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8.あたしVS悪役令嬢

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 見るからに高級そうな馬車から降りてきた者はレドモンド様――

 ではなく、あたしの知らない美女だった。
 艶々とした黒髪を背中に揺らし、肌は磨き上げた真珠玉のよう。サクランボのようにぽってりと熟れた唇が印象的だ。
 あたしが異世界版シンデレラを名乗るなら、その美女はさながら異世界版白雪姫。

 白雪姫はあたしのことなど歯牙にもかけず、門番に向かってこう呼びかける。

「ごきげんよう。レドモンド様はいらっしゃるかしら?」
 
 すかさず門番の1人が「は」と短い返事を返す。

「レドモンド卿は先ほど午前の務めを終え、王宮に戻られております」
「事前の文もなく来てしまったのだけれど、お会いすることはできるかしら」
「勿論でございます。レドモンド卿もお喜びになられることでしょう。婚約者であるフィオナ様が訪ねていらしたとなったら」
「そう、そう言ってもらえると嬉しいわ。友人の家でお茶会をしていたところなの。とても美味しそうなお菓子をお土産にいただいてしまったから、レドモンド様にもおすそわけをと思って」

 白雪姫――フィオナは胸に抱いた紙包みを見下ろした。
 鉄製兜ヘルムの内側で、門番が目を細めて笑う。
 
「フィオナ様はいつも気遣い上手でいらっしゃる。レドモンド騎士団長は、じき昼食をとられる頃だと思いますよ。食後に甘い物があればさぞかしお喜びになるでしょう」
「ああ見えて子どものようにお菓子好きなのよ、レドモンド様は。たくさんあるから貴方たちもどうぞ。休憩の時間にでも召し上がって?」

 フィオナは紙包みを開き、門番の前に差し出した。2人の門番はぱっと表情を明るくする。

「私どもにもいただけるのですか。ありがたく頂戴致します」
「いやはや本当に嬉しい。貴族の家の菓子など、滅多にいただく機会はありませんから」

 めいめい紙包みから菓子を取り上げ、門番たちは嬉しそうだ。2人分の謝辞を受けて、フィオナをまた満足そうである。
 
 ふっとフィオナの瞳が動いた。あたしのいる方へと。
 ぼんやりと会話に聞き入っていたあたしは、突然の睥睨へいげいにひくりと肩を揺らす。おおう、美人の睨みは迫力があるよ。

「――それで、あなたたちは何用で王宮にいらしたの? 門番と揉めていたようだけれど」

 どうやらあたしと門番の悶着を、フィオナは馬車の中から見ていたようである。
 あたしは心の中で「ぴょぇぇぇ」と情けない悲鳴を漏らす。ここまでの話を聞いたところによれば、このフィオナという人物は門番と顔見知りだ。かつ門番よりも高貴な立場である。
 つまり今この場でフィオナが「この小娘、怪しいからひっ捕らえておいたら?」などと発言すれば、門番はすぐさまその発言に従うことだろう。

 ぶっとい槍を突き付けられたあたしは地下牢に連行されて、「レドモンド様へのつきまとい罪」でギロチン台に……いやぁぁぁぁッ
 
「あの……あの、あたし。お借りしていたハンカチをレドモンド様にお返ししたくって」

 不穏な妄想に若干涙目となったあたしは、フィオナの目の前にハンカチを差し出した。
 フィオナはプルプルと震えるそのハンカチを、感情のない瞳で見下ろす。

「どういった経緯で、レドモンド様からハンカチをお借りしたの」
「あ、あたしストーン・ドラゴンにおうちを壊されちゃったんです。それで悲しくて泣いているときに、レドモンド様がたまたま傍にいて……」
「ふぅん……そう。ではこのハンカチは、私の方からレドモンド様にお返ししておくわ」

 そう言うや否や、フィオナはあたしの手の中からハンカチを取り上げた。
 代わりに差し出される紙包み。ほんわりとバターの香りが鼻孔をくすぐる。

「食べる?」

 と、フィオナは言う。
 どうやらフィオナは、子犬のようにプルプルと震えるあたしに、お菓子を恵んでくれるつもりらしい。紙包みの中には溢れんばかりの焼き菓子。
 あたしは震える手で、その美味そうな菓子をひとつ頂戴する。
 
「頂きます……ありがとうございます」

 あたしが焼き菓子を手に立ち竦むかたわら、フィオナは少し小さくなった紙包みを抱え直した。
 門番と一言二言会話を交わし、王宮の内側へと消えていく。

 あたしは呆然と、その美しい後ろ姿を見送るのである。

 ◇◆◇

「……びっくりしたねぇ。アリアンナ、大丈夫?」

 とあたしに声をかける者はギル。
 
 初めから本件に無関心のギルは、あたしとフィオナの会話の最中もトコトン無関係を貫いていた。「俺はたまたま近くを通りかかった通行人Aです」とでも言いたげな顔で、あたしとフィオナのやり取りを眺めていたのである。

 ……まぁ別に良いんだけどさ。あの場でギルが「このアリアンナはレドモンド騎士団長の妻の座を狙っています」などと発言したら、あたしは地下牢コースまっしぐらだ。
 婚約者の前でそんな不埒な発言は――……ん、待て待て婚約者?

 突然のフィオナの登場でフリーズ状態だったあたしの脳味噌は、このときようやく活動を再開した。フィオナはレドモンドの婚約者、それはつまり――

悪役令嬢ライバルきたぁ!」

 あたしは両手を天に向かって突き上げ、叫ぶ。
 ギルが不可解そうに眉を寄せる。

「悪役……何?」
悪役令嬢ライバルだよ、悪役令嬢ライバル! 創作界では定番ともいうべき存在さ! ライバルがいなくちゃ物語は盛り上がらないんだ。ルパンには銭形、悟空にはベジータ、桜木には流川」
「はぁ……」
「今日はライバルと出会うための日だったんだよ。これはそういうイベントなんだ。『ストーン・ドラゴンの襲撃によりレドモンド様と出会う、借りたハンカチを返すために訪れた王宮で悪役令嬢ライバルと出会う……』、さてさて次は何は起こるのかなぁ」

 あたしはニマニマと笑いながら身体をくねらせる。少し離れたところに立つ門番が、珍獣を見るような眼差しであたしを見つめている。
 構うもんかい! 今のあたしはすこぶるご機嫌だ。レドモンドには会えなかったけど、これでまた物語はひとつ前に進んだんだ。

 ご機嫌のあたしはフンフンと鼻歌など歌いながら、ギルの腕に手のひらを絡ませる。

「ギル。やるべきことは終わったし、どこかでお昼ご飯を食べようよ。ギルの試験も無事終わったことだしさ、今日はちょっと奮発しない?」
「え、ハンカチの件はこれで終わりでいいの?」
「いいんだよ。だってこれ以上、何もしようがないもん。今度は、ハンカチを受け取ったレドモンド様が物語を進めてくれるよ」
「物語ねぇ……そういうもんかなぁ……」

 などとギルは納得がいかない様子である。

 けれどもそれで構わないのだ。なぜならあたしの脳裏には、この物語の結末がしっかりと思い描かれているから。

 純白のウェディングドレスを見にまとったあたし、その隣に立つレドモンド。たくさんの観衆が、あたしたち2人に惜しみない拍手を送る。「おめでとう」「おめでとう」と口々に叫びながら。青空に舞い散る色とりどりの花びら。

 うーん、あたしの未来は明るい!
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