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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

奴隷生活2日目

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 奴隷生活2日目の夜、その日リジンは肩口よりも大きな紙袋を抱えて帰宅した。

「お帰りなさい。お風呂沸かしてありますけれど、先に入ります?」
「飯は」
「スープを温め直せばすぐに食べられますよ。先にお風呂に入るというのなら、洗濯物を畳んでしまいますし。お好きにどうぞ」

 ゼータは右手でコンロ上の鍋を、左手で脱衣所へと続く扉を指さした。リジンはしばし考え込んだ後、不愛想に「飯」と呟く。はぁい、と返事をするゼータは、指先に魔法火をともしコンロのつまみを捻る。夕食準備のうちにすっかり慣れてしまった動作だ。
 中折れ帽と茶革の上着をソファの上へと投げ出して、リジンは部屋の中をぐるりと見まわした。

「昨日言いつけた仕事は全て終わったのか」
「多分、終わったと思いますけれど。忘れているものがあれば、気が付いたときに言ってください」
「ということは小部屋の片付けも終わったのか。愚図のわりに頑張ったじゃないか、感心感心」

 リジンの手が小部屋の扉を引き開ける。灯りのともらない真っ暗な部屋の中には、3つのダンボール箱が平置きされている。ダンボール箱の側面に書かれた文字は、1つ目が「衣類」、2つ目が「書物」、3つ目が「その他雑貨」。たった3つのダンボール箱が置かれただけの部屋は、がらりと広い。

「売れそうな物はこれだけか。かなりの量があっただろう」
「目ぼしい物はそれだけですよ。箱の中身には一通り目を通しましたけれど、欠けた皿とか汚れたタオルとか、そんな物ばかりなんですよ。菓子箱は出てきたときには少し期待を寄せたんですけれど、全部期限切れ。あんなカビの塊を、よくも今まで放置できましたねぇ」

 ゼータは今日一日の苦労を思い出す。奴隷生活2日目となるゼータの一日は、物置部屋である小部屋の片付けで大半が終わることとなったのである。
 朝仕事へと向かうリジンを見送り、朝食の片付けと洗濯を済ませたゼータは、やる気十分腕まくりをして小部屋の扉を開けた。その小部屋は、片付けが終わればゼータが使用してよいと昨日リジンに言われている。他人との共同生活において、1人になれる空間があるというのは有り難い。意気込み十分で扉を開けたゼータであるが、室内に詰め込まれたダンボール箱の多さに一時圧倒されることとなる。大小様々な大きさのダンボール箱が、合計で20個弱。それに中身のわからない紙袋が十数個と、床に投げ捨てられたタオルや毛布。よくもこれだけの不用品を溜め込んだものだと、感嘆すら覚える光景であった。しかも先のゼータの言葉の通り、箱の中身はほとんどがごみ。飲み口が欠けたマグカップに、泥汚れを拭いたと思われるタオル。カビ塗れの焼き菓子、引き千切れた毛布、片方だけのイヤリング。そんなどうとも再利用しがたい物品が、小部屋の中にこれでもかと押し込まれていたのだ。

「箱詰めの衣類もほとんど捨ててしまいましたよ。色褪せたり虫に食われたり、あれじゃ古着としても売れません。比較的状態の良い物は私が部屋着としていただきました」
「ごみは全部出したのか。ごみ捨て場を山にすると管理人にどやされるぞ」
「街外れのごみ集積場に運びましたよ。ごみ捨て場の場所を確認しに行ったときに、丁度管理人さんに出くわしたんです。山ほどのごみがあると言ったら荷車を貸してくれて、買い出しがてら全部捨ててきまし」
「…そうかよ」

 リジンはそれきり、小部屋について言及することはしなかった。昨日のように「さぼっていたんじゃないだろうな」と声を荒げることもない。丸一日の努力が功を奏し、奴隷市場に売り飛ばされることはなさそうだ。
 ゼータがダイニングテーブルの上に2人分の汁物を並べたところで、部屋着に着替えたリジンが食卓の席についた。ハクジャ滞在2日目となる本日の夕食は、名前のわからない魚の塩焼きに溶き卵のスープ。色合いだけは綺麗な生野菜のサラダに、カブによく似た根菜の煮物。一見すればバランスよく整った夕食である。しかし根菜の煮物を手づかみで口に放り入れたリジンは、これ見よがしに溜息を吐く。

「昨日も思ったが、あんた料理の腕は散々だな。ロザリーの薬草茶の方がまだましな味だ」
「初めて見る食材ばかりなんだから、仕方ないじゃないですか。カブだと思って買った野菜からまさか林檎の味がして、私だって驚きを隠せないんですよ。この国の一般的な味付けもよくわからないですし。あの調理台に並ぶ七色の調味料は、どうやって使えば良いんですか?」

