学園ミステリ~桐木純架

よなぷー

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04学校行事と探偵部

激辛バレンタイン事件02

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 その手の上で透明のラップに包まれて、一口サイズのチョコがひしめき合っている。手作りなのだろう。

「お、おう。ありがとう。わざわざ待っててくれたのか?」

 愛は俺に若干恨みがましく言った。

「義理ですからね、ド義理。かつて小生が慕ってた先輩に対しての、まあ礼儀みたいなものよ。はい、どうぞ」

 俺の胸にチョコを押し付けた。俺は落とさないように大事に抱える。

「誰か本命をあげる相手がいるのか?」

 愛はそっぽを向いて冷笑した。

「小生は女友達と楽しくチョコを交換するつもりよ。じゃあね、楼路さん」

 そして愛は駆け出していった。まるで入れ替わるように、パジャマ姿の純架が玄関からのろのろ出てくる。俺を見て苦笑した。

「おや、早速一個手に入れたようだね。色男の楼路君」

 俺は角を曲がって見えなくなった愛の影を追った。

「愛ちゃんは大丈夫なのか? 白鷺祭ではだいぶ精神的ダメージを受けてたようだけど」

「へこました当人が心配するなんてちゃんちゃらおかしいよ。あっ、ちょっと待って」

 純架が急に押し黙った。何事かと俺も沈黙する。

 やがて純架が言った。

「危ない危ない。屁をここうとしたら思わず実が出そうになったよ」

 馬鹿馬鹿しい。

「すぐ支度するから待っていたまえ」

 家に戻った純架はきっちり5分後、制服姿で鞄を提げて現れた。

「さあ、学校へ行こうか。バレンタインの愛憎渦巻く修羅場を、僕らはよそから観察して楽しむとしようよ」

 趣味の悪いやつだな。



 バレンタインデーとはいえ、早朝ということでまだひと気は少ない。想い人の男子の下駄箱へチョコを入れていた女子が、俺たちの靴音に気づいたかそそくさと立ち去る。俺は純架と顔を見合わせて苦笑した。俺たちの下駄箱はいたって普通、チョコのチョの字もなかった。

 俺たちは部室に着き、後続の到着を待つ。

 そこへ俺の女神が降臨した。奈緒が紙袋と鞄を重そうにぶらさげて、部室に現れたのだ。

「飯田さん!」

 俺は胸の高鳴りを覚えた。人生最良の日を迎えられるかどうか、全ては彼女の一挙手一投足にかかっている。

「おはよう、朱雀君、桐木君。……三宮君はまだ?」

「ああ、まだ来てないぞ」

「ふうん。まあいっか。じゃ、朱雀君」

 少しはにかんで、奈緒は上気した顔に笑みを浮かべつつこちらへやってくる。俺は立ち上がって出迎えた。

「飯田さん……」

「手を出して」

 俺が両手を差し出すと、奈緒が紙袋から出した赤色の紙包みをそこへ載せる。そして明朗に宣言した。

「私の手作り義理チョコよ。どうぞお食べくださいな」

「ありがとう……!」

 俺は心の底から感激し、目頭が熱くなった。ああ、生きてて良かった。本当に良かった。

 椅子に座ると、机の上でリボンをほどいた。包装紙を開くと、それほど見た目のよろしくない中型のチョコブラウニーが5個ほど、ラップに包まれている。そういえば奈緒は料理下手だと聞いたことがある。なんだか猛烈に緊張してきた。

