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終章

誕生日プレゼント-2

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 クリスの秘密基地に乾杯の音頭が響く。続いて3人分の「誕生日おめでとう」の声。今日はクリスの28歳の誕生日。「僕の誕生日会をするので時間があれば参加してください」という本人からの誘いを受けたゼータ、ザト、レイバックの3人は、酒の注がれたグラスを片手ににこやかだ。魔族でも長命の部類に入る3人だが、誕生日会なるものに参加するのは初めての経験なのだ。特に齢2000を超えるザトは初っ端から絶好調で、壁際に座るメリオンに絡み倒している。

「メリオン。めでたい席だ。おめでとうの一言くらい言ってやれ」
「祝いの言葉ならケーキに書いてあるだろうが」
「お前が書いたわけではないだろう。ほれほれ、言ってみろ。お・め・で・と・う」
「やかましいな。おいクリス、この惚けじじいをそっちに連れていけ」

 要請を受けたクリスは席を立ち、惚け爺の称号を得たザトを回収した。メリオンが祝いの言葉を口にしなかったことを、クリスは気に掛けた様子もない。メリオンの口から「誕生日おめでとう」との言葉が笑みと共に吐き出されれば、この場の皆が口に含んだ酒を吹き出す事態だ。人には向き不向きがある。

「しかし人間の28歳とはどれ程の歳だ?魔族ならば、身体は成人していてもまだまだ餓鬼扱いだぞ」

 落ち着きを取り戻したザトが問う。手の中からは満杯の酒が消える。

「人間の寿命は70歳程ですからね。仕事では重要な役職に付く頃ですし、家庭では結婚をして子どもを儲けている歳です。ロシャ王国の地方集落に住む貴族では、25歳で親から家督を継承する人が多いんです。家督の継承には世継ぎとなる男児がいる事が必要条件になりますから、その頃には2,3人の子を持つ人も珍しくはないですね」
「なるほどな。せわしない人生だ」

 メリオンを除く4人が囲むテーブルの上には、厨房に依頼したつまみと円形のケーキがのっている。白いクリームをたっぷりとのせたケーキの中央には、天使を模した砂糖菓子と、「誕生日おめでとう」と書かれたチョコレートのプレート、さらに数種類の果実が散りばめられていた。華やかなケーキは食欲をそそるが、ケーキを切り分けるのはもう少し場が盛り上がってからという事になっている。

 雑談を肴にテーブルの上の酒瓶を何本か空けた頃、ゼータが思い出したように持参した紙袋を漁り始めた。間もなく白い紙袋の中から取り出された物は、薄緑色の紙に包まれた物体だ。

「クリス。酒が回ると忘れそうなので今渡しますね。誕生日プレゼントです」
「え、本当に?どうもありがとう」

 途端に満面の笑みとなったクリスは、ゼータから紙包みを受け取った。隣に座るザトが興味深げにクリスの手の中を覗き込む。正面に座るレイバックも同様だ。皆の期待の眼差しを受け、クリスはすぐさま薄緑色の紙包みを剥ぎに掛かる。簡易的な包装の中から現れた物は一冊の書籍だ。分厚い書籍の表紙には、黒の筆文字でこう書かれている。
―超秘・失われた魔法の数々~古代文献を元に伝説の魔法を辿る~

「もう300年くらい前に出版された書物なんですけどね。根強い人気があって最近再版されたんです。今日クリスの誕生日プレゼントを探しに行きつけの本屋に行ったら、何と1冊残っていたんですよ。貴重な物ですが私はすでに1冊持っていますので、気兼ねなく受け取ってください。読み終えたらぜひ古代魔法について語らいましょう」

 捲し立てるゼータの顔は誇らしげだ。方や本を覗き込むレイバックとザトは渋い顔である。本好きかつ魔法好きのゼータに取ってはお宝のような書物だが、興味のない者にとっては昼寝の枕にもならない代物だ。幸いにもクリスは本好きだが、魔法を使えぬ人間が古代魔法についての文献を読み漁って面白い事があるだろうか。皆が憂慮の視線を向ける中、本を手にしたクリスはにこにこと笑う。。

