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殺人犯(予定)とお茶をする一般人(推定)の私
しおりを挟む──どうしてこんなことになったんだろう。
「なんでも好きなの選んでいいよ、九条さん。俺が払うから」
「はぁ……、いえっ、そこまでしていただくのは!」
「遠慮しないでいいのに」
本当に、どうしてこんなことになったのか。
向かいの席で「優しいなぁ」と目を細める先輩──芳野薫には気づかないふりをして、九条泉はメニュー表に視線を落とす。
クラシックの落ち着いた音色も耳に入らない。泉の頭を占めるのは、どうしてこんなことになったのかという嘆きばかり。どうしてこんな──殺人鬼を自称する先輩と喫茶店でお茶をするはめになったのか。
河川敷で驚天動地の告白を受け、そのままあれよあれよという間に流されてここまで来てしまった。授業はとっくに始まってしまっている時刻。そんなことにさえ今ごろになって気づく。
生徒会長がサボりなんていいのだろうか。泉は考え、すぐに内心で首を振った。……それ以前に、このひと殺人犯なんだった。一応、この世界では前科はないらしいけど。
「九条さんは今、どんなことを考えているのかな」
見透かしたみたいな台詞に、泉は内心震え上がる。
驚いた。このひと、心まで読めるんだろうか。前世の記憶があるらしいから、何ができても不思議じゃない。
「もしかして、幼馴染みの彼のこと?」
「いえ、先輩のことですが……」
長めの前髪のせいで、薫の目にまでほの暗い影が落ちている。お陰で感情が読めない。
このひとは何を考えているんだろう。泉にはさっぱりわからない。わからないから、幼馴染みのことなんて考える余裕もなかった。あんなに悲しかったはずなのに。今はもう、目の前のこのひとのことで頭がいっぱいだ。
そう、素直に告げると。
「……そっか」
たちまち崩れる相好。蕩けるような視線に、はにかむ唇。
「嬉しいなぁ」その呟きが聞こえずとも、喜びに溢れているのだと一目でわかる表情。『好きだ』と言ったのは嘘じゃない。それが嫌でもわかって、泉は視線をさ迷わせた。
男のひとに告白されたのははじめてだ。何せいつもいつも幼馴染みの誠と一緒にいたから、他のひとのことなんて考えもしなかった。そんな泉だったから、薫の飾らない言葉は刺激が強すぎた。
「……最初から、そう言ってくれればよかったのに」
独り言のつもりで呟く。
けれど「でも九条さんは幼馴染みの彼しか見てなかったでしょう?」と返され、喉の奥で呻いた。
……たしかに否定はできない。繰り返す死の記憶と自分以外と結ばれる幼馴染みの姿を知らなければ、誠のことが好きなままだったろう。今の泉からすると、その感情すらどこか遠いものだけど。
「そうかも、しれませんけど……。でもっ!正直に打ち明けてくれてたら私だって……」
「……ごめんね」
苦し紛れの反論は、謝罪の言葉によって封じられた。
「信じられなかったんだ。君が俺を選んでくれるなんて。その可能性があることすら信じられなかった。いつの時代も、君は彼を選んだから」
芳野薫は。頭のおかしい殺人犯のはずの彼は、どこか悲しげにわらった。
「きっと彼が君の運命なんだろうね」
……これは、自嘲の笑みだ。
咄嗟にそう思って、泉の胸は痛んだ。
後悔、しているのだろうか。泉の知らない前世の【九条泉】を殺し続けたことを。本当は殺したくなんかなかったのだろうか。一緒に生きたいと、思ってくれていたのだろうか。
「……そんなこと、ないですよ。私は、誠くんの運命のひとにはなれなかった」
かわいそうに。かわいそうな、私とあなた。
泉は苦笑した。運命のひとなんて、最初からいなかったのかもしれない。そうだと思い込んでいただけで。
だとしたらなんて滑稽なんだろう。当たり前だと思っていたものの、なんと不確かなこと。なのにそんなものに縋って今まで生きてきた。他の誰にも目もくれず。
私なんて、誠くんにとっては選択肢のひとつにすぎなかったのに──
