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3章 ドS男と相棒業

33話 亜麻色の髪の乙女

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 音を立てて閉じられた扉は、10秒と経たずにまた開かれた。
 
 入ってきた者はひどく慌てた様子のリナだ。バケツは持っておらず、右腕には茶色の平靴を抱えている。ヒールのかかとを折ってしまったのだというアンのために、私室に立ち寄り持ってきてくれたのだろう。
 
 リナは部屋に入るなり、真っ青な顔でアンに謝罪した。

「アン様、申し訳ございませんでした。私がアーサー殿下のおそばを離れたばかりに……」
「さっきのお客様のこと? 突然話しかけられて焦ったけど、不都合なことは言っていないと思うよ。グレンが、あたしは臨時で雇われた侍女だってごまかしてくれたからさ」

 アンが微笑みを浮かべてそう答えると、リナは安堵の表情を浮かべた。
 
「そうでしたか……よかった」

 間髪を入れず、アンはずっと気になっていたことを質問した。
 
「さっきのお客様は誰なの?」
「オリヴァー殿下です。アーサー殿下の腹違いの兄君、位は第2王子ですね」
「オリヴァー……第2王子……」
 
 その名前はアンも当然のように知っていた。
 現国王フィルマンの嫡出子であり、王位継承有力候補者としてその名を馳せる美麗の王子。歳は今年で26歳になるはずだ。そして幼き日のアーサーが、剣技の試合で打ち負かした相手でもある。

「オリヴァー殿下は、2か月に1度こうしてアーサー殿下の元を訪れます。このお部屋に立ち寄られるのは、いつもはグレンとの雑談の後なのですけれど、今日は順番が前後してしまったようですね。私が客人の動向を気にかけておらず、アン様にはご迷惑をおかけしました」

 そう言うと、リナはアンに向けて深く頭を下げた。
 
 ――別に迷惑なことはなかったよ、少しびっくりしただけでさ
 そうリナをフォローしたい気持ちは山々だが、今のアンには何にも増して気にかかることがあった。

「リナ……オリヴァー殿下は、何のためにアーサー王子を訪ねてくるの? お見舞いって感じはしなかったんだけど」
「来訪の目的は偵察でしょう。アーサー殿下がいまだ心神喪失状態にあることを、ああして定期的に確認に来られるのです」
「……確認してどうするの?」

 アンは小さな声で質問するけれど、その答えは聞かずともわかる気がした。
 
 王位継承有力候補者であるオリヴァーは、アーサーの復活を心から恐れているはずだ。幼い頃は鬼才と呼ばれ他の王子を圧倒したアーサー。その復活は、王位継承権争いに多大な影響をもたらすだろうから。

 そしてリナの口から語られる言葉は、やはりアンの想像のとおりであった。

「確認して、安心するのでしょうね。『かつての鬼才はもはや己の敵にはなり得ない』と。オリヴァー殿下だけではございません。第1王子であるアイザック殿下も、第3王子であるジョシュア殿下も、何かと理由をつけてこの邸宅を訪れます。みな心から恐れているのですよ。アーサー殿下が心を取り戻し、国政の場に復帰なされれば、今ある権力図がひっくり返ってしまいますから」

 リナの視線の先には、穏やかな寝息を立てるアーサーがいる。金の髪をそよ風に揺らし、ときおりこくりと船を漕ぐ。半袖シャツから突き出した腕は枯れ木のように細く、そして陶器のように白い。
 その身体はもう10年も前に動くことを止めてしまった。心も働きもまた。

「……みんな、こんな姿になってしまってもアーサー王子が怖いんだ」
「怖いのです。アーサー殿下は神に愛されたお人でした。王座に座るべくして生まれたお方。アーサー殿下を前にしては、他の王子など凡人も同然ですよ」

 他の王子らを見下したようなリナの物言いに、アンはひどく驚いた。

「そ、そこまで言うかな。心を失ったとき、アーサー王子はまだ11歳だったんでしょう? いくら多方面で優れていたとしてもさ……」

 アンはアーサーが話す姿を知らない。剣を振るう様も、弁論で他者を圧倒する様も知らない。だからこそ、レオナルドやリナがアーサーに陶酔する気持ちがわからなかった。
 神に愛されたとて、しょせん人は人であろうに。

 少し間をおいて、リナはうっとりと語り出した。

「……雷に打たれたよう、とでも言いましょうか。感覚としては一目惚れに近いのかもしれません。『ああ、この人だ。この人なら大丈夫。私の全てを任せることができる』初めてアーサー殿下をお見かけしたとき、私はそう感じました。他者を魅了し、追従させる不思議な力をアーサー殿下はお持ちなのです」

 アンはきょとんと目を丸くした。

「それはリナがアーサー王子に一目惚れしたから、とかじゃなくて?」

 リナははっきりと否定した。

「一目惚れ、というのは単なる例えです。私のアーサー殿下に対する想いは、恋心ではありません。ただただ純粋な忠誠心。私はあの方が創る国を見てみたい。あの方が幾万の民を治める姿を見ていたい」

 リナの夢物語に、アンは言葉を返すことができなかった。
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