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無垢と笑えよサイコパス

メレンのお話-2

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 人でごった返す食堂の一角、取り留めもなく語られるメレンの話はこうだ。

 メレンは首都リモラの中心部にある住宅街で、父と2人暮らしている。父の家業は書店の経営、それも家屋の1階部分を売り場としただけの小規模な書店だ。メレンは幼少期より日課のように父の仕事を手伝い、15歳で義務教育を終えたあとは当然のように書店の経営に携わった。父が亡き後は自分が書店を引き継がねばならぬという思いが、誰に言われるでもなくメレンの中に芽生えていたためだ。
 魔導大学の正門付近という好立地から、書店では研究員向けの難解な専門書を数多く取り揃えていた。それらの専門書を求めて書店を訪れる研究員は多く、クリスもその一人であった。書物好きのクリスは店内在庫の検索や、専門書の取り寄せを依頼する頻度が高く、当時書物の在庫管理を任されていたメレンと話をする機会が多かった。話をすると言っても所詮は客と店員。事務的な会話に加え、社交辞令的に二言三言雑談を交わす程度の関係でしかなかった。
 そんな状況が一変したのはメレンが17歳になって間もない頃だ。ある日、書店を訪れたクリスが困り顔で聞いた。「すみません。クラニエルという人の発言が引用されている書物に心当たりはありませんか?以前この書店で見かけた気がするんですけど、どの書物か忘れてしまって」メレンは答える。「クラニエル博士の発言は魔獣育種白書の序盤で引用されていますよ。あとは現在在庫切れですけれど、魔獣共生理論という書物の第3章でも引用がありました」予想だにしなかった的確な返答に、クリスは驚嘆の声を上げた。

 一度読んだ書物の内容は忘れない、というメレンの特殊能力を目の当たりにしてからというもの、それまで控えめであったクリスの態度は一変した。週に2度は書店を訪れ、メレンを相手に雑談を交わしては帰っていく。他に客のいないときには1時間近く話し込むこともあった。会話の内容はロシャ王国の歴史から政治批判、農作物の理想的な育成方法まで多岐に渡る。メレンが仕事の合間に書店の書物を読み込んでいることをクリスは知っていて、時折挑戦的な質問を投げ掛けることもあった。「密々撒いた種が花を咲かすやそれは鮮烈な恋心、って誰の言葉?」「宮中恋物語、フレイ王子の独白ですね」
 気心の知れた友人同士のような付き合いが数か月に及んだある日、クリスは書店に何冊もの小冊子を持ち込んだ。丁寧に製本された小冊子は魔導大学各学部の紹介冊子だ。メレンの胸元に冊子を押し付け、クリスは言う。「メレンさ。魔導大学の入学試験を受けてみない?」メレンは答える。「受けませんよ。仕事をしながらでは試験勉強をする暇がありません。それに私、この書店の跡取りですから」その後もクリスの誘いは何度か続いたが、メレンが首を縦に振ることはなかった。父の書店を継ぐという意志は固い。メレンの思いを理解したクリスは次第に誘いの言葉を口にしなくなった。

 それはクリスの誘いの言葉が途絶えて1か月ほど経った頃のことであった。メレンはクリスに外出の誘いを受ける。魔導大学の研究棟の一室で、魔獣学部の教授が一般市民向けの講演を行うのだとクリスは言った。兼ねてから魔獣の生態に興味のあったメレンは、魅力的な誘いに二つ返事で応じた。クリスの案内でとある研究棟へと立ち入り、講演会開始までの一時を殺風景な小部屋で過ごすこととなる。不自然にも他に人のいない小部屋で、講演会開始を目前にしてクリスは席を立った。お手洗いに行ってくる、そう言い残して。
 クリスが戻るよりも先に、小部屋には襟付きシャツを着た若い男性がやって来た。「どうぞこちらへ」と手招きをされ、メレンは小部屋を出る。連れが戻っていない、というメレンの主張を男性が気に掛ける様子はない。いくらか廊下を歩き、辿り着いた先は他とは違う豪華な扉の前であった。入室を。男性に促されメレンはわけもわからず扉を開ける。
 扉の向こうにはメレンの知らない人物が5人、横並びで座っていた。着席を。促されるがままメレンは、扉の近くにぽつりと置かれた椅子に腰を下ろす。メレンの真正面に座る壮年の男性がよく通る声で言った。「ようこそ魔導大学へ。私は魔導大学の最高責任者である学長のセージ。これから貴女の特別推薦入試にかかる面接試験を始めます」