「そう。そこが不思議なんだ」
難しい顔をする薫につられ、泉も居住まいを正す。
「俺は幾度となく君を殺してきた。それは確かだ。でも九条さんを殺した記憶は一度もない。なのになぜ、九条さんにだけ繰り返しの記憶があるんだろう」
「うーん……」
それは泉自身引っ掛かっていたことだ。
どうして突然思い出したりなんかしたのだろう。知らないままならよかった──とは思わないけれど、でも原因がはっきりしないと何だか据わりが悪い。
かといって、心当たりなんてものもなく。
「先輩にわからないならわかりませんよ。私、平凡な一般人ですから」
「謙虚だね。君は世界で一番可愛いひとなのに」
「……先輩は趣味が悪いです」
たぶん、きっと。そうじゃなきゃ説明がつかない。それか繰り返す時間の中で目が曇ってしまったか。
先程とは違う意味で『かわいそうに』と泉は思う。思うけれど、それすらも見透かしたように微笑まれ、それ以上の否定は諦めざるをえなかった。
「さて、これからどうしようか」
注文したコーヒーが届く頃、薫は口を開く。
「これから?」
「そう、これから。今日一日を生き延びるために、君はどう行動する?」
「君が俺以外に殺される可能性なんて、あんまり考えたくはないんだけど」そう続けられ、泉は手を滑らせる。
コーヒーの中に沈むのは予定よりもずっと大きな砂糖のかたまり。けれど今はそれ以上に気にしなければならないことがある。
「えっ、私、先輩以外にも命を狙われているんですか!?」
いや、そんな、まさか。
これでも一応、品行方正に生きてきたつもりだ。特別裕福な家系に生まれたわけでもなければ、有名人なわけでもない。河川敷でだってその話はしたはずなのに。
「可能性の話だよ。俺だって俺以外に殺される君のことなんか想像したくもない」
「や、誰にも殺されたくはないんですけど」
「けど確証はないんでしよう?九条さんは犯人の顔を見ていないようだし」
「……そういえば」
そうだった。泉の記憶に残るのはフードを目深に被った人影と、『すまない』という言葉のみ。あとの景色は遠のいて、そこで泉の意識は途切れている。
だから手がかりなんてものはなく、芳野薫が『九条泉を殺したいほど愛している』と自白したものだから、てっきり彼が犯人とばかりに思い込んでいたけれど。
「……私、すっかり解決した気になってました」
そういえば、泉を殺そうと思うなら薫にはいつだってチャンスがあった。それこそ、先刻の河川敷でだって。
けれどあの時、殺気は感じられなかった。殺そうという、素振りすら。
……ということは、まさか。まさか他にも、彼のようなひとが?
なんてことだろう。泉はすっかり気落ちして、溜め息をつく。
ぐるぐる、ぐるぐる。かき混ぜられるコーヒーはしかし、砂糖を溶かしきってはくれない。最早手の施しようがなかった。
──けれど。
「それ、交換しようか」
薫はコーヒーカップを指し示す。泉の手の中で、無惨な姿へと変えられたそれを。
「砂糖、入れすぎちゃったんでしょう?ちょうどよかった。俺のはまだ、何も手をつけていないから」
「いえ、さすがに……。その、入れすぎにもほどがあると言いますか、ちょっと人に差し上げるような代物ではないというか、」
「いいよ。俺、甘党だから」
「え、ええ~……」
ちょっと、と止める間もない。泉のコーヒー(だったもの)は取り上げられ、代わりのものを渡される。言葉通りの、ブラックコーヒーを。
対して、薫は砂糖のかたまりが沈殿するカップに口をつけた。そんなの、美味しいはずないのに。なのに彼は平気な顔をして飲むから、泉は何も言えなくなってしまう。
「九条さんのことは守るよ。俺が、絶対に。他の誰にも殺させやしないから。……だから俺以外には殺されちゃダメだよ」
「……はい」
後半の台詞さえなければ完璧なのになぁ。
そんな下らないことを考えてしまうのは、頭が現実逃避を始めている証拠なのかもしれなかった。
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