上 下
56 / 70
5章 パーティ、愉しいパーティ

56話 神の御許で

しおりを挟む
 教会の内部は外観と同じく荒れ果てていた。壁の塗装は剥がれ、床には大量のほこりが積もり、淀んだ空気が立ち込めている。
 
 くすんだ大理石の床には朽ちてボロボロになった長椅子が何脚も置かれているから、ここはかつて聖堂だったのだろう。煤にまみれたステンドグラスが、荒れ果てた教会の内部を妖しく見下ろしていた。

「よかった、とりあえず雨風はしのげそう。グレン、ここでしばらく休憩しようよ」

 アンは息を切らしながらグレンに語りかけた。

 ハート商会の関係者が、シャルロットに暴行を働いた犯人として、アンとグレンを探している可能性は捨てきれなかった。それでも覚束ない足取りで林道を歩いているよりは、教会に籠城していた方がよほど安全だ。

 教会の出入り口は1か所だけで、扉を開けば派手な音が鳴る。そこから追手が入りこめば嫌でも気がつくだろう。屋内には身を隠す場所がたくさんあるし、武器になりそうな板切れもそこかしこに落ちている。

 いざとなれば釘の突き出した板切れで横面を張り倒してやる、とアンは鼻息を荒くするのであった。

 ひとまず武器になりそうな板切れを引き寄せて、アンはグレンの首元に手のひらをあてた。火の玉のような熱さだ。

「グレン……体調はどう?」

 アンが優しい調子で問いかければ、グレンからは舌足らずな声が返ってきた。

「体調は最悪。お前、俺から離れてどっか適当なところに隠れてろ」
「何で?」

 グレンは虚ろな瞳でアンを睨みつけた。

「俺が何の薬を飲まされたのかよく考えろよ。このまま俺のそばにいて無事で済むと思うなよ」

 確かにそうだ、とアンは思った。

 シャルロットは自身の魔法について「他者を興奮状態に陥らせる薬を創り出す」ことだと説明した。性的興奮を何倍にも助長させ、人を快楽の海に沈める薬だ。
 グレンが強引にその薬を飲まされたのだとすれば、アンが無事でいられる保証はない。

 しかし――

 ばらばらと雨粒が屋根を叩き始めた。幸いにも風は強くないようだが、このまま悪天候が続けば、今夜中に町へたどり着くことは不可能だ。
 それはつまり、2人がこの廃教会で一晩を明かさなければならないということだ。灯り1つない朽ちかけた廃墟の中で。薬に身体を侵されたグレンは、どれだけ不安なことだろう。

 雨音に掻き消されないようにと、アンは大きな声で謝罪した。

「グレン、ごめんね。あたし、グレンには本当に悪いことをしたと思ってる。サバトになんか参加しなければよかった。欲を出さずにすぐ家に帰ればよかった」

 グレンは舌足らずで答えた。

「……その件は別にいーよ。シャルロット嬢の本性も明らかになったことだし、結果オーライだ」
「ク、クロエは散々な目に合うし、グレンは薬のせいでへにゃへにゃだしぃ……」
「お前だってシャルロット嬢にまさぐられたんだからお互い様だろうが。気にしなくていいって、本当に」

 薬の効果でもうろうとしたグレンは、いつもよりもずっと優しい。その優しさがアンを苦しめた。

 アンがハート家の別邸に乗り込んだ1番の目的は、ドリーを魔女の妙薬から救い出したかったからだ。
 グレンが気付くよりも先にドリーを魔女の妙薬から引き離せば、運命を元のレールに戻すことができると思ったから。皆にとって理想的な未来を守ることができると思ったから。

 ドリーに魔女の妙薬を手渡したという己の罪も消えると思ったから。

 結局は自己満足だったのだ。自分が悪者になりたくなかっただけ。身勝手に行動した結果、相棒であるグレンにばかり負担を強いてしまった。
 だからこれは、せめてもの罪滅ぼしだ。

「本当に、グレンには悪かったと思ってるの。だからグレンの好きなようにしていいよ。少しくらい痛くても我慢するからさ」

 そう言ってグレンの頬に触れた。
 碧色の瞳の内側で、情欲の炎が揺らめいた。

「後悔するなよ」
「……しないよ」

 そうして幾度となく求め合う。
 朽ち果てた廃墟の中で。神の御許で。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

姫金魚乙女の溺愛生活 〜「君を愛することはない」と言ったイケメン腹黒冷酷公爵様がなぜか私を溺愛してきます。〜

水垣するめ
恋愛
「あなたを愛することはありません」 ──私の婚約者であるノエル・ネイジュ公爵は婚約を結んだ途端そう言った。 リナリア・マリヤックは伯爵家に生まれた。 しかしリナリアが10歳の頃母が亡くなり、父のドニールが愛人のカトリーヌとその子供のローラを屋敷に迎えてからリナリアは冷遇されるようになった。 リナリアは屋敷でまるで奴隷のように働かされることとなった。 屋敷からは追い出され、屋敷の外に建っているボロボロの小屋で生活をさせられ、食事は1日に1度だけだった。 しかしリナリアはそれに耐え続け、7年が経った。 ある日マリヤック家に対して婚約の打診が来た。 それはネイジュ公爵家からのものだった。 しかしネイジュ公爵家には一番最初に婚約した女性を必ず婚約破棄する、という習慣があり一番最初の婚約者は『生贄』と呼ばれていた。 当然ローラは嫌がり、リナリアを代わりに婚約させる。 そしてリナリアは見た目だけは美しい公爵の元へと行くことになる。 名前はノエル・ネイジュ。金髪碧眼の美しい青年だった。 公爵は「あなたのことを愛することはありません」と宣言するのだが、リナリアと接しているうちに徐々に溺愛されるようになり……? ※「小説家になろう」でも掲載しています。

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話

みっしー
恋愛
 病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。 *番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

乙女ゲームのモブ令嬢に転生したので、カメラ片手に聖地巡礼しようと思います。

見丘ユタ
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公であったが、転生先はメインキャラではなくモブ令嬢、ミレディだった。 モブならモブなりに、せっかくのゲーム世界を楽しもう、とミレディは聖地巡礼と称し、カメラ片手にヒロインたちの恋模様を堪能するのだった。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

天才と呼ばれた彼女は無理矢理入れられた後宮で、怠惰な生活を極めようとする

カエデネコ
恋愛
※カクヨムの方にも載せてあります。サブストーリーなども書いていますので、よかったら、お越しくださいm(_ _)m リアンは有名私塾に通い、天才と名高い少女であった。しかしある日突然、陛下の花嫁探しに白羽の矢が立ち、有無を言わさず後宮へ入れられてしまう。 王妃候補なんてなりたくない。やる気ゼロの彼女は後宮の部屋へ引きこもり、怠惰に暮らすためにその能力を使うことにした。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

処理中です...