 突然放り込まれた面接試験会場、目の前には魔導大学の最高責任者セージを含む5人の面接官。満足に頭の働かないまま面接は進み、全ての問答を終えたメレンは半ば放心状態で講義室を出た。部屋の外ではクリスがいつもと同じ和やかな笑みを浮かべていた。「お疲れ」
 その時初めて気が付いた。クリスは講演会参加のためにメレンを呼び出したのではない。本当の目的はメレンに面接試験を受けさせるため、延いては魔導大学に入学させるためだ。クリスはメレンの知らないところで、着々と特別推薦入試の申し込み手続きを進めていた。そしてクリスの思惑通り、およそ1か月後メレンの元には魔導大学より封書が届く。
―魔導大学魔獣学部特別推薦入学試験に合格したことを通知致します。
 そしてメレンは魔導大学の一員となる。

***

 クリスとの出会いを、そして魔導大学に入学することとなった経緯を語り終えたメレンは、口内を湿らせるべくコーヒーを口に運んだ。一仕事を終え満足げなメレンを前に、聞き手の3人はといえば三者三様の面持ちである。イースは魔導大学の王子と名高いクリスの過去に触れ瞳を煌めかせているし、レイバックはメレンの過去話がいかにして昨日の出来事に繋がってゆくのかと悩ましげな表情だ。そして想い人メレンの過去が知れると期待に胸膨らませていたビットはといえば、語りが後半に差し掛かる頃から眉間にしわを寄せている。

「クリスさんがメレンちゃんの意向を無視して、勝手に受験手続きをしていたってこと?それって不味くない?」
「当時はなんて勝手なことをする人だろうと思いました。でも私の魔導大学受験は、元々父が持ち出した話だったらしいんですよ。私が書物の仕入れで不在のときに、ぽろっと零したみたいです。『メレンを魔導大学に入れることが夢なんだよなぁ』って」
「そうなの?でもメレンちゃんが研究員になったら、書店の跡取りがいなくなっちゃうでしょ」
「父は書店の存続よりも、私が将来を考えてくれていたんです。うちの書店は大口の顧客を抱えてはいませんでしたから、客足次第で月々の売り上げが大きく変動するんです。首都リモラの中心部は家賃も高いですから、月によっては生活がカツカツのこともありました。それだけなら構わないんですけれど、一度家賃の滞納を起こして青色封書を受け取ったことがあるんです」
「青色封書?」

 聞きなれない単語に目をぱちくりさせるビットに対しては、イースの口から丁寧な説明がなされた。

「首都リモラはロシャ王国の中心部だけあって、居住希望者が物凄く多いのよ。でも全ての人々を受け入れてしまえば、強固な壁に囲まれた首都リモラは人で溢れてしまう。だから居住要件を厳格に定めて、居住者の取捨選択を行っているの。生活を成り立たせるだけの収入がある、というのは首都リモラ居住の最低要件よ。失業や家賃光熱費の滞納でこの最低条件に疑義が生じると、居住管理局より封書が送られてくる。例えば家賃の滞納ならば、1度目の滞納は青色の封書、2度目は黄色の封書、3度目は赤色の封書といった具合ね。青色封書と黄色封書は家賃支払いの催促状だけれど、赤色封書は居住登録抹消通知よ。どのような事情があるにしろ、受け取れば即座に首都リモラから立ち退かなければならない」
「厳しいんだな。人の出入りに寛容なポトスの街とは大違いだ」

 レイバックが腕を組みながら頷く。視察員は魔導大学に赴く道中で首都リモラの検問所をくぐった。検問所の左右には途切れることのない強固な外壁が続いていて、身体能力の高い魔族であっても壁を超えることは難しいと思われた。壁はロシャ王国の中心部である首都リモラを魔獣の襲来から守り、さらには難民や浮浪者の流入を堰き止めている。人の流れを拒む強固な外壁が首都リモラの治安を守り、地方の若者がこぞって居住を望む高級都市を築き上げているのだ。しかし居住希望者が多いということは、当然首都リモラからの立退者も多いということだ。最先端の設備が備えられた首都リモラでの生活に慣れてしまえば、不便の多い地方集落での生活は辛い。

