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緋糸たぐる御伽姫

37.終宴

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 マルコーは王宮の一室で、窓の外を眺めていた。小高い丘の上にある王宮からは、精霊族祭の会場に灯る灯りが遠く輝いて見える。祭りはまだ続いている。
 マルコーは満足げに、城下に望む光を愛でる。そろそろ全て済んだ頃だろうか。

 王宮の兵士の中から素行の悪い者を選び、真実は隠したままルナの殺害を依頼する。事が済めば報酬を渡し、彼らにはひっそりポトスの街中を去ってもらう。それをするのはダグの役目であった。
 ルナが死ねば次はマルコーの出番だ。婚約者を亡くし、悲しみに暮れるレイバックに寄り添えとメアリに囁く。悲しみに浸かる者の心に取り入ることは簡単だ。レイバックがメアリに心を許せばあとは万事が上手く行く。ルナが消えれば二人の結婚を阻む要因は何一つとしてない。メアリは無事ドラキス王国の王妃として迎えられる。マルコーは主であるアポロの命を、滞りなく遂行することとなるのだ。

 マルコーが計画の成功を確信し、頬を緩めたその時だった。途端に部屋の外が騒がしくなり、数人の人物がマルコーの部屋に入室してきた。筆頭はレイバック、メアリ、クリス、鎧をつけた兵士が一人。そして最後尾に付く者は、予定ではとうに死んでいるはずのルナだった。

「さて、マルコー。申し開きがあれば聞こう」

 レイバックが凛と声を張る。窓際に追い詰められたマルコーは緊張の面持ちで、しかし知らぬ存ぜぬの顔を取り繕った。

「何のことでしょうか」
「貴殿はダグと共謀し俺の妃候補の殺害を目論んだ。このことに関し、申し開きはあるか?」
「心当たりがありませんな。一体何を根拠に私がそこに関与したと?」
「そこの兵士の供述だ」

 レイバックは背後に控える兵士を顎で指す。血濡れの鎧を纏ったままの兵士はびくりと身体を揺らし、マルコーから視線を逸らした。

「一介の兵士の言葉を信用なさるのですか」
「命の淵で言った言葉は真実だと思わないか?」
「命が惜しくて私に罪を擦り付けようとしたのでしょう」

 マルコーは譲らない。マルコーとルナ殺害を結びつける証拠など残してはいない。兵士らとは一度顔を合わせたとはいえ、実際にルナ殺害を指示した者はダグだ。マルコーは精霊族祭の会場に足を踏み入れてもいなければ、ルナ殺害がどこで行われる予定であったのかも知らないのだ。小鹿のように震える兵士の証言など、虚言だと誤魔化してしまえば済む。
 一向に罪を認めるマルコーを前に、レイバックは腰に差した長剣をすらりと抜く。

「では命の淵で考えてくれ、真実を言うか、否か」
「拷問でもなさるおつもりですか。一国の王ともあろうものが」
「先に言うが計画の加担者は皆、ルナ殺害未遂の罪で適正に処分した。量刑は死刑。後ろの兵士は嘘偽りなき供述により減刑が認められてな。こうして命を繋いでいる。さて、貴殿はどうする」

 光る刀身を前にしても、マルコーはどこか余裕の表情だ。レイバックの剣は単なる脅しと信じている。その剣が自身に向けて振り翳される様を微塵も想像していない。それはマルコーの主がアポロであるからだ。アポロは世襲により召し上げられた人間の王。厳格な統治を行えど、自らの手で家臣を裁くことはない。

「クリス、メアリ姫を連れて退席しろ」
「…わかりました」

 レイバックの命令に、クリスはメアリの肩を押した。扉を出る直前にメアリは振り返る。悲哀に満ちた眼差しの先にはマルコーがいる。どうか早く罪を認めて。栗色の瞳は必死に訴える。
 扉が閉まり、部屋の中は静まり返る。レイバックは壁に掛かる時計を一瞥した。時計の針は間もなく23時を指そうとしている。刀の柄に添えられた指先が一定のリズムを刻む。間もなく訪れる宣告の時を待つ。しかし事を楽観視するマルコーは、頑なに口を閉ざしたままだ。

 時計の針は無慈悲に天頂を指した。レイバックは一片の迷いなく剣を振り、光る刀身はマルコーの右足首を両断する。いや、両断する勢いで振り下ろされた剣は足首の骨を絶てずに、中途半端に動きを止めた。マルコーの悲鳴。骨を絶たずとも肉を絶てば、それは大の大人がのた打ち回るほどの激痛だ。床に倒れ伏したマルコーは右足を抱え、悲痛の叫びを漏らしながら冷たい床を転げまわる。
 レイバックは床に伏すマルコーには目をくれずに、後ろに立つ兵士に視線を投げた。

「これお前の剣か? 革袋に入っていた物だ」
「はい…そうです」
「心根を入れ替えて兵役を続けるつもりがあるのなら、剣の手入れはまめにするんだな。一つ首を落としただけで切れ味が鈍るようでは、多人数相手にまともに戦えんだろう」
「…はい。そうします」