 もし不味かったらどうしよう? あまりの酷さに吐いてしまったら? 恐らく俺の幸福な立ち位置は、たちどころに終焉を迎えてしまうだろう。完全な破滅だ。

 そんなことがあってはならない。俺はごくりと唾を飲むと、それが毒薬であろうが犬の糞であろうが、何としても喉を通過させてみせると意気込んだ。

「どうぞ?」

 奈緒が催促する。俺は意を決し、チョコを一つまみして口の前まで持ってきた。

「い、いただきます……」

 天国か地獄か。のるかそるか。俺は黒ずんだお菓子を口内に放り込み、どうとでもなれと咀嚼そしゃくした。

 食べてみると、結構美味しかった。うん。十分合格点である。俺はほっとして、出てもいない汗を拭った。

「うまい! 最高だよ、飯田さん!」

 俺は幸福に肩まで浸かり、残りのチョコにも手を伸ばした。

「いやあ、素晴らしいね。それにしてもこれ、飯田さん一人で作ったのか?」

 奈緒はチョコを褒められてご満悦だ。

「ううん、お母さんに頼んで手伝ってもらったの」

「それでか……」

「え? 何?」

 俺は少々どもった。

「い、いや何でもない。俺は幸せ者だよ。こんな美味しいチョコは生まれて初めてだよ、飯田さん」

 奈緒は自分の両頬を手で挟み、激賞にはにかんだ。

「良かった、喜んでもらえて」

 引き戸が開いた。英二と結城のでこぼこコンビだ。俺と奈緒を揶揄やゆしつつ中に入ってくる。

「何だ、はしゃいでいるようだな」

 奈緒が自分の席に戻り、紙袋の中をまさぐった。

「男子が揃ったわね。桐木君、三宮君。はい、義理チョコ」

 これは俺に渡したのと同じチョコを、街頭でティッシュを配る人のように手渡す。純架がその類まれな顔をほころばせた。

「ありがとう、飯田さん。大切に食べるよ」

 英二がメイドの結城にチョコを通過させた。

「帰宅したら食べさせてもらう。ありがとう、飯田」

 純架が鞄にチョコを仕舞い込みながら、結城に尋ねた。

「菅野さんはもう英二君に本命チョコを渡したのかい?」

 結城は少し頬を紅潮させた。返事が一拍遅れる。

「はい、今朝」

 英二が高級そうなマフラーを外した。柔らかい高級クッションをくっつけた、いつもの椅子に座り込む。

「舌がとろけるようなガトーショコラだったぞ。結城の料理の腕前を改めて再確認させられたよ。羨ましいだろ」

 俺はものの数分でチョコをたいらげた。口元をティッシュで拭いながら、英二に微笑む。

「そっちは上手いことやってんだな」

 英二は破顔一笑した。いかにも嬉しそうだ。

「まあな。これなら来年も楽しみだ」

 結城もくすくす笑う。

「ふふっ。また英二様の舌に勝ってみせます。ああ、そうそう、私からも男子の皆さんに義理チョコです」

 彼女はメイド職で稼いだお金を使ったか、かなり値の張りそうな高級品を俺と純架に渡した。

「ありがとう、菅野さん」

「これは楽しみだね」

 最後に部室に登場したのは日向だ。純架が陽気に声をかけた。

「おはよう、辰野さん」

 英二が寒そうに両手をこすり合わせる。暖房器具のない部室であった。

「辰野、お前も義理チョコをくれるのか?」

 日向は少し思い詰めた表情で、この場にいる全員を見渡す。そしてその視線を純架に固定した。重苦しく言葉を発した。

「あの、桐木さん。放課後に一対一の場を設けてほしいんですが……」

 ふむ。今朝のこの交換会には参加せず、午後に単独でチョコを渡すつもりのようだ。

 純架は少し面倒くさげに気のない返事をする。日向が本命チョコを差し出してくる気がありありとみて、わざとつれない態度をとっているようだ。

「ああ、構わないけど」

 英二が俺を手招きした。何かと思って近づくと、こっそり俺の耳元へささやく。

「純架の奴、本気で本命チョコを嫌がってるな」

 俺も微苦笑して小声で答える。

「まあ昨日もそう言ってたしな。一対一の場であっても、絶対受け取らない気なんだろうな」

 日向は純架の感情のこもらない言葉に少し傷ついたようだったが、それでも気丈に頭を下げた。

「よろしくお願いします」

 上がったおもては、もう普段と変わらぬ平静のそれだった。

「あと、朱雀さん、三宮さん、義理チョコですが良かったらどうぞ」



 昼休みになった。純架はそれまでの間に義理チョコを渡しに来た四人の女子――3年4組・中迫由真なかさこ・ゆま、2年2組・大原おおはらつかさ、1年1組・浮田紀子うきた・のりこ、1年2組・柴崎楓しばさき・かえでらのクラスと名前をメモに控えていた。ホワイトデーのお返しをするためだという。案外しっかりしてるな。

「これはしかし、結局誰のものか分からなかったね」

 そういって机から取り出したのは、差出人不明の謎の紙包みだった。早朝の部室でのお渡し会が終了し、教室に戻ったところで、純架が自分の机の中に入っていることに気づいたのだ。自分の身分を明かしていないのだから、これも義理なのだろう。

「誰か他の男子の机と間違えた可能性があるね。まあ、今更調べようもないことだけど」

 これに奈緒、結城の義理チョコが加わって、実に7つの義理チョコが揃い踏みした。机の上からはみ出さんばかりのチョコの山に、クラスメイトたちが羨望の眼差しを集中させる。

 噂好き・お祭り好きの久川――結局小枝さんから本命チョコをもらったらしい――が、何故かにやついて純架にアドバイスした。

「おい純架、その謎のチョコから食べ始めてみたらどうだ?」

「これかい? 別にいいけど」

 袋の中から謎のチョコ――チョコアイスボックスクッキーを取り出す。

「いただきます」

 軽くお辞儀して、純架はそれを口に放り込んだ。

 異変はすぐに起こった。何と純架が顔を真っ赤にし、下手なダンスを踊るように椅子から転げ落ちて悶絶したのだ。俺は血相を変えて彼を抱きかかえた。

「ど、どうした純架! 毒でも入ってたのか?」

 彼は頬を朱にして大きく叫んだ。

「かっ、辛いぃ!」

 純架の反応で教室が大爆笑に包まれた。俺も奈緒も、というか『探偵部』メンバーは誰一人この展開についていけず、ことのなりゆきに戸惑った。ともかく俺は純架を助けるべく、まだ手をつけていなかったホットコーヒーの缶を開け、彼に飲ませた。

 純架はこの寒いのに汗だくだ。教室内にはまだ失笑の余熱がくすぶっている。俺は苛立ちながら残りの謎チョコのうち一つを割ってみた。唐辛子の塊が上手い具合にチョコでコーティングされている。こんなもの食ったら、そりゃ苦悶するわな。
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