「父は、自らの経営手腕が私の将来に影響することが嫌だったみたいです。私が書店の店員でいる限り、父と私は一心同体ですから。書店が経営不振に陥れば、2人揃って首都リモラを出て行かなければなりません。それがすごく負担だったみたい」
「それでメレンを研究職に?」
「そう。研究員は書店店員と違って毎月一定額の給与が保証されるでしょう。魔導大学の研究員でいる限り、首都リモラからの立ち退きに怯える必要はないんですよ。もちろん長期にわたり研究成果が残せなければ除籍という扱いにはなりますけれど、魔導大学卒業という肩書があればロシャ王国内で食べるに困ることはないんです。地方の研究所に受け入れてもらうこともできますし、義塾を開けばかなりの生徒が集まると聞きます」
「成程な。メレンの父が研究職を勧めるのも納得だ」
「父の言い分は確かに理に適っています。でも当時の私は、父の説得を受けたところで決断できなかったと思うんですよ。父の書店を受け継ぐんだって、ずっとそう思って生きていましたから。クリスさんが私の背中を押してくれたんです。魔導大学に対する漠然とした憧れ、魔獣に対する人並み以上の興味、全て見抜かれていたんでしょうね。息が止まるくらいに強く背を押されて、私、ようやく決断できたんです。だからクリスさんは私の恩人なんですよ。私の、ではなく私と父の、かな。私が研究員になってから父は毎日が楽しそうなんです。書店経営がカツカツなのは変わらないんですけれど、肩の荷が下りたみたいで。今でも時々2人で話します。クリスさんと出会えて良かったね、って」

 メレンが涙交じりに言葉を終えたとき、場には2人分の鼻を啜る音が響いた。目尻に浮かんだ涙の粒を花柄のハンカチで拭う者はイース、テーブルに置かれた紙ナプキンで盛大に鼻を噛む者はビットだ。ビットの口からは「メレンちゃん、良かったねぇ。良かったねぇ」という祝辞が漏れ出している。感動の実話に拍手喝采でも巻き起こりそうな雰囲気の中で、ただ一人悩ましげな表情を浮かべる者はレイバックだ。涙とともに締めくくられたメレンの語りに、突っ込みを入れるのはいかがなものかと困り果てている。

「…なぁメレン。感動に水を差すようで悪いんだが、その話は昨日クリスが学生棟に立ち入った件とどう関係があるんだ?」

 レイバックが恐る恐る疑問を呈せば、メレンはそうであったとばかりに小さく声を上げた。すみませんと。言葉とともに目尻の涙を拭い、メレンの瞳はレイバックへと向かう。

「続きを話しますね。昨日学生棟の付近でクリスさんの姿を見掛けたときに、私こう思ったんです。クリスさん、また誰かに魔導大学入学を勧めるつもりなのかなって。学生窓口では入試要項や学部紹介の小冊子を取り扱っていますから」
「入学を勧めるって、まさかゼータにか」
「確証があるわけではありませんよ。ただ私が昨日クリスさんを見掛けて、漠然とそう思ったというだけです。ゼータさんは随分と研究熱心ですし、クリスさんと気も合うみたいです。ゼータさんが研究室にいるのを良いことに、熱心に入学を勧めているんじゃないかなって、ふと頭を過ったんです」
「熱心に勧めたところで入学は不可能だろう。ゼータは人間に近い容姿であるがれっきとした魔族だ」
「魔族であることは問題ではありませんよ。国の許可があれば、例え魔族であってもロシャ王国に住めるんです」
「そうなのか」
「公には魔族立ち入り禁止とされるロシャ王国であるけれど、実際にはかなりの数の魔族が暮らしているわ。特にドラキス王国との国境付近の集落では、よく魔族の姿を見かけるわね。取り締まることができないのよ。一口に魔族と言ってもゼータさんのように限りなく人間の容姿に近い人もいるし、最近では魔族と人間のハーフも多いでしょう。人間だと名乗られてしまえばそれを確かめる術がないの。あまり大きな声では言えないけれど、国境付近には積極的に魔族の商人や観光客を受け入れている集落もあるのよ。だって来てくれるんだから、追い返すよりも受け入れた方が良いに決まっているじゃない。魔族立ち入り禁止だなんて、国のお偉い様方が勝手に言っているだけなのよ」