 呑気な会話の傍らで、ルナはじっとマルコーを見下ろしていた。その顔には慈悲など微塵もない。幼子が干からびかけたミミズを観察するのと同じ、特段の興味すら抱かぬ眼差しだ。
さて。呟いたレイバックは、床を這いずり出口を目指していたマルコーを追う。恰幅の良い背を踏み付け、言う。

「次は間違いなく足首を落とす。一生歩くに難儀するぞ。治癒が可能な怪我である内に、真実を述べることをお勧めする」

 冷たい言葉を吐きかけられて、マルコーはようやく気付く。レイバックはアポロとは違う。千余年の統治を誇る神獣の王は、その手でアダルフィン旧王の首を討ち取ったのだ。アダルフィンだけではない。彼の庇護の元私腹を肥やしていた愚鈍の首長をも次々と討ち取り、安寧の国家を築き上げた。レイバックにとって罪人を尋問し首を討ち取ることなど造作もない。世襲で召し上げられたアポロとは違う。
 ようやく自らの非を悔いたマルコーの目前で、無慈悲の剣は再び振り下ろされる。

***

 レイバックとルナが部屋に立ち入ると、床には滑らかな薄桃色の布地が丸まっていた。メアリだ。床に伏して頭を抱え、嗚咽を漏らしている。クリスがあやすようにメアリの背を撫でているが、悲哀誘う少女の嗚咽が治まることはない。レイバックはマルコーの尋問を行った部屋までは距離があるが、つんざくような悲鳴はこの部屋まで届いていたのだ。

「マルコーは罪を認めた。怪我は足首の切り傷だけだ。命には及ばんよ」

 レイバックはメアリの傍に座り込む。しゃくり上げるメアリの眼の前に、血濡れの手のひらが差し出される。その血はマルコーの傷の手当てをしたときに付いたものだが、血に慣れぬメアリにとっては畏怖の対象だ。

「メアリ姫、貴女の想いは受け取った。しかし俺はこの通りの男だ。貴女の隣には相応しくない」

 メアリが差し出された手のひらを取ることはなく、小さな部屋には少女の嗚咽が延々と響いた。

***

「ひどい一日だったな」
「そうですね。私の人生で最低最悪の一日でした」
「そこまでか?」
「そこまでですよ」

 レイバックとゼータは揃って窓の外を眺めていた。場所は王宮の最上階にある王の私室。特別な用事がなければ侍女さえも立ち入りを控えるその場所で、二人は並んで夜空を眺めている。時刻は間もなく午前0時を迎える。長く続いた精霊族祭もクライマックスの時間だ。漆黒の夜空には、祭りのフィナーレである大輪の花火が次から次へと打ち上がっている。連続する爆発音が腹の底に響く。

「来年再挑戦するか?遠目に見る花火も悪くないが、会場で見るとまた格別だぞ。やかましいほどの音楽も相まってな」
「精霊族祭には毎年顔を出しているんですか?」
「毎年というほどでもないが…数年に一度雰囲気を味わいに行っている」
「誰と?」
「適当だな。ザトと行ったこともあるし、シルフィーの保護者を請け負ったこともある」
「…ザトと手を取り合って踊ったんですか?」
「いや、踊ってはいない。会場の隅に座り込んでひたすら酒を飲んでいた。あれは楽しかったな」
「自由な王様ですねぇ」
「ゼータは?誰かと一緒に行ったことは?」
「魔法研究所で有志を募って乗り込んだことは何回かありますよ。でも終宴まで滞在した経験はないですね。いつも混み合う前に切り上げていました」

 打ち上がる花火がにわかに激しさを増す。程良いそよ風が吹く今日、白煙は風に流され夜空に咲く花火は遠目でも良く見える。
 花火に見入るゼータの横顔を、レイバックは見つめた。

「なぁゼータ。傍にいてくれないか」
「傍? 花火が終わるまではいますけど」
「…そうだな。いや、そうじゃなくて…」

 レイバックは悩ましげに緋髪を掻いた。夕方に整えた筈の髪は、いつの間にやら四方八方を向いて跳ねまわっている。ルナ救出からマルコーの尋問に至るまで着替える暇がなく、レイバックの衣装は未だ燕尾服のままだ。跳ね回る緋髪と燕尾服が何ともちぐはぐだ。ゼータは最低限夜着に着替えてはいるものの、顔や髪には拭い切れない返り血の跡が残っている。
 点々と血の飛んだ燕尾服の男は、ふぅと大きな息を吐く。

「結婚してくれないか」

 震える唇から伝えられる想い。絶え間なく打ち上がる色とりどりの花火が、ゼータの顔に明るい光を射す。その顔は驚いた様子でもなく、喜ぶ様子でもなく、ただレイバックの言葉の意味を噛みしめる。

「私に王妃になれという意味ですか?」
「そうだ」

 それが隠し続けた想いの終着点。押し付けるようにして伝えた「愛している」の先に続く言葉だ。
 花火を映すゼータの顔に満面の笑みが零れる。

「良いですよ。私の残りの人生程度で良ければ、傍にいましょうか」

 激しく打ち上がる花火の最後の一発が、夜空に大輪の花を咲かせた。
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