学園ミステリ~桐木純架

よなぷー

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01桐木純架君

生徒連続突き落とし事件01

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   (六)生徒連続突き落とし事件



 吸い殻を巡る事件から数日後。世間は『クレーン車が転倒、バスが下敷きに。死傷者8名』というニュースを連日報道していた。近県で嫌な事故が起きたものだが、さりとて俺の日常に変わりはない。

 その日、俺は一人カラオケで散々歌い尽くし、喉の調子を悪くして帰宅した。今日の料理当番は兄貴のけんだ。俺は自室に入って普段着に着替えると、1階のキッチンに向かった。腹はぺこぺこだ。

 両親がテーブルについていた。打ち沈んだ、この世も末かと案じるような絶望的な顔。兄貴も無言で彼らに対面している。まるでお通夜つやだ。

 俺が入室すると皆こちらに気づいて一斉に振り向いた。お袋がしわがれた声を出す。

「楼路、座りなさい。大事な話があるの」

 俺は上々だった気分に冷水をぶちまけられた。「大事な話」とやらは想像がつく。大人しく席に腰を下ろした。親父とお袋は一瞬目線を交錯する。お袋が俺に気まずそうにぼそりと言った。

「私たち、今度正式に離婚することになったの」

 俺は足元から闇が這い上り、心臓を取り巻いたように感じた。どこかで楽観し、あまり仲裁に入らなかった過去の自分を後悔する。だが、もう手遅れだ。

 二人はこの数ヶ月間幾度となく話し合った。怒鳴り合いまでした。それは結局、離婚という結末へ転落する前段階だったのだ。俺は二人の指を見た。結婚指輪はどちらの手からも見出せない。覚悟はできている、ということだ。

「もうあまり時間がないわ。楼路」

 お袋がこちらをひたと見る。その瞳に尻込みする俺が映った。

「あんた、どちらについていきたいの?」

 これほど葛藤を要する質問は中間テストでもなかった。というより、生まれてこの方、こんな残酷な問いかけはなかったといっていい。

 俺は窒息ちっそくしそうな息苦しさに襟元をくつろげた。

「どっちって……」

 三ついの目が俺を注視する。俺はテーブルの下で拳を握ったり開いたりした。「離婚なんてやめようよ!」とは言えない。俺の想像を絶する極めて困難な人生を、二人は既に歩もうと決めているのだから。

 俺に言えたのはしょうもない答えだった。

「時間をくれ」

 一同が緊張を解いた。そんな中、親父が素早く低音の声をかけてくる。

「賢は俺についてくるといった」

 兄貴はすまなそうにうつむいた。そう、これは自分たちの、両親の未来を決定する大事な選択なのだ。お袋が若干身を乗り出す。

「もうあまり時間はないよ。そうね、2週間以内には結論を出して」

「分かった」

 兄貴が立ち上がる。どうやら調理途中だったようで、彼は椅子の背に掛けてあったエプロンを手にした。

「話はそれだけだ、楼路。すぐ夕食にするから待ってろ」

 賢が背後で紐を結ぶと、親父もお袋もばらばらに立ち上がった。俺はこの食卓がもうじきなくなるんだ、と思って泣きそうになった。



 雨の強い一日だった。これで梅雨になったらどうなるんだ? 1年3組担任宮古博先生は、朝のホームルームで出欠を取ると、「これが今日の本題」とばかりに教壇に両手をついて話し始めた。

「実は今日から、このクラスに転校生が加入することになった」

 頬を緩める。室内はざわめき、誰かの短い口笛が甲高い音を立てた。宮古先生は生徒たちを見渡し、散々もったいぶってから動く。

「おい、入って来い」

 ドアの向こうに声をかけた。引き戸が開き、現れたのは……

「ちっちゃ!」

 教室一の噂好き・祭り好きの久川ひさかわが、失礼な一言を条件反射で放った。だがその言葉に異論を差し挟むものはいなかっただろう。確かに入室してきたのは、明らかに150センチ台半ばの小柄な少年だったのだ。その類まれな造作の顔に、主に女子から歓声が上がる。

 少年は久川の一撃に不快感を剥き出しにして、不機嫌な面構えで教壇そばに立った。宮古先生は久川をひと睨みすると、黒板に名前を書き出す。『三宮英二』――

「彼が転校生、三宮英二さんのみや・えいじだ。仲良くしてやってくれ」

 英二は純架に匹敵する美貌と小さい背丈が特徴だった。格好いいというより可愛いという部類に入る。茶色の髪は癖っ毛で手入れが大変そうだ。瞳はけがれを知らぬ純朴さで、鼻は生意気そうに尖っていた。

「三宮、挨拶しろ」

 英二は頭を下げた。きちっとした、いいお辞儀だった。

「これからお世話になる三宮英二だ。よろしくな」

「ほれお前ら、拍手拍手」

 教室は手を叩く歓迎の旋律に埋まる。立ち上がって拍手するお調子者もいた。

 二枚目という点では純架にとってライバル出現だ。そう思って純架を見ると、彼はルービック・キューブを全力で解いていた。解けないことに頭にきたのか、シールをめくって貼り直し、無理矢理各面を揃えようとしている。