「ゼータ、ありがとう。僕、魔法については基礎知識しかないからさ。読んでいてわからない事があったら聞きに行くよ」
「いつでも来てください。魔法は奥が深いですからね」

 なぜか物を渡したゼータの側が満足気、という不可思議な品物贈呈が終わった。クリスが書籍を茶タンスの上にのせたのを確認して、次はザトがクリスの膝元に蓋の付いた紙箱を差し出した。それは誕生日会の開始時にザトが秘密基地に持ち込み、今までテーブルの下に置かれていた物だ。

「俺は有り物ですまんな。物を買いに出る時間がなかったんだ」
「ザトさんもプレゼントを用意してくれたんですか?」
「誕生日とはそういうものだ、とゼータに聞いたんだ」

 皆が誕生日会の誘いを受けたのは今朝のことだ。決まった公務を請け負っているわけではないゼータはプレゼント探しの時間を持てたが、多忙なザトはそうも行かなかったようだ。ザトが蓋を開けた紙箱の中には、細々とした細工品がぎっしり詰まっていた。クリスの指がその内の一つ、金色の鍵の形状をした細工品をつまみ上げる。ただの古びた鍵のようにも見えるが、持ち手の部分に不自然に大きな穴が空いている。鍵として使用するには甚だ不便そうだ。

「…ザトさん。これは何ですか?」
「それは鍵の形をした栓抜きだな。他も全て酒を飲むときに使う道具だ。栓抜きが多いが…これは酒を混ぜるための棒だな。これは開けた酒瓶を保存するための蓋だ。好きな物をどれでもやろう」

 そう、ザトは酒のグラスや栓抜きを集めることが趣味なのだ。何かと酒を楽しむ機会の多いクリスにとっては、ゼータの書籍よりも余程有用なプレゼントである。クリスは一通り全ての道具に触れながらも、結局最初に触れた鍵型の栓抜きを選んだ。少しばかり錆びの付いた金の栓抜き、壁にぶら下げておけば中々趣がある。

「これはどこで買った物ですか?」
「どこだろうな…かなり古い物だから覚えていない。小人族の集落を訪れた時か、妖精族の集落に立ち寄った時か…」

 ザトは記憶を辿るが、古びた鍵の出所に思い至ることはできなかったようだ。クリスはザトに礼を述べて、栓抜きをゼータの書籍の上に重ねる。待っていましたとばかりに、テーブルの下から布に包まれた物体を取り出した者はレイバックである。手のひらを3つ合わせたほどの大きさがある謎の物体が、テーブルの上にごとりと音を立ててのせられる。

「俺も有り物ですまんな。ザトと同じく買いに出る時間がなかった」

 言って、レイバックは謎の物体を包む布を剥ぐ。皆の興味を集める中、現れた物はやはり謎の物体であった。透き通るガラスを思わせる質感のそれは円形で、円の半分は透明、残りの半分は燃えるような緋色だ。美しくはあるが、何に使う物なのか全くもって見当が付かない。

「王、これは?」

 謎の物体に見入るクリスに代わり、尋ねた者はザトであった。いつの間にやら、壁際にいたはずのメリオンがちゃぶ台の傍に寄っている。王宮の最高権力者の贈り物に興味があるようだ。

「これは鱗だ」
「…鱗?」
「俺の」

 皆がはてと首を傾げ、数秒の後にレイバックの言葉の意に辿り着く。恐る恐る口を開いた者は、誕生日会開始以降いつもより口数が少なかったメリオンである。

「…まさかドラゴンの鱗ですか?」
「そうだ。俺も知らなかったんだが、市場ではかなりの高値で取引されているらしい。バルトリア王国訪問以降、何かと竜体での移動が増えただろう。空を飛ぶうちに。古くなった鱗が地面に落ちることがあるらしいんだ。硬いし見た目も綺麗だから、削って武器や宝飾品に加工するんだと」
「なるほど…」

