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荒城の夜半に龍が啼く

戦慄のダンス-2

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 儀式棟の片隅で、ゼータは黙々と料理を口に運んでいた。ひんやりとした壁に背中を付けて、手の中にはたくさんの料理が盛られた大きな白皿。できれば椅子に座って食べたいものだと呑気に考えながら、ゼータは色とりどりの蒸し野菜を次々と口に入れる。

「あれ?」

 ほこほこかぼちゃを飲み下し、ゼータは首を傾げた。何気なく眺めた人ごみに中に、小国の国王と踊るラガーニャの姿を見つけたから。さっきまでラガーニャと一緒にいたはずのレイバックは、一体どこに行ってしまったのだろう。ゼータは一抹の不安を覚えながら、人ごみの中に視線を走らせる。
 ゼータが目立つ緋色の頭を見つけ出すよりも先に、人混みを抜けて一人の男が歩いてきた。男の視線は真っ直ぐゼータに向いている。まさかダンスの誘いだろうかと、ゼータはこくりと喉を鳴らす。その男はゼータの目前で歩みを止めると、ゼータに向けて恭しく右手を掲げた。

「1曲踊っていただけますか?」

 やはりダンスの誘い。ゼータは何食わぬ顔で、男の目の前に大盛りの皿を掲げて見せる。

「申し訳ありません。嬉しいお誘いですが食事中ですので」
「食事なら後ほどなされば宜しい。ここはダンスの会場ですよ」
「それは、そうですね…。えっと、連れがもうすぐ戻ってくるんです。次の曲は一緒に踊ろうと約束をしておりまして」
「レイバック様でしたら戻ってきませんよ。フィビアス女王と踊っておいでです」
「え?」

 男の言葉に、ゼータは慌てて人混みを見やる。右へ左へと動く人波に、懸命に視線を走らせる。
ようやく見つけたレイバックは、確かにフィビアスと踊っていた。ゼータの額に一筋の汗が伝い落ちる。大勢の視線がある中とはいえ、サキュバスと手を取り合ってのダンスは危険すぎるとメリオンは言った。最低限の顔みせが済んだら、適当に理由をつけて会場から退散せよ、とも。そうすべきであることはわかっていたはずなのに、ダイナと踊り、料理を楽しむうちにすっかり長居をしてしまった。
 ゼータは自らの迂闊な行動を悔い、レイバックの傍に向かうべく足を踏み出す。しかし差し出した脚は数歩のところでその動きを止められた。ゼータの歩みを遮る物は、胸の前に差し出された男の手のひらだ。

「私はダンスの誘いをしているのです。1曲踊っていただけますか?」
「…すみません、ダンスは不得手なんです。おみ足を蹴り上げるのは心が痛みます」

 ゼータは本心から述べた言葉であったが、男はダンスの誘いを断るための虚言と判断したようだ。男の口元からは笑みが消える。

「不得手、ですか。全く王が王なら妃も妃だ。社交の場を遊戯会の会場と勘違いしている。不得手なら不得手なりに断りを入れ、誘いに応じるのが規範でしょう。神国ジュリのダイナ妃は、快く私の誘いを受けてくださいましたよ」

 王が王なら妃も妃。男がレイバックと何かしらの会話をなしたとすれば、レイバックとフィビアスのダンスを取り付けたのはこの男だろうか。ゼータはこのとき初めて、目の前に立つ男の顔を真正面から見据えた。若い男だ。澄んだ翡翠色の瞳に、透けるような白髪。ポトスの街中でも時折見かける銀の髪とはまた違う、長年を生きた老人のような白髪。

「1曲お付き合いいただけますね」
「…はい」

 有無を言わせぬ強い語調に、ゼータは渋々頷いた。

 白髪の男とのダンスは緊張の連続であった。演奏隊が奏でる音楽はゼータの知らない曲で、リードがなければまともに床に立つこともできない。幸い白髪の男はダンスのリードに慣れているが、初めて会う相手の脚を痣だらけにしてはまずいと、ゼータの脳内は不安でいっぱいだ。ぎこちない動きを繰り返すゼータに、不機嫌交じりであった男の表情は次第に緩んでいく。

