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劇団編
【Day.3】舞台裏
しおりを挟む舞台『イェヌーファ』が閉幕したのはつい先日のこと。だというのに劇団はもう次の舞台の準備に入っているらしい。それも新作の初演は二ヶ月後、ギリギリのスケジュールである。
「とはいっても次の作品の主演はマーゴじゃなく、アン・ベルクナーらしいけどね」
アン・ベルクナーとは、先の舞台『イェヌーファ』にて美しいヒロインの役を務めた女優である。
メイベルとは同年代の少女だが、役柄に相応しい、庇護欲を掻き立てる儚げな演技が魅力的だった。そんな彼女は次世代のスターとも噂されているから、主演を務めるというのも納得である。
「とても愛らしい方よね。スポットライトが当たっていなくても自然と目が惹きつけられる……生粋の女優なのだと思うわ」
例えるなら……そう、『ア●ウト・タイム』の時のレ●チェル・マクアダムスかしら。
「目が離せないって点でいえばキミもなかなかだと思うけど」
「それは何?跳ねっ返りが過ぎると言いたいのかしら」
「もちろん魅力的だという意味で」
……冗談ばかりのレオナルドによって、メイベルが連れてこられたのは劇場の裏手。舞台裏と書かれた看板の先には劇団のレッスンルームがあった。
上演まで時間の余裕はない。だからか、どこを見てもスタッフが慌ただしく働いていた。
これってとんでもなく迷惑なことなんじゃ──そんな予感がするものの、レオナルドの顔は平然としたもの。王者の貫禄で歩みを進め、髭を蓄えた紳士に声をかける。
「こんにちは、ミスター・ハドソン」
「おお!これはこれはクレイトン様……、こちらがお噂の?」
「ああ、メイベル・ロックウェル嬢だよ」
……噂ってどういうこと?
そう聞きたいけど、その隙もない。ハドソン──デイヴィス座の座長と握手をしながら、メイベルは内心気になって仕方なかった。レオナルドのことだから何か余計なことを言っていそうで怖い。
けれどハドソンはメイベルの手を離そうとしなかった。
「あの、ミスター・ハドソン……、お忙しいようですし、ご迷惑になるようでしたら、」
「迷惑なんてとんでもない!あなたのことはクレイトン卿から色々とお伺いしておりましたから、私どももお会いできることを楽しみにしていたのですよ。なんでも活動写真に関心があるとか……」
「……!ええ、その通りですわ。いずれは素晴らしい舞台を永遠のものにできれば……と、そう思っておりますの」
「しかしせっかく映像に残せてもそこには色がないのでしょう?それではまだ本物の舞台には遠く及ばない……」
「ええ、ですからフィルムのひとコマひとコマに色をつけていくのですわ。人の手で丁寧に丁寧に……。そうすれば本物の舞台とは異なる魅力を持つ、新たな芸術……、映画が生まれるのだとわたくしは思いますの」
「ほう……」
そこでようやくハドソンは手を離し、自身の顎髭を梳いた。
細められた目は観察者のそれ。出演する役者を吟味する顔だ、とメイベルは直感する。
こういう目を向けられるのは慣れている。何しろ誰かに評価されるのが社交界の常だ。ライバルか否かを見極める令嬢たち、その母親、或いは己の相手として相応しい女か考えを巡らす男性たち……そうした目に晒され続けてきたからこそ、メイベルにはわかる。
無機質な双眸に見下ろされながら、メイベルは微笑んだ。
「映画と舞台は決して相反するものではありませんわ。それぞれにいいところがありますもの。たとえば舞台上で映像を流すことだってできますわ。それは過去を表すことも、異なる場面を映し出すこともできる……、表現の幅を広げることに繋がりますでしょう?」
「確かに。それは面白い試みですな」
すべてはこれから先、生まれるはずの作品からの受け売り。なのだけど、堂々とした語り口のお陰か、それ以上の突っ込みはされなかった。
劇団の座長は満足した様子で笑みを刷き、「さすがはクレイトン卿。人を見る目がおありですね」とレオナルドを見た。……合格、ということか。
ホッとひと安心。メイベルは強ばった体から力を抜く。観察されるのには慣れているけれど、この緊張感がなくなることはこれからもなさそうだ。
そんなメイベルの横で、レオナルドは愉快げに笑う。
「残念ながら僕の方は彼女のお眼鏡にかなっていないようだけどね」
……余計なこと言わないで!
幸いなことにハドソンは「またまたご冗談を」と流してくれたからよかったものの。しかしあれこれ聞かれたらどうするつもりだったのだろう?この人は自分が新聞記者に追われる注目の貴族だということを理解していないのだろうか?