 メリオンはテーブルの上の鱗を見つめたまま黙り込んだ。同じく鱗を眺めるクリスが、そろりと口を開く。

「レイさん…ちなみにこれ、1枚いくらで取引されているんですか?」

 ドラキス王国にドラゴンが飛来することは稀だ。飛来と言っても遥か上空を通り過ぎるだけであって、ドラゴンがこの地に留まったことはドラキス王国建国以降例がない。貴重なドラゴンの鱗であるとともに、この鱗の持ち主は国の頂に座るレイバック。神獣であるドラゴンの王の鱗ともなれば、破格の値段が付けられても可笑しくはない。
 レイバックは頬を掻き、クリスの耳元に口を寄せた。

「…うわ」

 囁かれる取引価格を聞いたクリスは、鱗に触れる指先を慌てて引っ込めるのであった。

 ゼータ、ザト、レイバックによる品物贈呈は終わった。皆の視線が一斉にメリオンに向く。次はお前の番だと言わんばかりだ。緋色の鱗を辛抱強く眺め下ろしていたメリオンは、突然向けられた視線に肩を揺らした。

「…俺は何も用意していないぞ」
「何。おいメリオン。お前が最もプレゼントを用意せねばならん立場だぞ」
「ケーキを買って来ただろうが」
「ケーキは別物だ」
「まぁまぁザトさん。僕はケーキで十分ですよ」

 白熱しそうなザトとメリオンの会話に、クリスがさっさと終止符を打った。祝いの言葉は口にせん、プレゼントも用意していない、恋人たる者が何と言う気の抜けようだ。口元で愚痴を吐き連ねるザトを前に、メリオンは珍しく居心地が悪そうである。

「…買うつもりではあったんだ。街を歩く内に忘れていただけで」

 買うつもりではあった、の言葉にクリスは一気に満面の笑みとなった。何も貰っていないのに、他の何を貰った時よりも嬉しそうな顔である。クリスの笑みを見たメリオンは肩を竦め、先ほどよりもさらに居心地が悪そうだ。

「街?そうだ、メリオン。診療所に行って来たんだろう。結果はどうだった」

 そう尋ねる者はザト。ザトの表情は険しいが、対するメリオンは事もなげな様子。

「これといった身体の不調はない。直に治まるそうだ」
「病気の類ではないのか?」
「違う」
「そうか。それは良かった」

 ザトは安堵の表情を浮かべ、酒の注がれたグラスを手に取る。メリオンはザトから視線を逸らし、そそくさと壁際へと戻って行った。

「なんだ。メリオンは体調が悪かったのか?」
「いえ、悪いというほどでは。2週間前の魔獣討伐遠征よりだるさが抜けないと言っていたので、診療所の受診を勧めたのです」
「ああ、午後に休みを取っていたのはそういう理由か」

 レイバックとザトの会話を小耳に挟みながら、クリスはメリオンを見つめた。壁に背を預け、胡坐をかく姿はいつもと変わりはない。けれども誕生会の開始以後、メリオンは嫌に静かである。いつもならば当に酒が回り、淫猥な言葉の1つや2つ吐き散らかしていそうなものだ。加えていつもなら決して手を付けぬはずの菓子を口に運び、居眠りまでした昨晩の様子。さらにメリオンのグラスは、誕生会開始時から一口も減っていない。無類の酒好きであるはずのメリオンが。

「メリオンさん。予定日はいつですか?」
「年末…」

 言いかけて、メリオンははたと口を噤んだ。突然の問いにうっかり口が滑ったという様子だ。謎の問いを投げ掛けたクリス、その問いに淀みない答えを返したメリオン。クリスの瞳は信じられないというように見開かれる。他の3人はさわさわと色めき立つ。

「予定日?なんの予定日だ」
「決闘でもするんじゃないですか」
「まだ8か月も先だぞ。そんな先の決闘予定を今から立ててどうする」
「本気で闘り合うなら、今からそれなりの準備が必要ということですよ」

 各々の見解を述べながらも、3人は自然とクリスの視線を追う。クリスの視線の先にはメリオンの腹がある。ぴったりとしたデザインの衣服を好むメリオンであるが、今日は珍しくゆったりとしたシャツを着用している。皆が一様にシャツに包まれたメリオンの腹を眺め、辺りはしんと静まり返る。そして次の瞬間一気に騒がしくなった。