 ルービック・キューブあるあるだった。

 宮古先生が転校生に指示する。

「じゃ三宮、一番後ろの席が空いてるだろう。そこに座れ」

「分かりました」

 英二が歩き出すより早く、普段目立たない女子、菅野結城すがの・ゆうきが立ち上がった。空いている席の後ろに素早く移動して椅子を引く。英二は傲然ごうぜんとそれに座った。結城はメイドのようにうやうやしく一礼する。

 宮古先生は目を白黒させていた。

「なんだお前ら、知り合いなのか?」

 転校生と知り合いとは、確かに驚嘆に値する。結城はうなずいて朗々ろうろうと答えた。さも当然と言わんばかりだ。

「渋山台高校が英二様にふさわしい学び舎かどうか、春より下調べしていまいりましたが、合格とさせていただきました。そこで英二様及びその父つよし様にご転校を具申ぐしんしたのです。もちろん、英二様直属のメイドとして、これからも本領を発揮させていただく所存です」

 俺は改めて彼女を見た。結城は一言で言えばクールだ。制服は皺一つなく、銀縁眼鏡の奥のグレーの瞳は底知れない。知的な見た目を擁しており、鋭利な刃物のような印象だった。栗色の髪は背中まで伸びている。

 彼女の突然の告白に、宮古先生もクラスのみんなもたじろがざるを得ないようだった。

「メイドって……。ま、まあいい。菅野。じゃあ三宮をよろしく頼む」

「承知いたしました」

「席につけ」

「はい」

 結城の堂々たる物腰に、あっけにとられぬ者はいなかった。こんな高校デビューに直面するとは、正直誰も予想だにしていなかったに違いない。結城はました顔で英二に視線を注いでいる。宮古先生は調子を取り戻すのに苦労しながら、その他の伝達事項を早口に述べた。

 担任が去ると、早速英二はクラスの男子に囲まれた。転校生がもてはやされるのはどこの学校でもよくある風景だ。

「俺、貝川かいかわ。これからよろしくな、三宮」

「メイド付きって、ひょっとしてお金持ち?」

「俺は篠田しのだ。昼休みに学校を案内してやるよ」

「なあなあ、一体どこから転校してきたんだ?」

 英二は彼らの砕けた問いかけに一切答えず、急に椅子を蹴立てて立ち上がった。目をしばたたくクラスメイトたちの間をい、純架の席に近づく。純架はキューブのシール張り替えをようやく終えたらしかった。

「やっと解けた」

 解けてない。

 英二が大声で呼びかける。声変わりしていない高い声だった。

「おいお前!」

 純架は今ようやく英二の存在に気づいたらしい。まだ名前が書かれたままの黒板を一瞥する。

「サンキュー・エイジ……。『ありがとう時代』か。どういう意味だろう?」

 英語じゃねえよ。

「やあ、三宮英二君。僕に何か?」

 英二は怒り心頭に発していた。腕を組んで眉尻を上げる。目から火が出そうだった。

「俺の紹介から今まで、ずっとルービック・キューブで遊んでいたな。失礼だろうが」

 純架はてへぺろしながら素直に謝る。美少年二人の会話にクラス中が引き込まれていた。

「ああ、ごめん。一応キューブの国内大会に出る予定なんで、練習に没頭していたんだ」

 えっ、シール張り替えで?

 結城が主人に耳打ちした。聞くものの居住まいを正させる、冷徹な声だ。

「英二様、彼は『探偵同好会』会長の桐木純架です。渋山台高校一の変人です。お関わりにならぬことが肝要かと愚考します」

「変人か……確かにな」

 英二はせせら笑った。教室はしんとして、気温が若干低下したように感じられる。

「どうせろくな教育も受けず、まともな礼儀も教わらず、今日まで怠惰たいだに生きてきたに違いない。そうでなければそんな失礼な真似はできないだろうからな。いや悪かった桐木、気にしないでくれ」

 嫌味ったらしく罵倒ばとうすると、英二は今度は久川の席に向かった。彼の机に勢いよく平手を叩き付ける。誰もがどきりとする乾いた音に、久川はぎょっとして身を引いた。

「お前は俺のこと『ちっちゃ!』とか言ってたな。言い訳があるなら聞こうか」

 久川は顔を引きつらせている。脂汗がこめかみのあたりに早くも浮かんでいた。

「あれはついつい出てしまった言葉だよ。そんなに深い意味もないし、悪口を言うつもりはなかったんだ。そうカッカするなよな」

 しかし英二はそれで納得するたまではなかった。言語の釘を相手に突き刺す。

「謝れ」

「は?」

「謝れ、といっているんだ。聞こえなかったか? それとも耳が遠いのか? どうなんだ」

 久川は救いを求めて教室を見渡した。だがフォローしてやるものはいない。俺も自業自得だと思って無視した。純架も面が揃ったルービック・キューブを眺めて悦に入っているだけで、二人にまるで関心を向けていない。
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