メイベルはこっそり睨めつけるが、レオナルドはニコニコ笑うだけだった。
「ちょうどいい、休憩にしよう」
ハドソンが手を叩くと、レッスンルームの中央にいた俳優たちがそれぞれに散っていった。
その中のひとり、ブロンドの髪を肩口まで伸ばした青年が、真っ直ぐこちらに歩いてきた。
「やあ、レオナルド。『真実の愛』とやらは順調かい?」
「お陰さまでね。今日もキミたちデイヴィス座が興味を惹いてくれたものだから、こうしてデートに誘えたんだ」
「そりゃあよかった。次の舞台の宣伝もよろしく頼むよ」
「ああ、任せてくれ。方々でおすすめしておくよ」
気安い調子で言葉を交わす、見目麗しい男性二人。一人はレオナルド、そしてもう一人は先日の舞台で一途な男性を演じた青年、エドヴィン・フォスターだ。
『彼は女嫌いで有名な男爵家の息子なの』事前にキャンディから聞かされていた情報が思い出される。
『裏表激しいし、仲良くなるまでが大変なんだ。出会ったばっかりの頃は女だからってバカにしてくるし、皮肉や嫌みはしょっちゅうだし……。その分デレた時の破壊力はすごいんだけどさ』
私は絶対お近づきになりたくないけど。そう言っていたキャンディは、今日のことも反対していた。どうしても行くなら私も着いていきたい──その主張は、レオナルドによってあえなく却下されてしまったが。
ともかく油断は大敵。相手は手強そうだ。身構えていると、ぱちり、視線が合ってしまった。
「はじめまして、レディ・ロックウェル」
「は、はじめまして……」
「さっきはハドソン相手によくやったね。一歩も引かないなんて感心したよ。度胸がある、女優になれるんじゃない?」
「そんな、おそれ多いことですわ」
……のだけれど。もしかして、意外といい人なのかしら?
透き通った翡翠の目、茶色がかったブロンド。十代の頃の、髪を伸ばしていたレオ・●グランって感じかしら。
──なんて、見惚れていたのが間違いだった。
「……まぁでも、映画なんてものが僕たちの舞台と戦えるほど、立派なものになるとは思わないけどね。だってそうだろう?活動写真なんてしょせんモノクロの、音声すらないニセモノじゃないか」
「なっ……!」
皮肉っぽく持ち上げられた口角。意地悪く歪む双眸。
前言撤回だ。レオ・ル●ランはこんな嫌みな男じゃない。似ているなんて、好青年の彼に失礼だろう。メイベルはグツグツ煮えたぎる胸で思う。映画好きとしては聞き捨てならないセリフに、頭は一気に沸騰してしまっていた。
でも待って。落ち着くのよ私。メイベルは必死で言い聞かせる。彼はまだ映画の素晴らしさに触れていないだけ、知らないからこそこんなことが言えるのよ、と。
だからつまり、私が言うべき言葉は──
「それならわたくしが一本作ってきてさしあげますわ。あなたの度肝を抜くような、そんな映画を」
そうそう、落ち着いて、冷静になって、挑発なんかに乗っちゃダメ。ここは笑って、受け流せばいいの。受け流せば──
……って?
「あら?」
「さすがだよ、メイベル。惚れ惚れするような啖呵の切り方だったよ」
「いえわたくしは──」
「エドヴィンもこれでわかったでしょ?彼女がキミの言うところの『壁紙みたいな女性たち』とは違うってことくらい」
「まぁね、面白そうだとは思うよ」
そんなつもりじゃなかったのに。なのに言い訳しようにも、口を挟む余地がない。レオナルドとエドヴィン、友情で結ばれた男二人は勝手気ままなもの。
『面白そう』って、何よそれ!人を評価するにしたって他に言い方ってものがあるでしょう!?
「楽しみにしてるよ。僕も度肝を抜く準備はしておくから」
莞爾、と笑んだ男はさすがは舞台役者。うっとりするようなそれはそれは素敵な笑顔であったけれど、もう騙されない。キャンディの評価が正しかったのだ。その本性は皮肉と嫌みでできている。
だけどこうなった以上、負けるわけにはいかない。
メイベルは思う。私のせいで未来の映画人口が減るなんて言語道断。おまけにこの人は俳優だ。つまらない偏見や先入観で、この先映画に関わる可能性を潰すわけにはいかなかった。
だから、メイベルも精一杯の笑顔を浮かべた。
「ええ、どうか驚きのあまり腰を抜かさないよう、今のうちに身構えておいた方がいいかと思いますわ」
バチバチと火花の飛び散る横、レオナルドは「いいねいいね!」と拍手を響かす。まったく、人の気も知らないで!
「……ずいぶん楽しそうね」
そこに加わったのは新たな人影。軽やかな鈴の音は、美しい少女のもの。
「ミス・ベルクナー……」
次回作では初主演を務める女優、アン・ベルクナー。そして彼女の隣に立つのは、十代の頃から看板女優として活躍してきた女性、マーゴ・デイヴィスだった。
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