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3章 ドS男と相棒業
35話 お泊まりはいや!
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「アーサー殿下をお産みになった後も、ヘレナ様は真実をひた隠しにしておられました。いくら相手が国家の主であるとはいえ、不貞行為の末に生まれた子どもであることに違いはありません。聞くところによれば、ヘレナ様はアーサー殿下の髪を草の汁で染めていたそうですよ。王族の証である金髪を隠すためにね。それでも再び集落を訪れた折、フィルマン殿下はアーサー殿下の存在にお気付きになりました。以前戯れで身体を重ねた女性が、父親のいない子どもを抱えていたとなれば、もしやと思うのは普通でしょう」
レオナルドの説明に、アンは難しい顔で相槌を打った。
「んん……そりゃそうだ」
「そういった経緯から、アーサー殿下が御年5つを迎えられた年に、ヘレナ様はフィルマン殿下の妃として正式に迎え入れられたのです。ヘレナ様を妃としたのはフィルマン殿下なりの償いでしょうね。貧しい農民の娘が、父親なく子どもを育てるのは容易なことではありませんから」
初めて耳にしたヘレナの過去、アーサーの生い立ち。アンは素直に感心してしまった。
「想像すればすごい話だね。ヘレナ様の境遇を文字にしたためれば、物語が3本は書けそうだよ」
貧しい農民の生まれでありながら、君主の気まぐれで王家の血を引く子どもを授かったヘレナ。周囲の冷たい視線に晒されながら必死で子どもを育てたのだろう。
フィルマンの妃となった後も、ヘレナの生活が苦しい物であったことは想像がつく。
妃が宮殿に入る際には、妃の生家が後ろ盾としてつくことが普通だ。例えば侍女使用人に配るための物資を差し入れたり、子どもが生まれたとなれば多額の祝い金を贈ったり、さまざまな場面で援助をすることが慣例なのである。
しかし貧しいヘレナの生家に、それだけの援助をする余裕があったとは思えない。言うなればヘレナは、楯も武器もなく戦場に送られた兵士も同然だ。
身の回りの世話をする侍女から心ない言葉を浴びせられることもあったろう。妃同士の茶会でこれ見よがしに嫌がらせを受けることもあったろう。世の不条理に涙しながらも、ヘレナは必死でアーサーを育てたのだ。
「ヘレナ様の立場は、当時の宮殿内ではひどく弱いものでした。だからこそフィルマン殿下は、鬼人と恐れられた私をヘレナ様の護衛に付けたのですよ。私が傍にいれば、騎士団の者がヘレナ様に危害を加えることはまずありえない。宮殿に仕える侍女や官吏も、私の前ではヘレナ様への言動に気をつかったことでしょう。たった1度の不用意な発言が原因で、鼻の骨を砕かれては元も子もありませんからね」
レオナルドは「はっはっは」と声を上げて笑うけれど、アンはその笑い声に恐怖を覚えるのであった。
今でこそ理性的で温厚な印象を受けるレオナルドだが、十数年前はかなり野性的だったようだ。鬼人の名は伊達じゃない。
「身分違いの恋というのも大変だねぇ。……恋という話でもないのかな? フィルマン殿下とヘレナ様は、互いに愛し合っていたわけじゃないないもんね」
「人並みの愛情はあったのだと思いますよ。フィルマン殿下は何かとヘレナ様の身辺を気にかけておられましたし、フィルマン殿下が離宮を訪れる際はヘレナ様も嬉しそうでした。他の妃の目もありますから、表立ってヘレナ様を贔屓することはございませんでしたがね。それでも政略的に迎えられた他の妃とは違い、ヘレナ様はただ1人フィルマン殿下自身が望まれたお方です。たとえ償いの意図が含まれていたのだとしても」
ふーん、とアンは相槌を打った。
いくら丁寧な説明を受けても、それはアンにとって遠い世界の話に他ならなかった。
ヘレナの生い立ちについての話が終わったところで、アンは以前からずっと気になっていたことを口にしてみた。
