学園ミステリ~桐木純架

よなぷー

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01桐木純架君

折れたチョーク事件03

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 この野郎、俺を盗み見ていたのか。そんなに奈緒への思慕しぼが丸分かりだったのか? 俺は屈辱と羞恥でいたたまれなくなったが、何とかこらえる。

「悪かったな」

「まあせいぜい頑張りたまえ。応援するよ」

 純架はにやりと笑うと、再び着席して食事の続きに取り掛かった。



 その後の二時間、俺は早く学校が終わってほしいような、ほしくないような、せめぎあう心に翻弄ほんろうされた。体育館で未知の痛みの注射を待つ小学生のような気持ちだ。一分が一時間のように緩慢かんまんに感じられたかと思うと、一時間が一分のように慌ただしく過ぎ去ったようにも思われた。

 清掃もホームルームも終わる。俺は帰宅準備を整えると、深呼吸してから奈緒の机におもむいた。既に心臓はバクバクだ。渋山台高校を受験したときでさえ、ここまで緊張したりはしなかった。俺はいつからノミになったんだろうか?

 一方奈緒は、特にこれといった変化もなくノートや筆記用具を鞄に詰め込んでいる。俺は喉の耐え難い渇きに悩まされながらうながした。

「ここじゃまずい。別の場所にしよう」

「分かった。……じゃ、行こうよ」

 俺は控え目な態度の奈緒を引き連れ、教室を出た。二人きりで話せそうな場所を記憶巣からあれこれ検索する。体育館へと通ずる渡り廊下の脇、壁際がいいか。俺はそこに向かった。奈緒は何も言わずついてくる。俺の「話」の内容が掴めているのだろうか? しかし彼女に緊張の色は全くない。

 ようやく目的地に到着した。廊下を歩く生徒はまだ少なくなかったが、こちらに興味を抱いて立ち止まるものは皆無だ。よし、ここでいいだろう。

 俺は回れ右して奈緒に正面を向けた。こちらを見上げる彼女の顔を直視したため若干息が詰まる。落ち着け俺。呼吸を整えると、ゆっくりと切り出した。

「じゃ、ちょっと俺の話を聞いてくれ」

「うん」

 俺は奈緒の透き通った瞳をまじまじと見つめる。本当に、本当に綺麗だ。

「……あのさ」

「うん」

 俺の喉にせり上がってきた次なる台詞は、しかし無難なものにとどまった。

「この前の日直のとき、一人でゴミ捨てに行って悪かったな」

 奈緒は微笑した。か、可愛い。

「そんなこと……。感謝してるよ」

 俺は今度こそ本題に入ろうと頭をフル回転させた。燃料に比して成果は空回りに近かったが。

「飯田さんって、彼氏とかいるの?」

 いい質問だ。まず肝心要かんじんかなめなことを問いただす、それが大事だ。もしうなずかれたらどうしよう。しばらく立ち直れないかも。

 だが奈緒は、こちらの期待に応えるかのように小さく首を振った。

「彼氏なんていないよ」

 俺は歓喜で胸郭を膨らませた。よっしゃあ! さあ告白だ。告白するんだ、俺!

 しかし直後に奈緒の口をついて出た言葉は、こちらを幻惑げんわくするかのような意味不明なものだった。

「私、まだ子供でしょ?」

「え?」

 彼女は俺の顔に貼りついた疑問符にも気づかず続けた。

「私だけでなく、朱雀君も、皆も、まだ高校一年生だよ。子供なんだよ」

「うん……」

「子供は勉強するべきだと思うの。彼氏がいるかいないか、彼女がいるかいないかなんて、そんなことはもっと大人になってから問題にするべきよ」

 事態は暗く不明瞭な崖下へ転落していくかのようだ。

「私は高校3年間、異性と付き合わず、勉強に邁進まいしんするつもり。朱雀君もそうでしょ?」

 俺の口はチャックでもついたかのように開かなかった。無理矢理こじ開けると、肺から出たのは降参の音だった。

「……そうだな。そうだよな」

「でしょ?」

 奈緒は腕時計を見た。

「私、そろそろ帰らなくちゃ。話はおしまい?」

 俺は唾を飲み込んだ。言え、言うんだ朱雀楼路。「飯田さんが好きなんだ」と、男らしく想いを告げるんだ。ふられるかもしれない、という恐怖心を乗り越えて……!

 俺は激しい葛藤かっとうにさいなまれた。決定的な言葉は体内で固形化し、喉から外に飛び出す機会を今や遅しと待ち構えている。言え、言え。俺は全身を極度に強張らせ、そして――

「ああ。話は以上だ」

「そう。それじゃあね、朱雀君」

 奈緒はさわやかに別れを告げると、渡り廊下を下駄箱の方へ歩いていった。こちらを振り向くことはない。彼女の影はやがて見えなくなった。

 後には間抜けな男が一人、取り残された。告白さえ出来ない臆病者。

「勉強に邁進、か」

 俺は数分前までの緊張と高揚を、何十年も昔のことのように懐かしく思い出していた。

「告白する前にふられたようだね」

 突然物陰から純架が現れ、俺は悲鳴を上げそうになった。もっとも見られたくない相手に見られてしまうとは、この朱雀楼路、一生の不覚。

「何だよ、盗み見てたのか?」

「失礼な。ピーパーと呼んでくれ」

 英語で同じ意味だ。

「楼路君、まあがっかりするな。女なんて星の数ほどいる。たまたま一人に『不潔! ドブネズミ! きもい! 変態! すかたん! 唐変木とうへんぼく!』と言われても我慢することだね」

 奈緒にかこつけて俺を馬鹿にしてないか?

