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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

ロザリーと

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-神具の修理が完了した。至急魔具屋に参られし
 端的にそう書かれた文を受け取ったゼータは、その翌日単身ロザリーの魔具屋へと赴いた。それはリジンとの買い物から2週間が経った日のこと。ゼータがハクジャの地にやって来てから、ちょうど3週間が経った日の出来事であった。

 2度目の来訪となるロザリーの魔具屋は、やはり物理法則を無視した滅茶苦茶な内装であった。本来あるべき場所にあるべき壁はなく、見渡す限りの広大な草原が広がっている。時折ささぁ、と吹き抜けるそよ風が、適度に刈り込まれた緑の芝生を撫でる。雄大な風景の中に川や池、林の類は存在せずに、本当にただどこまでも芝生が広がっているだけの光景だ。そして空。見上げた頭上に本来あるべき天井はなく、どこまでも澄んだ青空が広がっている。無限に広がる青空には雲がなく、鳥の1羽も見当たらない。鬱蒼とした密林地帯とは対照的な、とてもシンプルな空間だ。
 ゼータは広大な草原の中を黙々と進んだ。目指す先は壮大な風景の中にぽつんと佇む小さな木。ふさふさと茂る新緑色の葉が、緑の芝生に日陰を作っている。そしてその日陰には――ロザリーがいた。芝生の上に飴色の揺り椅子を置き、ゆらゆらと椅子を揺らしながら読書に耽っている。湖面の読書も贅沢であったが、草原でも読書というのも同じくらい粋なものだ。

「ロザリーさん。おはようございます」

 揺り椅子の傍らに立ち、ゼータはそう声を掛ける。ロザリーは手の中の書物を閉じ、それからゆっくりとゼータの方を見た。肩甲骨のあたりで切り揃えられた群青の髪に、髪と同じ色合いの円らな瞳。豊かな肢体は光沢のある深緑色のワンピースに包まれている。

「あら、おはよう。随分早いわね」
「今日はリジンが早出だったんです。朝一でとある資産家のお宅に伺わなきゃならないみたいで」
「ああ…そうなの。相変わらず大変な仕事ね。せめて1人でも、店番を頼める使用人を雇えばいいのに。ねぇあなた、リジンさんに奴隷として買われたんでしょう?店の仕事が手伝っていないの?」
「店に呼ばれたことはないですねぇ。毎晩着せ替え人形にはされていますけれど」
「そう、それはお気の毒。リジンさんの店には独創的な衣装が揃っているものね」

 特に感情もなくそう言い切ると、ロザリーはおもむろに指を鳴らした。ぱちんと乾いた音が草原に響けば、途端にゼータの足元の地面が盛り上がる。土を押し分け、芝生を押し分け、地中から現れた物は小さな宝箱だ。揺り椅子と同じく、飴色の木で作られた上品な宝箱。ゼータがその宝箱に触れるより早く、船底型の蓋はひとりでに開く。宝箱の中には紅色の絹地と、旅の標である片割れ探しの神具。

「片割れ探しの神具…凄い。すっかり元通りですね」

 ゼータは神具を掴み上げ、手のひらの上でくるくると回転させる。激しく破損していた蜜柑大の水晶玉は綺麗に修復され、内部はとろりとした液体で満たされている。液体の中央には気を削り上げただけの小舟が浮かび、小舟の先端には丁寧に彩色された木製のきつつき。船の舳先は草原の一方を指しゆらゆらと揺れる。これといった目印のない草原の中では、船の舳先が指す方角がどちらであるかはわからない。しかし修理が完了したというのだから、その方角は真東にあたるのだろう。

「問題はなさそうかしら?全く同じ状態に作り直すことはできなかったから、多少動作行程が変わってしまってはいるけれど」
「…多分大丈夫だと思います。神具を回転させても、舳先の指す方角は変わりませんから」
「そう、良かったわ。もしも街の北端にある魔具屋を訪れることがあれば、ミスカと言う名の魔女にお礼を言っておいてね。神具の修理は彼女が引き受けてくれたのよ」
「魔女のミスカさん…ですね。機会を見つけて必ずお礼を言いに行きます」

 ゼータはすっかり元通りとなった片割れ探しの神具を懐にしまい込むと、代わりにポケットから金貨を1枚取り出した。ドラゴンの絵が描かれたドラキス王国産の金貨。ロマからハクジャへと海を渡るときに、奴隷商人に奪われないようにと上着の内側に縫い付けておいた物である。その実際の重み以上に重さのある金貨を、ゼータはロザリーに向けて差し出す。

「ロザリーさん。修理代金の支払いは金貨でも良いですか?換金所を利用できれば良かったんですけれど、奴隷の立ち入りが禁止されていたんです」

 差し出された輝く金貨を、ロザリーが手を伸ばして受け取った。紅色の唇からは、ほぅと感嘆の息か漏れる。

「素晴らしい金貨ね。この金貨が1枚あれば支払いに不足はないわ。ただお釣りのお渡しには少し時間がかかるわよ。ハクジャの地では金は貴重だからね。査定には数日時間がかかるはずだわ」
「お釣りはいらないですよ。とてもお世話になりましたから。本当に、感謝してもしきれません」