 ゼータが指さす先は、調理台の隅っこに並ぶ7つの小瓶。ころりとした形状の小瓶の中には、赤、青、黄、緑、橙、紫、黄緑の7色の粉末が入れられている。調理台に置かれているのだから何かしらの調味料であろうと想像はつくが、どのような食材に振りかけるべきなのかがまるで分からない。砂糖と塩は別の瓶に入れられているから、スパイスに似た粉末であろうとは思うのが。初めて目にする食材に初めて目にする調味料を振りかける、というのはいくら何でも冒険心が過ぎる。
 薄く塩が振られただけの焼き魚をフォークの先でつつき、リジンは食事開始以降2度目の溜息。

「調理方法ぐらい食料品店で仕入れて来いよ。店員を捕まえて聞けば、お勧めの食べ方くらい教えてくれるだろ」
「一応聞いては来たんですけれどねぇ。その魚にはポロクロの付け合わせが合うと言われたんです。でも今日はポロクロの入荷がないらしくて、代替としてきのこの付け合わせにしてみました。ポロクロって何ですか?野菜?」」
「…ポロクロはハクジャ近海で採れる海藻の一種だ。海に潜って採らなければならないから、波が荒い日は入荷がない」
「ああ、それで。今日は朝から風が強かったですもんね」

 荷車にのせた大量のごみを、何度風に飛ばされそうになったことか。今日一日の苦労を思い出し、ゼータもまたふぅ、と溜息を吐く。生サラダの皿を引き寄せ、プチトマトによく似た野菜をそろそろと口に運ぶ。次の瞬間、口の中に広がる苦みと酸味。何ということだ。これはトマトではない、赤いレモンである。驚きのあまりブルドックのような面持ちとなるゼータ。焼き魚の解体に集中するリジンが、ゼータの奇怪な顔芸に気が付くことはない。

「付け合わせを変えることに文句は言わないが、なぜあえてきのこを選ぶ?俺はきのこが嫌いだと言っただろう。主に好みくらいしっかりと記憶しておけ、この無礼者めが」

 リジンのフォークは、焼き魚の皿にのるきのこの炒め物をつつく。ゼータはプチトマト改めプチレモンを必死で飲み下す。

「積極的にきのこにするつもりはなかったんですよ。でも2つで1つ分の値段にしておくと言われたら、買わないわけにはいかないじゃないですか。それに異国人の私にとって、きのこは唯一安心して調理できる食材です。肉も野菜も果物も見知らぬ物ばかりですけれどねぇ。きのこはドラキス王国に生えている物と大差ありません。多少色と大きさが違うくらい…ちょっとリジン。皿の端にきのこを追いやらないでくださいよ。可哀想じゃないですか」

 リジンの皿からは、端へ端へと追いやられたきのこ達の悲鳴が聞こえるようである。「お、落ちちゃうよぉー」「折角炒められたんだから残さずに食べてよぉー」

 それから20分が経てば、ダイニングテーブル上の皿はほとんどが空。空食器を片付けるべくゼータが席を立てば、それとほぼ同時にリジンも席を立つ。どうやら皿の端に残されたきのこ達は、腹に収めてはもらえないようである。空皿をせっせと積み上げながら、ゼータはリジンにこう尋ねる。

「すぐお風呂に入ります?温め直しましょうか」
「自分でやるから良い。風呂から上がったらもう一仕事するから、お前は先に着替えておけ」
「…着替え?」

 はてこの後どこかに出かける予定があっただろうかと、ゼータは首を捻る。リジンは部屋の玄関口まで歩いていくと、そこに置かれた大きな紙袋を持ち上げた。その紙袋は帰宅時のリジンが肩にかけていたもの。上着を脱ぐ際に床に置き、そのままになっていたのだろう。中身の分からないその紙袋を、リジンは食卓椅子の座面にのせる。

「中に女物の衣服が入っている。食事の片付けが終わったらそれに着替えるんだ。下着や靴下を変えるのも忘れるな。俺の寝室に姿見があるから好きに使っていい」
「はぁ…?」
「準備ができたらそのまま寝室で待っていろ。風呂から上がったらすぐに行く」

 タンスから数枚の衣類を引き出したリジンは、脱衣所へと消えていく。残されたゼータは空食器を積み上げる手を止め、呆然とその場に佇むのだ。
 着替え、女物の衣服、寝室、夜の一仕事。そして今のゼータはリジンの奴隷。それらの言葉が合わされば、ゼータが行き着く未来は一つしかない。

「ど、ど、どうしよう」

 激しく狼狽えるゼータの手のひらから、数枚の空皿が音を立てて落ちる。
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