 何だかさっきまでの自分がピエロに思えて、俺は中っ腹で毒づいた。

「お前は人を好きになったことはないのかよ」

 純架はスマホで俺の顔写真を撮影した。

「これであと一年は笑える」

 何をやっている、何を。

 純架は携帯をポケットにねじ込んだ。「オッケーシリ」と、iOSでもAndroidでも反応しない呼びかけをする。

 酒にでも酔ってるのか?

「好きになった人なら昔はいたよ。小学生の頃かな、三歳年上のお姉さんに憧れた時期はあった。それぐらいかな。今はもちろんいないよ、おかしなことにね」

 いくら類まれな造形でも、奇行の愛好者となれば誰も近づきさえしないだろう。純架は「それにしても」と言った。

「飯田さんは帰宅部なんだね。自宅か塾での勉強最優先なのかな?」

「俺が知るかよ」

 俺は心の痛手をひた隠し、ゆっくりと昇降口へ歩き出した。ああ、何て嫌な放課後だろう。

 それにしても奈緒は何だったんだ。異性からの愛の告白を断るとき、一番使いやすいのが「好きな人がいる」という理由であろう。だが彼女は彼氏はいない、と言う。でも自分は勉学が大事だ、と宣言する。そして告白してきそうなやからには、その前にああやって諦めさせるよう話を持っていく。何かおかしい。何かが隠されている気がする。

 何にせよ、俺はこの高校生活で奈緒とは恋仲になれないってことなのか? 奈緒は誰とも付き合わないことで、言い寄る男たちを――俺も含めて――平等に追い払うってことなのか? 考えれば考えるほど悲しくなってきた。

「まあそう落ち込まないで。きっと四国アイランドリーグが拾ってくれるさ」

 戦力外通告を受けたプロ野球選手じゃねえよ。



 その翌日の火曜日は学校を休みたくてしょうがなかった。だが純架に「ふられたことが恥ずかしくてさぼったんだ」などと図星を指されるのもしゃくだ。俺は平気なふりをして家を出た。玄関前で純架と落ち合い、共に登校する。今朝はだいぶ風が強く、おおかた散ってしまった桜の花びらに引導を渡すかのようだった。

「昨日色々考えてみたんだけどね」

 純架が両手をこすり合わせながら切り出した。気温は低めな今朝である。

「チョークは今日の放課後か明日の早朝にまた折られる蓋然性がいぜんせいが高いんだ」

 例の事件の核心を突く台詞に、俺はぎょっとした。思わず立ち止まると、純架も足を休める。

「何でそんなことが分かるんだよ」

「パターンさ。今まで1年3組のチョークは三回折られてきたが、その三回とも教室が無人のときを狙われた。前にも言ったけどね。思い出したまえ、最初のチョーク折りはいつだったか」

「そんなもん覚えてねえよ……。確か、先々週の木曜日のホームルームだったか?」

「当たり。でも正しく言うなら、それは宮古先生が折られたチョークを発見して憤慨したのが夕方の集会だった、というだけさ。では次のチョーク折りは?」

「知らん。忘れた」

 純架はとがめてイエローカードを突きつけてきた。

「あと一枚ですっぽんぽんの刑です!」

 嘘をつくな。

「駄目だよ、楼路君。君は『探偵同好会』の一員なんだから、何でも捨て目が利かないと。二回目のチョーク折りは先週の水曜日、朝の始まりの会だ。これも一回目と同じで、既に折られたのを宮古先生が見出してむかっ腹を立てたんだ。さて、三回目は?」

 俺は首をひねった。記憶の引き出しを、焦る盗人よろしく次々と開けてみる。

「確か先週の木曜、体育のサッカーが早めに切り上げられて、お前に引っ張られて教室に戻ったときだ。矢原に問い詰められたんだっけ」

「そうそう、その通り。それが三回目だった。そして宮古先生はうちのクラスの担任で、朝と夕方のホームルームで連絡事項を書くために白いチョークを使うんだ。つまりチョーク折りはその前に行なわれているということになる」

 純架はまるで教師のように物事を話す。自分の平手を眺めた。

「最初の木曜は、何事もなく過ぎ去った朝会から、夕方の終わりの会までの間に、何者かの手でチョークを折られた」

 親指を折り込む。

「次の水曜日は、前日の火曜日の下校時刻から、翌水曜の朝のホームルームまでの間に折られた」

 人差し指を曲げる。

「そして最新の木曜では、朝の集まりでは何事もなく、二時間目の体育終わりには折られていた」
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