学園ミステリ~桐木純架

よなぷー

文字の大きさ
上 下
8 / 156
01桐木純架君

血の涙事件04

しおりを挟む
 2人に負けず劣らず驚いている俺をよそに、純架は穏やかに自己紹介した。

「1年3組の桐木純架です。こちらは助手の朱雀楼路君。あなた方は?」

 何か勝手に助手にされてるが……

 三つ編みは気が小さいらしく、体の震えを止めるのに必死だ。まるで罠にかかったネズミだった。

「わ、私は山岸文乃やまぎし・ふみの。トランペット担当です」

 きつい目がふんぞり返って続いた。

「あたしは海藤千春かいどう・ちはる。オーボエやってる。桐木だっけ? 何なの、お前ら。ショパンがどうこう言ってたけど」

「しらばっくれないでいただきたい。現に山岸先輩は認めておられる」

 そこを足がかりに、純架は説明を開始した。

「昨日の早朝6時前に、あなた方は音楽室の鍵をこっそり借りて、音楽室に侵入しましたね? 目的はショパンの肖像画に血の涙を流させるため。あなた方は瞬間接着剤とウエハースの欠片、凍らせた豚の血――恐らく肉を絞って型に流し込み、自宅の冷蔵庫に入れていたんでしょう――を持ち込みました」

 山岸先輩はその顔をどんどん蒼白にさせていく。一方海藤先輩は両腕を組んで堂々としていた。彼女らの気持ちはどうあれ、純架の言葉に強い関心を示しているのは間違いない。

「そして一人がもう一人の肩に乗って、ショパンの肖像画に細工しました。それは簡単なものでした。ウエハースと絵画の目の下の部分を接着剤でくっつけると、その上に豚の血の氷を載せ、既に溶けてしまった血をハンカチで拭います。これでおしまい。そうしていたずらを終えると、音楽室を施錠せじょうして、何食わぬ顔で鍵を返却した――そうですよね?」

 山岸先輩は涙目で純架と海藤先輩を交互に見ている。海藤先輩は強情な姿勢を崩さず、純架を火が出るほど睨んでいた。しかし睨まれた側は平然と続ける。

「血の氷が着々と溶けていく中、音楽室に畑中先生が入ってきます。まだこの時点ではウエハースが頑張っていて、氷を食い止めていました。雪が降っているぐらい寒かったですからね。畑中先生は一つのことに没頭するたちで、ピアノを弾いている間は肖像画の変化に気づかなかった。恐らく演奏中に氷が溶けてウエハースを濡らし、ふやけさせ、下へと最初のしたたりを始めたのでしょう。そして畑中先生がいったんピアノの手を休めた間に、『血の涙』は床へと落下して、彼女の聴覚にその存在を知らしめた、というわけです」

 俺は純架の語る事件の概要に、腰を抜かしそうになるほどたまげていた。それが『血の涙』の正体なのか。

「その後、畑中先生は健気にも脚立を借りて自力で肖像画を取り外しました。しかし気が動転しており細かいこと――たとえば床に落ちたウエハースの欠片など――に気づかず、血痕を雑巾で拭き取ったのです。いかがですか?」

 山岸先輩はもう完全に諦めて、涙を流してすすり泣いている。だが海藤先輩は強気を守っていた。まるで殴ってもびくともしないタイヤのようだった。

「それで? 何でその『血の涙事件』とあたしらが関係あるの? 動機は何? 肝心のところが抜けてるじゃないの」

「動機は畑中先生のピアノの音です」

 純架はひるむことなく斬りかかる。

「あなた方は自主練するほど吹奏楽部に熱心です。だから毎朝早い時間にこうして練習しに登校します。楽器の重ささえ苦にせずに。そのあなた方にとって、畑中先生のピアノの音は邪魔でした。下手だから嫌なのか、上手だから拒絶するのか、それは分かりませんが。ともかく耳障りでした。だから畑中先生を脅かしてやろうと、どちらからか提案しました。二度と早朝にピアノを弾けなくなるような、そんな痛手を負わせるために。それゆえ、あなた方は今回のいたずらを仕掛けたのです。絵画に血の涙を流させるという、怪奇な方法を用いて……」