「ねぇレオナルド……グレンでもいいんだけどさ。アーサー王子と結婚した人は、幸せになれると思う?」
突然の質問に、レオナルドとグレンはまたどちらともなく顔を見合わせた。
しばしの沈黙の後、答えた者はグレンだ。
「……幸せにはなれねぇだろうな。アーサー王子があんな状態である以上、通常の結婚生活は望めない。子どもだって持つことはできない。アーサー王子が社交を行えないのだから、当然妻となる女性も社交界には顔を出せない。生活介助を担っていれば里帰りすら困難だぜ。妻とは名だけで、俺たち使用人と同等の生活を余儀なくされるはずだ」
グレンの言葉にレオナルドが続く。
「境遇としては我々使用人よりも悪いでしょうね。使用人であれば働きに応じた給与が出ますし、転職も可能です。しかし妻となった女性にはそれらの権利が認められない。最低限生活を保障するだけの金銭は国から支給されますが、贅沢はできませんよ。綺麗なドレスも着られない、豪勢な料理や高価な菓子も食べられない。王族の一員となれば街で遊び歩くことなどできませんし、もちろん恋人を作ることも許されない。かなり不自由な生活を強いられることになるでしょう」
「……そっかぁ」
けれど国王フィルマンがアーサーの結婚を望んでいる以上、妻の座には誰かが選ばれる。それは誰になるのだろう。
誰が選ばれたのだとしても、贅沢に慣れた貴族の令嬢にとって、つらい未来になることは明らかだった。
しんみりとした気持ちになるアンの耳に、馬車の車輪音が聞こえてきた。窓の外をのぞいて見れば、ジェフの操る馬車が邸宅の前に到着したところだ。
客車の中からは、たくさんの手荷物を抱えてたバーバラが降りてくる。
「バーバラだ。買い出し、終わったんだね。あたしちょっとジェフと話してくるね。滞在時間が長くなりそうだから、乗ってきた町馬車には帰ってもらっちゃったんだ。『繁華街まで送ってください』って交渉してこないと」
しかしアンが席を立つよりも先に、グレンがさっと立ち上がった。
「俺が交渉してきてやるよ。ついでにバーバラの荷運びを手伝ってくるわ。アンとレオナルドは、引き続き茶会を楽しんでくれ」
グレンにしては珍しく、気づかいに溢れた提案である。しかしその珍しい態度に、アンは得も言われない不信感を抱くのだ。
「待ってグレン……やっぱりあたしが自分で交渉するよ。何か嫌な予感しかしないもん」
「嫌な予感ってなんだよ。人の好意を無駄にすんじゃねぇよ。お前は大人しく茶でもすすってろ」
グレンはそれらしい言葉でアンを説き伏せようとするけれど、アンとてただでは譲れない。ありありと思い出されるのは、いつの間にかお泊まりが決まっていた前回訪問時の記憶だ。
「いーやー! あたし、今日は絶対お泊まりしないんだからね! 使用人として雇われているグレンとは違って、あたしの給料は歩合制なんだから。お仕事を休めば、それだけ稼ぎが減っちゃうんだからね!」
「多少稼ぎが減ったって問題ないだろうがよ。イェレナ嬢の調査協力謝礼として、金貨10枚払ったばかりなんだからさー。うだうだ言ってねぇで泊まっていけや」
当然のように吐きかけられた言葉に、アンはわなわなとこぶしを震わせた。
「や、やっぱり悪いこと考えてた! やだやだ、あたし帰る。今夜も可憐なご令嬢と夜遊びするんだい。ハグしてキスしてきゃーきゃー言われるんだい!」
そう叫んだ、次の瞬間。
アンの身体はふわりと宙に浮いた。冷ややかな表情のグレンが、アンの腰回りをひょいと抱え上げたからだ。
抱え上げたといっても、それはお姫様抱っこなどというロマンティックな抱え方ではない。まるで米俵を運搬するような粗暴な抱え方である。
一瞬にして人間から米俵へとなり下がったアンは、「ぎゃあああ」と悲痛な悲鳴をあげた。
「やだやだグレン、下ろしてよ! あたしをどこに連れていくつもり⁉」
