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十字架、銀弾、濡羽のはおり

人間族長-2

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 「魔法研究所研究員クリス氏への人間族長就任打診」という大役を請け負ったゼータは、翌日早速魔法研究所へと赴いた。手始めに研究棟1階に宛がわれたクリスの研究室を訪れるも、人影はなし。続いて訪れた生活棟の私室にも人影はなく、ゼータは迷った末にキメラ棟を目指す。そうしてキメラ棟の出入り口に脚を踏み入れた直後に、運良くも目的の人物と鉢合わせをしたのだ。ごみ捨て途中と思われるクリスを呼び止めたゼータは、土産の焼き菓子を差し出し一息にこう告げる。「無理を承知でお願いします。十二種族長の一員である、人間族長の任を引き受けてはもらえないでしょうか」
 これに対するクリスの答えは、一言。

「良いよ」

 予想だにせぬ快諾。ゼータは目を白黒させ、土産の焼き菓子を取り落とす。

「ほ、本当ですか?もう少しよく考えた方が良いのでは?仕事内容とか勤務形態とか給与額とか、皆の人柄とか人間関係とか、気になることはたくさんあるでしょう。必要最低限の情報なくしての判断は危険ですよ」
「何で提案者がそんなに狼狽えているの?言っておくけれど僕、十二種族長の人達とは顔を合わせた経験があるからね。ほら、外交使節団としてポトス城を訪れたときに」

 あ、とゼータは声を上げる。確かにその通りなのだ。外交使節団の一員として王宮滞在当時、レイバック及び十二種族長、さらに当時王妃候補であったルナを相手に魔導具の紹介を行ったのはクリスなのだ。顔合わせはばっちりである。

「…言われてみれば、そうですね」
「そうでしょう。魔導具のお披露目が終わった後も、何だかんだと声を掛けてもらったよ。特にあの人…えっと、何て名前だったかな。ミルキー…?シルキー…?」
「シルフィー?」
「そうそう、シルフィーさん。彼女とは何度か一緒にお昼ご飯を食べたよ。あれこれ料理を頼んで、一口ずつ味見してさ。残りは全部僕に押し付けるの。カツ丼とかステーキ定食とか、一人前の料理を頼んでみたかったんだってさ。確かにあの身体の小ささじゃ、一人前の丼は頼めないよね。お陰様で僕、ドラキス王国滞在中に2㎏肥えたからね」

 他国からの来賓相手に残り飯を押し付けるシルフィーもシルフィーだが、文句一つ言わず大量の飯を平らげるクリスも相当なものだ。不思議なことに、クリスはこうした「面倒事」に行き合ってしまうのだ。魔導大学在籍時もそうであった。セージから外交使節団としてのドラキス王国派遣を依頼されたことを皮切りに、対魔族武器専用地下治験場の責任者、ドラキス王国からの視察員接待などという面倒な役回りを次々と押し付けられているのだ。クリス自身がそれらの仕事を面倒とは感じていなくとも、それらの仕事が原因でクリスがロシャ王国を立ち去る羽目になったこともまた事実。傍から見ればあまりにも哀れな境遇だ。
 そして今、クリスはまた二つ返事で面倒事を引き受けようとしている。「面倒事を断らないクリスならば、人間族長の任を引き受けてくれるかもしれない」クリスが人間族長の適任であることは確かだが、それ以上にゼータの中には打算があった。友人相手に打算を働いたことを、ゼータは肩を窄めて悔いる。

「クリス、やっぱり少し時間を掛けて考えませんか?菓子折り持って頼みに来た私が言う言葉ではありませんけど…。人間族長になれば王宮に住まいを移す必要がありますし、今までのように連日研究に明け暮れることはできなくなります。生活ががらりと変わってしまいますよ」
「そう?ゼータが考えろと言うのなら、数日掛かりで考えてもいいけどさ。でも菓子折り持ってやって来たということは、結構切迫した状況なんじゃないの?返答を保留にしてもいいわけ?」

 そう言うと、クリスは地面に落ちた焼き菓子を指さした。個々が綺麗に包装された焼き菓子は、事の次第を知ったカミラが用意してくれた土産物だ。辺りに散らばった焼き菓子を、地面にしゃがみ込んだクリスは一つ一つ箱の中に戻す。菓子を拾い上げながらも、いつもの穏やかな調子で語る。