「嘘嘘、メリオンさん本当?冗談じゃなくて?」
「ついに懐妊か。めでたいな」
「天使か。天使を生むのか?」
「ちょっとメリオン。妊婦が酒を飲んじゃ…あ、減ってない」
「俺の部屋に未開封の冷茶の瓶がある。持って来よう」
「レイ、待ってください。妊婦は飲む茶にでさえ気を遣うとちまたで聞きます。私の部屋にある果実水を持ってきましょう。ほら、妊婦は酸っぱい物がほしくなると聞くじゃないですか。巷で」
「巷ってどこだ?」

 すぐ戻ります。そう言い残して、ゼータは部屋の入口へと駆けて行った。同時にクリスも席を立ち、寝室へと続く扉へと消える。残されたレイバックとザトは、グラスを片手に額を突き合せた。

「十二種族長の懐妊は過去に例があったか」
「子を身籠ったからという理由で辞めた人間族長が大分前におりました」
「そうか…メリオン、頼むから辞めるなよ。公務に関してはいくらでも融通を利かせるから、辛い事があれば何でも言ってくれ」
「王、メリオンは自分の不調を他人に言わぬ質です。クリスに観察させた方が確実かと」
「それもそうだな。週に1度報告させるか」

 クリスがメリオンの体調観察係に任命されたところで、当のクリスが寝室から戻ってきた。両手いっぱいに毛布を抱え、毛布の上にはさらに3枚の座布団と、1つのクッションがのっている。

「メリオンの公務の負担を軽減するのはもちろんですが、王宮内の設備の改善も必要になるでしょう。廊下には段差も多いですし、妊婦が暮らしやすい環境とは言えません」
「出産後の事も考えねばいかんな。子と暮らすなら、今の十二種族長の私室では行く行く手狭になるぞ」
「公務中に子を預かる者も雇わねばなりません。幼子を見ながらの仕事など不可能です」
「確かにな。課題は山積みだ。良い機会だし王宮内の設備と仕組みを一新するか」

 王とナンバー2の話し合いは着々と進む。蚊帳の外のメリオンは、クリスに与えられたクッションを抱き込み黙り込んでいる。クッションだけでは飽き足りないクリスは、メリオンの目の前に3枚の座布団を積んでいるところだ。そこにメリオンを座らせたいらしい。

「ただいま戻りました。これ、先日酒屋で見つけた果実水なんです。蜜柑果汁100%だから妊婦でも安心して飲めますよ」

 小走りで秘密基地に戻ってきたゼータが、テーブルの開いた場所に巨大な瓶を置いた。一瞬酒瓶と見紛うばかりの風貌の瓶だが、確かにラベルには「蜜柑の果実水」と書かれている。先ほどザトに貰ったばかりの栓抜きで瓶の蓋を開けたクリスは、空のグラスになみなみと橙色の液体を注いだ。3枚の座布団の上に座らされたメリオンの前に、果実水のグラスがそっと差し出される。

「そういえばゼータの懐妊を心待ちにするカミラが、王宮内各所に手回しを始めていると聞いた。明朝相談してみるか」
「シルフィーによると、保育に知のある侍女が王宮内に雇い込まれているみたいですよ」
「それは頼りがいのある助っ人だ。参考までに私も話し合いに同席させていただきたい」

 レイバックとゼータ、ザトが話し合いを重ねる横で、メリオンはクリスの手により簀巻きにされていた。尻の下には3枚の座布団、膝の上には柔らかなクッション、肩には毛布が掛けられ、クリスは残されたもう一枚の毛布をメリオンの身体に巻き付けているところである。暖かな部屋の中で一人だけ極寒の装いとなったメリオンは、額に汗の粒を浮かべていた。

「おいクリス、いい加減にしろ。卵でも孵すつもりか!?」

 毛布を跳ね飛ばしいきり立つメリオンの目の前には、未だ切り分けられる事のない誕生日ケーキ。
 純白の生クリームの上では、砂糖菓子の天使が愛らしい微笑みを浮かべていた。



***
あと1話!
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