「全部憶測だ」

 海藤先輩はしぶとかった。

「そこまで言うなら何か証拠でもあるんだろうな? 証拠がないならお前の話に根拠はない。あたしらを侮辱した罪を先生方にならしてもいいんだよ、こっちは」

「あります」

 純架は髪をかき上げた。二人の先輩がどきりとしてそのしぐさを見つめる。純架は鞄から何かを取り出した。

「ショパンの肖像画に張り付いていた指紋です」

 純架が見せたものは、セロハンテープが貼られた黒い紙切れだった。

「今は千円程度で指紋採取キットが販売されていましてね。肖像画からアルミパウダーで検出したものがこれです。これが山岸先輩か海藤先輩の指紋と一致すれば、もう逃れられませんよ」

 俺はそのセロテープを横から覗き込んだ。確かに白い指紋が確認できる。

 山岸先輩はバネのように立ち上がり、号泣しながら頭を下げた。ほとばしるように謝罪する。

「ごめんなさい! 出来心でした! ほら、千春ちゃんも謝って!」

 とうとう海藤先輩も観念したらしく、不承不承ふしょうぶしょう起き上がり、ぶっきらぼうに頭を下げる。

「はいはい、ごめんなさい。私たちが悪かったわ」

 純架はこの決着の自白に喜びもせず、冷ややかに二人を見つめた。

「なぜこんな真似を?」

「……畑中のピアノは上手いけど、毎回同じ曲を弾くからうざく感じるようになって……。私たちの練習の邪魔になるから、何とかしてやめさせようと考えたんだ。後はお前の言う通りさ。全く、見ていたように正確だな」

 俺はようやく深呼吸できた。純架の証拠は嘘八百だ。肖像画の指紋なんて、昨日はまるで採取していなかった。純架が昨日のうちに、まだ見ぬ『犯人』を追い詰めるために作ったであろう偽物なのだ。そのことに気づいてからこっち、俺は気が気でなかった。海藤先輩が認めず、指紋を比較してみようとか言い出したら、純架は尻尾を巻いて退散するほかなかったのだ。

 そうか。それで思い当たった。畑中先生をこの場に立ち合わせなかったのは、そうした「失敗」の可能性を考慮に入れたからだ。なかなか抜け目がない。

 純架は細部を聞き出そうとした。山岸先輩に毒矢のような視線を投じる。

「音楽室の鍵をどうやって手に入れたんですか?」

 撃たれた彼女は毒が回ったかのように苦しげに答えた。

「教頭先生に頼んで、忘れ物を取りにいきたいって言って」

「犯行に及んだのはあなた方だけですか?」

「ええ、私たちだけです」

「そうでしょうね。僕は初めから2人の男子、もしくは女子の犯行だと睨んでました。脚立がない以上、複数人で肩車しないと絵画には手が届きません。異性同士だと、女が上ならスカートの中を覗かれたりするし、女が下なら非力で持ち上げられなかったりしますからね。それに団結して秘密を共有するには、3人以上は多過ぎます」

 純架は胸に手を当てた。

「以上がこの事件の全貌ですね、お二人さん」



 その日の昼休み、畑中先生は事件を解決した俺たちに――俺は目立つような活躍をしなかったが――大変感謝した。あの後、山岸先輩と海藤先輩の両名は、畑中先生に正式に謝罪したという。2人は本当に反省していたらしく、先生は謝罪を受け入れたそうだ。

「君たちのおかげよ。本当にありがとう!」

 苦悩から解放されてほっと安堵した畑中先生の笑顔は、たいそう美しい。純架は芸術家が苦心の作品を賛美されたように、顔を紅潮させて胸を反らした。

「それほどでもないですよ。先生がこれからも良質な授業を行なってくださること、楽しみにしております」

 畑中先生はあたかも反省するがごとく、呟くように言った。

「それにしても……。本人の知らないところで、誰かにうとましく思われる場合もあるのね。気をつけなくちゃ」



 放課後の帰り道では、素晴らしい夕陽が辺り一面に黄金の粒を撒き散らしている。何だか全てが輝いて見えてしょうがなかった。俺は隣を闊歩かっぽする純架に聞く。

「なあ、あの二人だって断定できた根拠は何だったんだ? 同じ吹奏楽部で自主練をやっている生徒たちとか、それとも他の朝練のある文化部とか、畑中先生のピアノを恨む人間の範囲は広かったと思うけど」

 赤信号で立ち止まると、純架は車の騒音に負けじと大声を出して、苦もなく答えた。

「あの二人があまりにも早く登校していたからだよ。彼女らは吹奏楽部に最も熱心だからこそ、最も畑中先生を邪魔だと見なしていたのさ。だから僕は九割がたあの二人だろうと思い、まずはかまをかけてみたんだよ。どんぴしゃだったね」

