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荒城の夜半に龍が啼く

ただいま

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 宴の終わった次の日の早朝に、ゼータとザト、4人の兵士は王宮への帰路に着いた。ゼータの傷に障らぬようにと、騎獣の速度は重たい荷を引く荷馬車並みであったが、数度の休憩の後に夕刻前には無事王宮に辿り着いた。一行の帰りを今か今かと待つカミラに出迎えられ、6日ぶりに王妃の間へと足を踏み入れたゼータであるが、その日の夜から見事に高熱を出して寝込む羽目となったのである。
高熱の理由は単純な疲労。

「血も魔力も足りないまま数時間冷たい雨に打たれれば、どんな強者でも熱くらい出します」

 高熱に唸るゼータを診察した白髭の医者は、事も無げにそう言った。

 ベッドの住人となったゼータの熱が下がったのは、帰還から丸3日が過ぎようとする頃であった。その日は朝から熱が上がらず、正午頃になっても平熱を保ったゼータは、無事医者に回復の判を押されたのである。

「カミラ、心配をお掛けしました」

 ベッドの端に腰を掛けたゼータは、昼夜問わず傍らで看病をしてくれたカミラに向かって深々と頭を下げた。3日間まともに寝ていないはずのカミラであるが、皺がれた顔は妙に生き生きしている。

「お傍についての看病など苦ではありません。王とゼータ様が黒の城に滞在されている間の心労に比べれば些細なものです」

 カミラはそう言って笑う。久方ぶりにうわ言以外での人との会話を楽しみながら、ゼータは部屋の中をぐるりと見まわす。6日間不在にしていた王妃の間は出国前と変わらぬ様子だ。窓は磨かれ床は掃かれ、タンスの上には埃一つない。レイバックとゼータの身を案じながらも、日々カミラが掃除に勤しんでくれていたのであろう。変わっていると言えば、飾り棚の上に置かれた花瓶の花が変わっている事くらいか。

「…カミラ。あの箱の山は何ですか?」

 変わっている場所はもう一つあった。花瓶の飾られた飾り棚の上、空いた空間にいくつもの箱が積まれているのだ。手のひらにのるほどの小さな箱もあるが、中には両手で抱え上げる程の大きな箱もある。箱の見た目も様々で、真っ白な箱もあれば渋い抹茶色の箱もあった。ゼータの指さす箱の山を見て、カミラはああ、と笑い声を立てた。

「あれはお見舞いですよ」
「お見舞い?そんなに大勢の人が来てくれたんですか?」
「魔法管理部や十二種族長の方々が何名かいらっしゃいましたよ。ただあそこに積まれている箱は、全てクリス様が置いていった物です」
「クリス…?」

 なぜクリスが病人の部屋に大量の紙箱を持ち込むのだ。不思議に思ったゼータはおぼつかない足取りで飾り棚に寄り、いくつかの紙箱を同時に持ち上げた。

「重たい…」

 不穏な空気を感じながらも、ゼータは10に近い紙箱をせっせとベッドの上に運んだ。紙箱だらけになったベッドによじ登り、一番大きな箱の蓋を開ける。
 大きな黄色の紙箱の中には、多種多様の焼き菓子がぎっしりと詰まっていた。美味しそうではあるが、病み上がりのゼータが到底食べきれる量ではない。まさか他の箱も全て菓子かと、疑い半分でゼータは次々と箱を開ける。予想通り、大小さまざまの箱に詰まる物は、全てポトスの街中ではそこそこ人気を博している菓子の類であった。水菓子から焼き菓子まで種類は様々だが、これだけの量の菓子を全て腹に詰め込めば、ゼータは食べごろの子豚のように丸々と肥え太ることだろう。

「見舞いというか在庫処分じゃないですか、これ」
「いえ、クリス様はゼータ様のために買っていらしたようですよ。早朝公務が始まる前に菓子屋に並び、開店と同時に購入されていらっしゃるようでした」
「…私が寝込んでいたのは3日間ですよね。箱の数が多すぎやしませんか」
「毎日3箱届けてくださいましたから」

 クリスが流行りの菓子を買うのが好きな事はゼータも知っている。しかしまともな食事のできない病人の部屋に、9つの菓子箱を積み上げるのはどう考えてもやりすぎである。大量の菓子をどうしたものかと眉根を寄せるゼータを見て、カミラも苦笑いだ。