「言っておくけど僕、適当な気持ちで返事はしていないよ。面倒臭くなったら途中で辞めればいいやとか、そんな無責任なことは考えていないからね。引き受けるからには全力で国家のために奉仕するし、任期だって全うするよ。僕がここまで言っているんだから、うだうだ考えないで黙って押し付けちゃえばいいのに」
「そうですけど…でもクリスには研究員としての生活が…」
「幸いなことに、僕まだ専門研究を決められていないんだよ。このままだとキメラ棟に引き抜かれるのも時間の問題だね。まぁそれはそれで良いんだけど。でも折角新天地に来たんだから、全然別の仕事をしてみたいという気持ちも捨てきれないんだよね。これを機に王宮仕えに鞍替えするのも悪くはないかなって」

 全ての菓子を箱に戻し終えたクリスは、にこにこと穏やかな笑みを称えたまま立ち上がる。

「それに王宮に住むということは、ゼータと一緒に暮らすんでしょ?凄く楽しそう。給料も上がるだろうから、良いお酒をたくさん買って飲み会しよう。飲み友達、紹介してくれる?」

 わくわくを隠せないといった様子で告げられてしまえば、ゼータにはそれ以上返す言葉がない。下がりっぱなしであった眉と肩を元の位置へと戻し、今ここに誕生した新人間族長に向けて深々と腰を折る。

「よろしくお願いします、クリス」

 2,3日中に王宮から召集があるだろうから、予定を空けておいて欲しい。クリスにそう告げるや否や、ゼータは馬車へと飛び乗った。クリスが人間族長の任を引き受けてくれたことを、一刻も早くレイバックに伝えねばならない。十二種族長は本来空座にすることが許されぬ地位。人間族長不在の時期が長ければ長いだけ、国内に住まう人間に不利益が及ぶ。この件に関しては迅速な対応が必要とされるのだ。
 馬車を走らせ王宮へと舞い戻ったゼータは、階段を駆け上がりレイバックの執務室へと飛び込んだ。悩ましげな表情で執務椅子に座り込んでいた部屋の主に向けて、声を張り上げる。

「クリス、人間族長の任を引き受けてくれますって!」

 ゼータがそう告げれば、レイバックは途端に笑顔となった。昨日の憂鬱そうな様子からは想像も付かない、満面の笑みである。

「そうか、良かった。朝一で王宮内の人間族長候補者に最終意思確認を行ったところ、見事に玉砕してな。クリスにも断られるようであれば、タキさんに協力を仰ごうかと考えていたところだ」

 ゼータの頭に浮かぶは、無精髭を携え豪快と笑うタキの顔。人気のカフェの店主であるタキに国家の重役を押し付けたとなっては、ポトスの街の民に申し訳が立たない。さらにレイバックとゼータの憩いの場がなくなってしまうという一大事だ。ゼータは心の中で、クリスに繰り返し礼を述べる。

「近いうちに王宮に参上してもらうことになる、とは伝えましたよ。すぐに任命の儀を行いますよね?」
「もちろんだ。1日でも早く就任してもらわねば、決裁書類が山のように溜まっている。ザトがだいぶ気を揉んでいるんだ。今日中に人間族長任命伺に印を集めれば、早ければ明日の内には任命の儀を行える。早急に書類を用意してくれ」
「私がですか?」
「俺は任命者の側だから、推薦者にはなれないんだ。先に言っておくが推薦者の地位は魔法研究所研究員ではなく、ドラキス王国王妃だぞ。総務部に行けば、クリスを魔法研究所研究員に推薦したときの推薦書が保管されている。必要部を書き足せばそのまま使えるはずだ。任命伺の書き方は総務部在籍の官吏に聞いてくれ。俺はザトと話をしに行ってくる」

 レイバックは忙しなく席を立ち、執務机の上の書類を一纏めに持ち上げた。書類の上部にはお気に入りの万年筆を載せ、駆け足で執務室を出て行こうとする。扉を引き開けた直後に脚を止め、ぐるりとゼータを振り返る。

「書類ができたら、十二種族長の執務室を回り決裁を済ませてくれ。質問があればその場で受けて、今日中に11人分の印を集めるんだ。確か不在にする者はいないはずだから」

 早口でそう告げると、レイバックは今度こそ執務室を飛び出した。残されたゼータはしばし茫然と立ち竦み、それからいそいそと総務部を目指す。
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