学園ミステリ~桐木純架

よなぷー

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02夏休みの出来事

114の鍵事件03

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 そして十分後。奈緒の申請を受けて場内のスピーカーからアナウンスが響き渡った。音割れもなく実に明瞭だ。

『お客様の中で女子更衣室のロッカーの鍵を取り違えた方はいらっしゃいませんか? お手持ちの鍵が114番の女性の方、114番の女性の方。事務所までお越しください』

 優しく、かつよく聞き取れるアナウンスの声だった。さあ、ツインテールの少女は現れるか?

 5分が過ぎ、10分が経過して、20分が無為に流れた。それでも少女は現れない。

「不発か……」

 英二が達観した老人のような声を出した。建物の日陰とはいえ気温は高い。結城がいつの間に用意したのかうちわを使い、ご主人様の肌をあおいでいる。

 純架は優美なしぐさで顎をつまんだ。この男の探偵頭脳が、綿密な計算結果を弾き出したようだった。

「何となくこの一件の様子らしきものはうかがい知れると思う」

「ほう、と言うと?」

 純架は俺たちに正面を向いた。すっかり乾いた髪の毛は中世ヨーロッパの貴族風だ。

「少女は最初から下のロッカーの使用者と鍵を入れ替えるつもりだったんだ。この場合は114番の飯田さんだね。彼女は飯田さんが114番を使っているのに近づき、自分も111番を使い始めた。その際黒マジックで数字を足したんだ。『114』に見えるようにね。そしてタイミングよく着替え終わった飯田さんにぶつかり、上手い具合に鍵のリストバンドを弾き飛ばした。そして素晴らしい手管てくだで自分のリストバンドと飯田さんのそれとを入れ替えた。飯田さんは気付かず、そのまま偽の『114』の鍵を携えて更衣室を出てしまった……」

 奈緒は茫然自失ぼうぜんじしつていだった。ややあって失意に満ちた声音でつぶやく。

「あの子がそんな真似したの……?」

「いや、もちろんこれは僕の想像さ。さて、飯田さんを見送った少女は、本物の114番の鍵によって相手のロッカーを物色し始めた。何せ監視カメラのない女子更衣室だ。周りに気付かれることなく楽勝で事を行なえただろう。目的はもちろん金目のものを奪うため。きっと少女は飯田さんの財布を手に入れただろう。擬態に使った衣服は111番に残してあるが、当然実際に使った本当のロッカーは別に用意してある。その鍵は取り付けたままか、水着の下に隠し持っていたんだろう。少女はそれで本来の衣服や貴重品を身につけ、111番の幻惑用の安い衣服など目もくれず、悠々ゆうゆうプールを後にした……」

 奈緒は憤死ふんし寸前だった。髪の毛をかきむしり、場当たり的に怒鳴り散らす。

「ちょっと! それって酷くない? 私のお金返してよ!」

 純架の肩を掴んで強引に揺さぶる。純架は回転力を失ったこまのように頭を振り回されながら抗議した。

「だから、これは僕の妄想だって……」

 奈緒は純架を投げ捨てると、俺を追い詰めるように近づいてきた。

「朱雀君、何とかしてよ! 私の財布、取られちゃったのよ!」

 俺はたじたじとなった。侵略すること火のごとく、という勢いだ。

「いや、俺に言われても……。そうだ」

 俺は拳で平手をスタンプした。

「運営の人に頼んで114番の鍵を開けてもらおう。それがいい。金目のものも、もしかしたら残っているかもしれないし」

「そうね……分かった。そうするね」

 憤怒のオーラを発散させながら、奈緒は事務所に直進した。



 二十分後、奈緒のロッカーである114番の鍵は、業者の手で開錠された。50代のおばさんが担当したという。俺たちの元に結果を持ち帰ってきた奈緒は、それだけ喋ると、身も世もないほど嘆いた。