「俺の部屋。どうしてもって言うなら今日中に帰してやらんこともない。だけどその前に、俺の部屋でゆっくり話そうぜ。2時間くらい」
「やーだー! レオナルド、助けてぇぇ。このままじゃあたし、美味しく頂かれちゃうよぉぉー」
ダイニングルームに響くアンの悲鳴。たった1人椅子に座るレオナルドは、菩薩のような表情でクッキーを噛んでいた。
――似た者同士、仲がよろしくて結構でございます
レオナルドの説明に、アンは難しい顔で相槌を打った。
「んん……そりゃそうだ」
「そういった経緯から、アーサー殿下が御年5つを迎えられた年に、ヘレナ様はフィルマン殿下の妃として正式に迎え入れられたのです。ヘレナ様を妃としたのはフィルマン殿下なりの償いでしょうね。貧しい農民の娘が、父親なく子どもを育てるのは容易なことではありませんから」
初めて耳にしたヘレナの過去、アーサーの生い立ち。アンは素直に感心してしまった。
「想像すればすごい話だね。ヘレナ様の境遇を文字にしたためれば、物語が3本は書けそうだよ」
貧しい農民の生まれでありながら、君主の気まぐれで王家の血を引く子どもを授かったヘレナ。周囲の冷たい視線に晒されながら必死で子どもを育てたのだろう。
フィルマンの妃となった後も、ヘレナの生活が苦しい物であったことは想像がつく。
妃が宮殿に入る際には、妃の生家が後ろ盾としてつくことが普通だ。例えば侍女使用人に配るための物資を差し入れたり、子どもが生まれたとなれば多額の祝い金を贈ったり、さまざまな場面で援助をすることが慣例なのである。
しかし貧しいヘレナの生家に、それだけの援助をする余裕があったとは思えない。言うなればヘレナは、楯も武器もなく戦場に送られた兵士も同然だ。
身の回りの世話をする侍女から心ない言葉を浴びせられることもあったろう。妃同士の茶会でこれ見よがしに嫌がらせを受けることもあったろう。世の不条理に涙しながらも、ヘレナは必死でアーサーを育てたのだ。
「ヘレナ様の立場は、当時の宮殿内ではひどく弱いものでした。だからこそフィルマン殿下は、鬼人と恐れられた私をヘレナ様の護衛に付けたのですよ。私が傍にいれば、騎士団の者がヘレナ様に危害を加えることはまずありえない。宮殿に仕える侍女や官吏も、私の前ではヘレナ様への言動に気をつかったことでしょう。たった1度の不用意な発言が原因で、鼻の骨を砕かれては元も子もありませんからね」
レオナルドは「はっはっは」と声を上げて笑うけれど、アンはその笑い声に恐怖を覚えるのであった。
今でこそ理性的で温厚な印象を受けるレオナルドだが、十数年前はかなり野性的だったようだ。鬼人の名は伊達じゃない。
「身分違いの恋というのも大変だねぇ。……恋という話でもないのかな? フィルマン殿下とヘレナ様は、互いに愛し合っていたわけじゃないないもんね」
「人並みの愛情はあったのだと思いますよ。フィルマン殿下は何かとヘレナ様の身辺を気にかけておられましたし、フィルマン殿下が離宮を訪れる際はヘレナ様も嬉しそうでした。他の妃の目もありますから、表立ってヘレナ様を贔屓することはございませんでしたがね。それでも政略的に迎えられた他の妃とは違い、ヘレナ様はただ1人フィルマン殿下自身が望まれたお方です。たとえ償いの意図が含まれていたのだとしても」
ふーん、とアンは相槌を打った。
いくら丁寧な説明を受けても、それはアンにとって遠い世界の話に他ならなかった。
ヘレナの生い立ちについての話が終わったところで、アンは以前からずっと気になっていたことを口にしてみた。
「ねぇレオナルド……グレンでもいいんだけどさ。アーサー王子と結婚した人は、幸せになれると思う?」
突然の質問に、レオナルドとグレンはまたどちらともなく顔を見合わせた。
しばしの沈黙の後、答えた者はグレンだ。
「……幸せにはなれねぇだろうな。アーサー王子があんな状態である以上、通常の結婚生活は望めない。子どもだって持つことはできない。アーサー王子が社交を行えないのだから、当然妻となる女性も社交界には顔を出せない。生活介助を担っていれば里帰りすら困難だぜ。妻とは名だけで、俺たち使用人と同等の生活を余儀なくされるはずだ」