 懇切丁寧なイースの説明を、他の3人はふんふんと頷きながら聞く。

「その中でも首都リモラに滞在する魔族は特別よ。彼らはロシャ王国にとって有益な存在である認められた者達で、国家として正式に滞在許可を出しているの。正式な人数は明かされていないけれど、製造業から教育に至るまで様々な分野で魔族の力を借りているはずよ。リモラ駅を歩いていると魔族と思しき外見の人物とすれ違うことはあるわ。一応『人間と偽って違和感のない容姿であること』が滞在の条件ではあるけれど、限界はあるからね。髪の色は変えられても、目の色を変えることは不可能でしょう」
「魔導大学にも魔族の滞在者はいるのか?」
「いる、という話を聞いたことはないわねぇ。でも入学は不可能ではないはずよ。魔導具製作の最たる目的は、魔法に準じた不可思議な力を人間の手で使えるようにすること。魔法を手本にしている以上魔導具製作に魔族の協力は欠かせないのよ。でも魔導大学内に魔族が立ち入ることはできないから、研究員自らが遠地に赴かなければならないでしょう。これが結構大変なのよ」

 魔導人形製作時、デューは魔留晶への魔力の補給についてこう語った。魔導大学の西方にウェイトメリアという小さな集落があって、そこはロシャ王国の中で例外的に魔族の滞在が認められている。あらかじめ契約をした魔族の人々をウェイトメリアに招き入れて、魔導大学の研究員と落ち合う約束になっている、と。魔族の協力を必要とする度に面会の約束を取り付け、研究の合間を縫って遠地に赴かなければならないとすれば多大な負担だ。魔導大学内に魔法に長けた魔族が滞在していれば、それで全てが足りる話であるはずなのに。

「…ではゼータが魔導大学の研究員になることは十分可能なのか」
「そういうこと。幸い魔導大学には特別推薦入試という入学枠があるのよ。在籍する研究員3名の推薦状があれば難関とされる入試試験が免除されるの。メレンちゃんが使った入学方法がこれね。面接試験を突破すれば晴れて魔導大学の一員よ。もしクリスからゼータさんの推薦状を書いてほしいという打診があったら、私書くわよ。知り合いだからというわけではなくて、ゼータさんなら魔導大学の研究員として不足はないもの。私なんかよりよっぽど研究熱心だわ」

 ゼータの入学を後押しする発言に、レイバックは眉を吊り上げる。イースにすれば何気ない言葉であるが、レイバックにすれば妃簒奪の宣言に他ならない。一瞬で氷点下の温感となった場の雰囲気に、慌てた者はビットである。

「でもゼータさんは何と説得されてもロシャ王国には来ませんよ。結婚しているじゃないですか。お相手の意見を無視して魔導大学に移籍するなんて言ったら僕、幻滅します」
「それもそうねぇ」

 イースがそれきり口を噤んだので、レイバックとビットも同様に黙り込んだ。一瞬にして不穏と静まり返った場で、今度は話題の提供者であるメレンが慌てふためいた。

「あの、この件については単なる私の想像ですから。昨日のことだって、クリスさんは全く別の件で学生棟に立ち寄っただけかも。それにもし仮に入学の打診をしているのだとしても、ゼータさんの意向を完全無視した勝手な行動はしないと思います」
「…そうだろうか」
「確かにクリスさん、時々びっくりするくらい強引になることがあるんです。目的のためには手段を選ばないというのかな。でも基本的に相手の意向を無視した行動はしないですよ。私のときだって、私の魔導大学入学はそもそも父が言い出したことですしね」

 目的のためには手段を選ばない。メレンの言葉にイースははっと息を呑む。魔導大学の王子様は、今まで自らの野望を達成するためにどんな強引な行いをしてきたのかと、期待に胸膨らませているのだ。煌めくイースの眼差しにメレンが気付く様子はない。イースの横では、ビットが不機嫌に頬を膨らませていた。不機嫌の原因はやはり「クリスさんはとっても強引」とのメレンの評価である。片思いの相手の口から特定の人物を強引と評する言葉を聞けば、不機嫌になるのも当たり前だ。
 そしてレイバックはといえば、賑やかな食堂内から目線を逸らし窓の外を眺めていた。そこに見える飾り気のない建物は、昨日クリスが立ち入ったという学生棟だ。2階建ての建物は外壁が薄灰色に塗られ、建物の周囲は緑の木々に囲まれている。食堂の窓からでは出入り口の様子を伺うことはできない。

 レイバックの脳裏に無邪気なクリスの笑顔が浮かび、そして消えた。
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