「本当にダンスは不得手でしたか。虚言と疑って申しわけない」
「いえ、わかってもらえれば…」

 慣れないダンスに興じながらも、ゼータは人混みの中にレイバックの姿を探す。しかし花畑のような色合いの人ごみの中に、目的の頭を見つけることは叶わない。それどころか長いドレスの裾が足に絡まり、男に身体を支えられる始末。

「余所見をすると無様に転びますよ」

 男の声色は先ほどまでとは打って変わって愉快げだ。対するゼータはと言えば、背筋にだらだらと冷や汗を流している。今ここで尻餅など付けば、間違いなく「ドラキス王国の王妃はダンスがお下手」との不名誉な称号を得ることだろう。ゼータはレイバック探しを諦め、目の前の苦難を乗り越える事に集中するのである。

 何度か足をもつれさせながらも、ゼータは無事白髪の男とのダンスを終えた。安堵の息を漏らしたのも束の間で、すぐに演奏隊は次の1曲を奏で始める。

「あ」

ゼータは思わず声を上げた。知らない曲ばかりであったダンスパーティーで、初めて覚えのある曲を耳にしたのだ。講師メリオンの元で、数百回と聞いたバルトリア王国の伝統曲。貞操を危険に晒しながらも無事会得した3分間の国舞が、煌びやかな儀式棟の内部に響き渡っていた。
 ゼータは男の手を引きダンスを再開する。男はそれを拒まない。脚を痣だらけにしてまで覚えてきた国舞。ゼータにとっては、下手くその称号を返上する絶好の機会である。

 手足に染み付いた踊りの最中に、ゼータは周囲の様子を伺った。会場に集う者たちは皆、涼しい顔で国舞を踊る。少し離れたところにいるアメシスとダイナも、当然のように踊りに興じている。一糸乱れぬ動きを見せる会場内で、一人だけろくに動けずにいたとなれば、さぞかし人目を引いたことだろう。ゼータは鬼教師メリオンに感謝の気持ちを覚えながらも、恐怖の練習会を思い出し身震いをするのである。

 そして3分間の国舞はあっという間に終わりを目前にする。軽やかな曲調は次第に緩やかとなり、演奏隊の奏でる楽器の音も小さくなってゆく。汚名返上まであと少し。笑みを零すゼータの耳元に、男が顔を近づける。

「見事です」

 それは今のゼータにとって最高の謝辞だ。ゼータは男の謝辞に礼を返そうと、顔を上げる。
 透ける翡翠色の瞳が、思いのほか間近にあった。

 突如、温かな感触が唇に触れる。鼻先には翡翠色の瞳。生温かな舌が、唇の間から入り込んでくる。それは一瞬の出来事であった。ゼータはほとんど反射的に、男の胸元を突き飛ばした。

「え…何で?」

 間抜けな問いだと知りながらも、ゼータは独り言のようにそう尋ねた。男の行動はほんの一瞬のこと。数秒にも満たない口付けは、周囲の客人の目には留まらない。男とゼータを置き去りにして、優雅なダンスパーティーは続く。鳴りやまない音楽の中、男の唇からは不可解な言葉が紡がれる。

「今夜、誰にも気づかれないように私の部屋にお出でください。場所は西棟の5階、階段を上って一番奥の扉です。時間はいつでも構いません。レイバック殿がお休みになればすぐにでも」

 何、とゼータは呟いた。白髪の男の行動の意味が、言動の意味が、今のゼータには全くと言ってよいほど分からない。何故突然口づけをした。何故さも当然のようにゼータを私室へと呼び寄せる。激しく混乱するゼータは、やっとのことで言葉を絞り出す。

「お断りします。ナンパでしたらどうぞ他をお誘いください」

 吐き捨てるようにそう告げると、ゼータは男に背を向けた。そのまますたすたと歩み出し、人ごみの中に緋色の頭を探す。ようやく見つけた目当ての色に、人波を掻き分け近づいていく。
 喧騒に一人残された男は、翡翠色の目を細め、じっとゼータの背中を見つめていた。
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