グレンの言葉にレオナルドが続く。
「境遇としては我々使用人よりも悪いでしょうね。使用人であれば働きに応じた給与が出ますし、転職も可能です。しかし妻となった女性にはそれらの権利が認められない。最低限生活を保障するだけの金銭は国から支給されますが、贅沢はできませんよ。綺麗なドレスも着られない、豪勢な料理や高価な菓子も食べられない。王族の一員となれば街で遊び歩くことなどできませんし、もちろん恋人を作ることも許されない。かなり不自由な生活を強いられることになるでしょう」
「……そっかぁ」
けれど国王フィルマンがアーサーの結婚を望んでいる以上、妻の座には誰かが選ばれる。それは誰になるのだろう。
誰が選ばれたのだとしても、贅沢に慣れた貴族の令嬢にとって、つらい未来になることは明らかだった。
しんみりとした気持ちになるアンの耳に、馬車の車輪音が聞こえてきた。窓の外をのぞいて見れば、ジェフの操る馬車が邸宅の前に到着したところだ。
客車の中からは、たくさんの手荷物を抱えてたバーバラが降りてくる。
「バーバラだ。買い出し、終わったんだね。あたしちょっとジェフと話してくるね。滞在時間が長くなりそうだから、乗ってきた町馬車には帰ってもらっちゃったんだ。『繁華街まで送ってください』って交渉してこないと」
しかしアンが席を立つよりも先に、グレンがさっと立ち上がった。
「俺が交渉してきてやるよ。ついでにバーバラの荷運びを手伝ってくるわ。アンとレオナルドは、引き続き茶会を楽しんでくれ」
グレンにしては珍しく、気づかいに溢れた提案である。しかしその珍しい態度に、アンは得も言われない不信感を抱くのだ。
「待ってグレン……やっぱりあたしが自分で交渉するよ。何か嫌な予感しかしないもん」
「嫌な予感ってなんだよ。人の好意を無駄にすんじゃねぇよ。お前は大人しく茶でもすすってろ」
グレンはそれらしい言葉でアンを説き伏せようとするけれど、アンとてただでは譲れない。ありありと思い出されるのは、いつの間にかお泊まりが決まっていた前回訪問時の記憶だ。
「いーやー! あたし、今日は絶対お泊まりしないんだからね! 使用人として雇われているグレンとは違って、あたしの給料は歩合制なんだから。お仕事を休めば、それだけ稼ぎが減っちゃうんだからね!」
「多少稼ぎが減ったって問題ないだろうがよ。イェレナ嬢の調査協力謝礼として、金貨10枚払ったばかりなんだからさー。うだうだ言ってねぇで泊まっていけや」
当然のように吐きかけられた言葉に、アンはわなわなとこぶしを震わせた。
「や、やっぱり悪いこと考えてた! やだやだ、あたし帰る。今夜も可憐なご令嬢と夜遊びするんだい。ハグしてキスしてきゃーきゃー言われるんだい!」
そう叫んだ、次の瞬間。
アンの身体はふわりと宙に浮いた。冷ややかな表情のグレンが、アンの腰回りをひょいと抱え上げたからだ。
抱え上げたといっても、それはお姫様抱っこなどというロマンティックな抱え方ではない。まるで米俵を運搬するような粗暴な抱え方である。
一瞬にして人間から米俵へとなり下がったアンは、「ぎゃあああ」と悲痛な悲鳴をあげた。
「やだやだグレン、下ろしてよ! あたしをどこに連れていくつもり⁉」
「俺の部屋。どうしてもって言うなら今日中に帰してやらんこともない。だけどその前に、俺の部屋でゆっくり話そうぜ。2時間くらい」
「やーだー! レオナルド、助けてぇぇ。このままじゃあたし、美味しく頂かれちゃうよぉぉー」
ダイニングルームに響くアンの悲鳴。たった1人椅子に座るレオナルドは、菩薩のような表情でクッキーを噛んでいた。
――似た者同士、仲がよろしくて結構でございます
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