「ない……」

 たった二語の報告だったが、それだけで意味は十分了解される。純架が気の毒そうに確認した。

「やっぱり財布がなくなっていたんだね、飯田さん」

「うん……。着る物は残ってたんだけど」

 英二が一連の劇場を一観客として楽しんでいる。豪快に笑った。

「どこにでも運の悪い奴はいるもんだ。飯田は気が強いが、これで少しはしおらしくなって、もっと女らしくなるんじゃないか」

「何よその言いぐさ」

 純架は両手を組み合わせると、大きく伸びをした。贅肉ぜいにくのない、均整の取れた体つき。妹との日課である異種格闘技戦の賜物たまものなんだろう。

「もうプールなんて気分じゃないね。帰ろうよ。僕がおごるから、飯田さん、食って食いまくって鬱屈うっくつを発散させればいいよ」

「嫌よ。太るし」

「あらら」

 奈緒は顔面を朱に染めた。その両眼に怒気の炎をまとっている。何なら髪の毛が猛獣のように逆立っていた。

「私、決心した。警察に届け出る。これって立派な窃盗だもの。許さないんだから」

 英二が部外者を装って賛成する。

「いいぞ、やれやれ」

 と、そのときだった。

「あっ!」

 どきりとするほど大きな声で、奈緒が一方を指差した。俺たちは彼女の爪から伸びる直線の先を辿る。

 そこにはツインテールの少女――そう、窃盗の犯人がワンピースの私服姿で立っていたのだ。こちらを挙動不審な態度で見つめている。

「あなた! 泥棒! 卑怯者! 馬鹿!」

 奈緒は乏しい語彙ごいで少女を罵りつつ、その側に駆け寄った。肩を掴んで引き寄せる。

「私の財布! 返してよ! 3万円も入ってたのに!」

 少女は苦しそうに顔を歪めた。純架が奈緒の腕に背後から手をかけ引き剥がす。

「落ち着いて、飯田さん。……君、名前は何て?」

 娘はいきなりの暴力に心身ともに面食らい、しばし咳き込んだ。ようやく落ち着くと、涙目で話す。

「私は奥山瑞穂おくやま・みずほです。これを返しに来ました」

 そういって差し出した腕に、これは本物の「114」の番号が刻まれたリストバンドが巻かれていた。

「今更そんなものいらないわよっ!」

 奈緒が怒りを増幅し、自然に生息する猿のように、瑞穂をかきむしろうと両手を伸ばす。純架は苦笑しつつ、彼女を羽交い絞めにして後退した。

 金切り声を上げる奈緒に代わって、俺が瑞穂の相手をする。不用意に傷つけないよう、出来る限り優しい声音を作り上げた。

「君、飯田さんの財布を盗んだのか? 114番ロッカーの……」

「はい。ごめんなさい」

 純粋な謝罪の意思を明確にしながら、茶色の財布を取り出す。純架をもぎ離した奈緒が、ひったくるようにそれを奪い取った。急いで中身を――札入れをあらためる。

「ないじゃないのよ!」

 三枚の一万円札はどうやら抜き取られていたようだ。暴れた奈緒に肘鉄を食らった純架が、負傷した頬を押さえつつ、中腰になって瑞穂と視線を合わせた。

「やっぱり飯田さんのリストバンドをすり替えたんだね」

「はい」

 俺はうなった。純架の推理は正しかったのだ。

「幼い君が計画を立案・実行したとも思えない。誰かに指図されたんだね?」

 瑞穂は申し訳なさそうにうつむいて、親指をこすり合わせた。愛が彼女の肩に手を載せる。

「名乗り出てくれて嬉しいけど、全部話してくれなきゃかえって困るよ。みんないい人たちだし、酷い目に遭わされたりしないから、ね?」

 さすが同年代。瑞穂は愛の目を見つめると、踏ん切りをつけたように俺たちに正対した。

「ではお話します。私には18歳の兄がいて、名前を奥山弘一おくやま・こういちと申します。この兄が今回の計画を立てました。兄は自堕落な人間で、苦労せずお金を手に入れることばかり考えていました。そして『1』と『4』が似通うこのプールの鍵に着目し、私を使って窃盗を実行したのです。それは上手くいきました」

 奈緒がいまいましげに呟く。腹立たしげにかかとを地面に擦り付けた。

「そうね、まんまと騙されたわ」

 瑞穂はその声に含まれた毒気に恐れの表情を浮かべ、両手を組み合わせた。うつむきがちにぽつりぽつりと話す。

「しかし今回初めて兄に加担した私は、彼がプールから立ち去っても、自分はなかなか動けずにいました。そう、良心――良心の呵責かしゃくに耐えかねたのです。場内アナウンスを聞きながら、名乗り出るべきか、このまま逃げるべきか、葛藤し続けました」

 純架が彼女の怯えをやわらげるように微笑した。

「それで、とうとうここに来てくれたんだね」

「……はい。やっぱり悪いことはできません。自分が得するために誰かを犠牲にするなんて、あってはならないことです。後で殴られるかもしれませんが、兄の間違いを正すためにも、犠牲になった方にお詫びするためにも、こうするのが最良と考えました」

「素晴らしい勇気だ」

 純架は誉めそやした。胸に手を当てて俺にウインクする。

「以上がこの事件の全貌だよ、楼路君」

 空は青く、気温は高い。また8分休憩のアナウンスが入ったところで、純架は瑞穂に、泣く子をあやすように聞いた。

「弘一君は今どこに?」

「財布から抜き取った3万円を持ってパチンコに行きました。今頃すっからかんになっていると思います」

 瑞穂のあんまりな回答に、奈緒がたちまち激昂げっこうする。

「ふざけないでよ!」

 英二の腕を掴んでめったやたらに引っ張った。

「三宮君、車あるんでしょ? パチンコ屋に連れてって!」

「もう間に合わないだろう」

 英二は面倒くさそうに奈緒の指をがす。隣で控える結城へ指示した。

「三万円を持ってきて飯田に渡してやれ。俺にとってははした金だ。飯田はそれで気が済むんだろう?」

「見損なわないで!」

 奈緒がますます怒り狂う。もはや彼女を止められるものは誰一人としていなかった。

「私は奥山弘一から三万円を取り戻したいの! 三宮君にもらってどうするのよ!」

「わがままな奴だ」

 英二は奈緒の声に鼓膜を痛めつけられたか、人差し指で耳を塞いだ。

「分かった、黒服に命令して車に乗せてやる。まずは着替えて来い」

『探偵部』の面々は急いで更衣室に入っていった。
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