒーです」
 雪斗が運んだコーヒーに、青年はすぐに口をつけた。淹れたてのコーヒーを舌先で転がし、ほぅと一息。
「美味しいです。それにとても温まります」
「それは良かったです。気温も下がる時間ですから、ゆっくり温まっていってください」
「ありがとうございます」

 その後も会話を続けようとしたが、青年が静かにコーヒーを口に運ぶ姿を見て、雪斗は口をつぐんだ。一人きりのティータイムを邪魔するのは失礼だと思ったからだ。
(あまりおしゃべりが好きなタイプではないのかな……放ったらかしにするのは悪いかと思ったけど、気をつかって絡みにくる方が失礼か……)

 赤々と燃える暖炉火に、湯気を立ち昇らせるホットコーヒー。ティーカップを持ち上げる長い指先に、しっとりと濡れた黒茶色の前髪。
 優雅な1枚絵を横目に見ながら、雪斗はそっと青年のそばを離れた。

 

 オジロワシの青年が席を立ったのは、来店から30分が経とうという頃であった。その頃には窓の外は薄暗く、建物の周囲にはちらちらと粉雪が舞っていた。

「お会計をお願いします」
 身支度を済ませた青年に声をかけられて、雪斗はふるふると首を横に振った。
「お支払いは結構ですよ。サービスですから」
「コーヒーはサービスでも、クッキーを頂いているでしょう。その分のお支払いです」
 ああ、そういうことか、と雪斗は納得した。
「クッキーのお代は頂いていないんです。ちょっとしたオマケというか、いつも来ていただくお客様への感謝の気持ちというか。だから本当に気にしないでください」
「そうなんですね……ではお言葉に甘えさせていただきます」

 青年の手が扉を開けた。冷えた空気がほおを撫でる。
 冬の夜は冷える。木々に守られた林道を歩くならまだしも、空を飛べばさぞかし身体は冷えるだろう。雪斗は小さな声で謝罪した。
「あの……引き留めるような真似をしてすみませんでした」
「え?」
「うちには暇を潰せるような本や雑誌は置いていませんし、退屈でしたよね。次回配達にいらしたときは、そのままお帰りになっても構いませんから」

 喫茶わたゆきの客人は常連客ばかりだ。それも喫茶店でのおしゃべりを目当てにやってくる高齢の客人が多い。例えただでコーヒーが飲めたのだとしても、誰とも話さずただ暖炉にあたって過ごす時間は退屈だっただろう。
 
 あれこれと考えて念のため謝罪をした雪斗であるが、青年はそんなことはまるで気にしていないと微笑を浮かべた。
「とても贅沢な時間でした。家や仕事場にいると、あれこれと雑用に手をつけてしまいがちですから。週に1度や2度、こうしてのんびりとコーヒーを飲む時間があってもいいのかなって」
 雪斗の瞳を見据え、言葉を続けた。
「雪斗さん、とおっしゃいましたよね。私は飛彦といいます。また配達の折には立ち寄らせてください」 
「は、はい。お待ちしています……」
 どこで名前を知られたのだろう、と雪斗は不思議に思った。
 しかしすぐにその答えに行きついた。青年が届けてくれた手紙には雪斗の名前が書かれていたし、喫茶店の常連客は雪斗のことを「雪斗くん」と呼ぶ。コーヒーを楽しむ間に、雪斗の名前を耳にする機会は何度もあったはずだ。
 
 扉の向こうへと消えていく飛彦の背中を眺めながら、雪斗はぼんやりと考えた。
(飛彦さん、飛彦さん……カッコいい人は名前までカッコいい)
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