「一つずつ味見をして、残りは王宮内の各部署に配ると宜しいでしょう。食べきれなかった分は自由に処分してくれ、とクリス様も仰っていましたから」
「クリスが良いというならそうします。この後すぐに配り歩いてきますね。賞味期限が短い物もあるし」
「先にクリス様に断りを入れた方が宜しいですよ。見舞いの礼もまだでしょう。今日は通常の公務日ですから、執務室にいらっしゃると思いますよ」
「そうですね。カミラ、服を用意してもらえますか」
「ええ。お待ちください」

 カミラが衣装棚を物色する間に、ゼータは紙箱の中からせっせと菓子を取り分けた。一つの箱に複数種類の菓子が入っている箱も多く、全ての菓子の味見となるとかなりの量になる。カミラが見慣れたゼータの官吏服を壁に掛ける頃には、20を超える菓子がゼータの膝元に集まった。毎日地道に1つずつ食べる事にしよう。カミラに手渡された籠に菓子を詰め込みながら、ゼータは思うのであった。

 菓子箱の蓋を閉め、着替えを済ませたゼータが櫛で髪を梳かしている時であった。寝室の扉が開きレイバックが入室してくる。短くなった髪はまだ見慣れない。

「よ。元気になってよかった」
「ご心配をお掛けしました」

 まっすぐベッドまで歩み寄ったレイバックは、そこに座るゼータの額に手のひらを当てる。ゼータの体調を慮ったレイバックは、日に何度も部屋を訪れてこうして額に手を当てていった。いつもひやりと冷たく感じた手のひらが、今は温かい。

「熱を出したのは初めてか?」
「いえ、過去に一度ありますよ。研究に打ち込みすぎて不摂生が祟りました。でも1日経てば下がる程度の熱だったので、高熱で寝込むというのは初めての経験です」

 魔族は元来怪我や病気に強い。大抵の傷は自らの治癒力で治す事が可能だし、治療が必要な病気にかかる事も滅多にない。ポトスの街中にも診療所はあるが、受診者の大半は人間だ。ゼータとて身の回りの世話が自分でできないほどの体調不良は初めての経験である。それほどに今回の事件は大変だったという事だ。
 少し痩せたゼータの顔をまじまじと眺めるレイバック。その顔は随分と嬉しそうだ。熱でうなされる間にうわ言で一言二言と会話をした記憶はあるが、こうして顔を見て話すのは獣人族の集落での宴以来である。別れ際の気恥ずかしい出来事を思い出し、ゼータはレイバックからふいと視線を逸らす。

「元気になったなら頼みたい事がある。ゼータが寝込んだ日に種族長会議が開かれてな。黒の城での出来事を皆に報告したんだ。俺の説明で大体は何とかなったんだが、ユダの件については朧気でな。いくつか質問が上がっていたから、回答を作って決裁を回してほしい」

 レイバックは胸元に仕舞い込んでいた一枚の紙を、ゼータに手渡した。紙を開けば見慣れたレイバックの字が連なる。「インキュバスであるユダの魔法の正確な発動条件やいかに」「七指を隷属下に置いてまで国家の正しい統治を頑なに拒んだ理由は」等々。ゼータはフィビアスを打ち倒した後に、ユダが黒幕である事、更にユダの種族や魔法の概要はレイバックに伝えている。しかし逃走を前に満足な時間もねく、ゼータの知る全ての事柄を伝えきれてはいないのだ。紙に並ぶ質問に目を通しながら、ゼータは頷いた。

「大体答えられる内容なので早急に作ります」
「急がなくても良いぞ。この先特段やるべき事があるわけではない。すでに終わった事項だからな。どこかに行く予定だったのなら、明日でも構わんが?」

 レイバックはゼータの胸元を指さした。久しぶりに着た官吏服には、胸元に王宮の紋章が付いている。これを着るという事は王宮内を出歩くという証拠だ。

「クリスにお礼を言いに行こうと思っていたんです。見舞いの菓子を随分と貰っているので」

 そこまで言ってゼータはとある事を思い出した。レイバックに渡された書類の回答を作る前に、メリオンと話をしなければならない。ユダに聞いたメリオンの過去を、皆に明らかにして良いか否かで回答の内容は大分変わってくる。

「あと、メリオンと話をしに行ってきます。ほら、黒の城でメリオンを知る人に会ったと言ったじゃないですか。一応伝えておこうかなと」
「メリオンなら不在だぞ」
「魔獣討伐ですか?」
「いや、私用の休暇だ」
「珍しいですね。でも休暇なら夜には帰りますよね」
「…残念だがしばらく帰らない。2か月休みを申請している」
「2か月!?」

 ゼータの叫びに、菓子箱を積み直していたカミラが驚いたように肩を震わせた。
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