 金貨を握りしめたまま、ロザリーはまたぱちん、と指を鳴らす。神具がしまい込まれていた飴色の宝箱は地面に飲み込まれて消えて、代わりに小ぶりの丸テーブルと1脚の椅子がにょきにょきと生えてくる。丸テーブルの上には氷の浮かんだアイスティーが2つ。どうやらロザリーは、もう少しゼータと話をしたいらしい。

「ゼータさん、と言ったかしら。あなたは一体どこから来たの?」

 ロザリーの問いに、ゼータは椅子に腰かけることなく答える。

「ずっと遠いところから。方角でいえば西の方ですね」
「海岸国家ロマよりも、もっとずっと西の方ということかしら?」
「ずっとずっと西の地です。ロマに辿り着くまで、騎獣の足で1か月半かかりました」
「そこにも人の住む国があるの?」
「ハクジャよりもずっと大きな大国が2つ。あとは人口が数万程度の小国が数十あります。国家の形態は様々ですけれどね。魔族国家であったり人間国家であったり。ハクジャと同じ人魔混合国家も存在しますよ」
「その人魔混合国家では、人間は魔族の奴隷かしら?」
「いえ、平等に暮らしていますよ。私のお気に入りのカフェの店主は人間ですし、旅立ちのときに送り出してくれた友人も人間です。私は隣接する人間国家に遊びにいった経験もありますよ」

 そう言い切ってから、ゼータは失言に気づく。このハクジャの地では、黒髪黒目のゼータは人間であると認識されている。当然ロザリーもゼータの事を人間だと思っているのだろう。人間であるはずのゼータが、人間を別の存在として呼称するのは些か不自然だ。
 ゼータはじっと息を潜め、じきに返されるロザリーの言葉を待つ。しかし意外なことにも、ロザリーの藍色の瞳は密林の中の湖面のように凪いだまま。

「何となくそうかとは思っていたけれど、あなたは魔族なのね」

 その物言いも、ゼータにとっては意外である。

「魔族ですよ。そう感じるような場面がありましたか?」
「初めて会ったとき、私のことを恐れなかったでしょう。人間にとって『魔女』とは、その名前だけで恐怖を与える存在らしいわよ。悪の象徴とでも言うのかしらね。ついでに言えば、あなたはリジンさんのことも恐れる素振りを見せなかった。これから奴隷にされようというのにね。あなたは魔族でありながらも、安全にハクジャの地に滞在するために自ら進んで奴隷の地位を受け入れたというわけね?」
「その通りです。その通りなんですけど、一つだけ弁明させてください。奴隷になることは受け入れましたけど、隷者になることは了承していないんです。これはリジンに騙されたんです。縁者にしてやると言われていざ隷属の儀を終えてみれば、まさかこんな物騒な刻印を押されておりまして」

 まさか自ら進んで隷者になったわけではないと、ゼータは身振り手振りを交えて必死に説明する。たった一人で街中を歩いてきたのだから、ゼータの衣服は刻印が見えるようにと胸元が広く開け放たれている。日に焼けた肌に浮かぶ真っ黒な刻印。生死すら主に支配される隷者となることを、ゼータは決して受け入れたわけではないのだ。ただ善人の皮を被ったリジンに、言葉巧みに騙されただけ。ゼータの必死の訴えに、ロザリーはふふふと声を立てて笑う。

「それはお気の毒様。リジンさんの口からうまい話が出たときには、何かしら悪意が潜んでいると見て間違いないわよ。根っからの悪人、というわけではないのだけどね。口と性格がとことん悪いのよ」

 性格が悪いのだから、それはつまり根が悪人という意味ではなかろうか。頭に浮かんだ言葉を、唾液とともに必死に飲み下すゼータである。

 結局芝生から湧き上がった椅子には腰かけないまま、雑談は終わり。ゼータは丸テーブル上のアイスティーを一気に飲み干し、それからロザリーに微笑みを向けた。

「ロザリーさん。本当にありがとうございます。これでまた旅が続けられます」

 ゼータは神具をしまい込んだ上着のポケットをぽんぽんと叩く。レイバックを探す旅路に必要不可欠な神具とはいえ、その片割れ探しの神具を直すために3週間の足止めだ。元々ゼータは「4か月後の新王即位までには帰ります」との約束でドラキス王国を飛び出してきた。その約束からもう2か月半近いときが経ち、残された時間は1か月半と少し。本来であればとうに旅の目的を果たし、ドラキス王国への帰路に着いていなければならない頃だ。そうであるはずなのに、ゼータはまだ彼を見つけられない。生きているのだという痕跡も、死んでいるのだという痕跡も、小さな骨の一片でさえも。

「最後に一つだけ教えて頂戴。その船の舳先が指す先には、一体誰がいるの?」
「片割れですよ。千年以上も想い続けた私の片割れ。身体が半分しかなくては、息をすることすらままならないんです」

 根拠など何もないけれど、ただ漠然と思う。
 この旅の終わりは近い。
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