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はないちもんめ

黒髪の麗人

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 ポトス城の王宮、王の執務室、時は昼下がり。部屋の主であるレイバックは、執務机に積み上げられた書類をぱらぱらと捲っていた。午後の陽射しが射し込む室内は暖かい。昼食を終えたばかりのこの時間は、言い換えれば「押し寄せる眠気と戦う時間」。レイバックが目の前にある3枚の書類を冒頭から眺めるのは、これで4度目のことである。
 執務机の前に置かれたソファには、ゼータが腰かけていた。ゼータの目の前の机にも、レイバックと同様に山のような書類が置かれている。王妃として最低限の知識を蓄えるべく、王宮内の決裁書類に目を通している最中なのだ。しかし今ゼータの意識はそこにない。目線はかろうじて書類へと向かっているものの、焦点は定まっていない。押し寄せる眠気に敗北寸前、という状況である。

 扉を叩く音が聞こえた。レイバックは眠気を覚ますために頭を振ると、扉の向こう側にいるであろう人物に入室を促す。入っていいぞ、と。レイバックの声に夢現から舞い戻ったゼータも、眠気を吹き飛ばすために頭を振る。

「失礼致します」

 挨拶とともに入室してきた人物は、レイバックとゼータの知らない女性であった。女性にしては短い黒髪に、眦が吊り上がった灰色の両眼。背丈は女性としてはかなり高い方で、背筋を伸ばし立つ様は凛としていて美しい。着ている衣服は王宮内でよく見かける官吏服であるが、ただの官吏にしては貫禄がありすぎる。

 一体どちら様? レイバックとゼータは無言のまま、その凛々しい女性の顔を見つめる。しかし女性はいつまで経っても言葉を発さない。初めの一言を探しているようにも見える。
 長らく続いた沈黙を破る者は、ソファから腰を浮かせたゼータだ。

「…ひょっとしてメリオンですか?」

 ゼータの問いかけに、女性は観念したように息を吐く。

「…仰るとおりでございます。一昨日から休みを頂き、小旅行に行っておりました。旅先で不慮の事故に会い、このような姿となった次第でございます」

 やはりそうかと頷くゼータに対して、レイバックは驚愕と困惑の入り混じった表情だ。サキュバスであるゼータにとって姿を変えることは日常茶飯事。しかしそうでない者にすれば、性別が変わるなど異常事態である。すっかり眠気の覚めたレイバックは、メリオンの顔をまじまじと見つめながら言う。

「それは不運な事故であったな。公務に支障はないのか?」
「多少魔法に不具合が生じておりますが、日常公務に支障はありません」
「元には戻るのか」
「先になりますが、戻ります」
「皆に周知は?」
「この後各所を回ります。人と関わる仕事ではないので、さほど問題はないかと」
「そうか…それなら良いが」

 レイバックはそこで言葉を切る。部屋にはまた沈黙が落ちる。かち、かち、かちと時計の音だけが響き、次に沈黙を破る者はメリオン。

「ゼータ様…不躾な願いとは存じますが、明日一日買い物にご同行いただけませんか」

 突然の願い出に、ゼータはきょとんと目を丸くする。

「私ですか?なぜ?」
「衣服の購入に際し、助言を頂きたいのです。事情が事情であるだけに、女性の知り合いには同行を願いにくいもので…」

 メリオンにしては珍しく歯切れの悪い物言いだ。しかし曖昧な表現であるにも関わらず、ゼータはすぐにメリオンの真意に気付く。メリオンの言う「衣服の購入」とは、それ即ち「女性用の下着の購入」のことを指す。レイバックが気付いているかどうかは定かでないが、ゼータには分かる。現在のメリオンは下着を身に着けていない。凶器ともいうべき豊かな胸元が、あるべき下着の内側に収められていないのである。乳首がくっきりと浮き出たシャツの胸元は、最早兵器というに等しい。今のメリオンが王宮内の廊下を練り歩けば、間違いなく多数の死者が出ることだろう。早急に適切な下着を宛がう必要がある。

「私は構いませんよ。明日の朝一番で良いですか?」
「詳細な時刻については追って連絡させていただきます。ザト殿の予定を確認する必要がありますから」
「あ、ザトも一緒なんですね」
「王妃と2人きりでの外出を願うほど愚かではありません」

 では一度失礼させていただきます。レイバックとゼータに向けて深々と頭を下げた後、メリオンは扉の取っ手に手を掛ける。かちゃりと扉が開かれたとき、不意にレイバックが声を上げる。

「メリオン、そうなるに至った不慮の事故とは?」

 メリオンはぴたりと動きを止め、憤怒の声を絞り出した。

「知者の策略です」
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