 純架は「ところで……」と話を変えた。

「楼路君、君も確か僕に言っていたね。昨日の朝だったかな、『お前みたいな奇人、うっとうしくてたまらん』と。君は僕が疎ましいかい?」

 俺はまだ道の各所に残る白雪はくせつを眺めながら考える。結論はすぐに出た。

「ああ、疎ましいね」

「そうかい」

 純架はうつむいた。軽くしょげた美少年に、俺は続きを口にする。

「ただ、あの2年生女子2人のように、遠まわしの嫌がらせをして喜ぶ気はねえよ。疎ましいときははっきりそうだと言う。それが俺だ。お前も少しは反省して、奇行なんかやめて、真っ当な人間に戻るんだな」

 純架は「ゴーストバスターズ!」と叫んだ。

 流行が30年以上遅れている。

「残念だけど、僕は畑中先生のように気をつけたりはしないよ。君が君であるように、僕は僕だよ、楼路君。――お腹が減ったよ。ナルドに行って飯でも食わないか?」

 マクドナルドをナルドと略すのは純架ぐらいのものだろう。

 信号が変わり、俺たちは夕暮れの道を悠然ゆうぜんと歩いていった。帰宅の途にある人々の背中を視界に泳がせつつ、俺は秘めていた言葉を口にする――わずかなためらいと共に。

「あのさ、純架。……『探偵同好会』、入ってもいいぜ」

 純架はぴたりと静止した。振り向いてみれば、彼は自分の耳が信じられないとでも言いたげに、真っ直ぐ俺の顔を凝視している。

「本当かい? 何でまたそう思ったんだい?」

「別に……」

 畑中先生の感謝する笑顔を見て、この活動はやりがいがあると思った――なんて、恥ずかしくて吐露とろ出来ない。

「別にいいだろ」

 俺はわざと仏頂面ぶっちょうづらを作り、また歩き出した。純架がすぐに追いついてきて、俺の腕を肘でつつく。

「嬉しいよ。ようこそ『探偵同好会』へ! 早速お祝いとして、ボートに乗って捕鯨船ほげいせんに体当たりしに行こう!」

 誰がやるか。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

旧校舎のフーディーニ

澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】 時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。 困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。 けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。 奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。 「タネも仕掛けもございます」 ★毎週月水金の12時くらいに更新予定 ※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。 ※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。 ※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。 ※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。

闇に蠢く

野村勇輔(ノムラユーリ)
ホラー
 関わると行方不明になると噂される喪服の女(少女)に関わってしまった相原奈央と相原響紀。  響紀は女の手にかかり、命を落とす。  さらに奈央も狙われて…… イラスト:ミコトカエ(@takoharamint)様 ※無断転載等不可

全体的にどうしようもない高校生日記

天平 楓
青春
ある年の春、高校生になった僕、金沢籘華(かなざわとうか)は念願の玉津高校に入学することができた。そこで出会ったのは中学時代からの友人北見奏輝と喜多方楓の二人。喜多方のどうしようもない性格に奔放されつつも、北見の秘められた性格、そして自身では気づくことのなかった能力に気づいていき…。  ブラックジョーク要素が含まれていますが、決して特定の民族並びに集団を侮蔑、攻撃、または礼賛する意図はありません。

幽子さんの謎解きレポート~しんいち君と霊感少女幽子さんの実話を元にした本格心霊ミステリー~

しんいち
キャラ文芸
オカルト好きの少年、「しんいち」は、小学生の時、彼が通う合気道の道場でお婆さんにつれられてきた不思議な少女と出会う。 のちに「幽子」と呼ばれる事になる少女との始めての出会いだった。 彼女には「霊感」と言われる、人の目には見えない物を感じ取る能力を秘めていた。しんいちはそんな彼女と友達になることを決意する。 そして高校生になった二人は、様々な怪奇でミステリアスな事件に関わっていくことになる。 事件を通じて出会う人々や経験は、彼らの成長を促し、友情を深めていく。 しかし、幽子にはしんいちにも秘密にしている一つの「想い」があった。 その想いとは一体何なのか?物語が進むにつれて、彼女の心の奥に秘められた真実が明らかになっていく。 友情と成長、そして幽子の隠された想いが交錯するミステリアスな物語。あなたも、しんいちと幽子の冒険に心を躍らせてみませんか?

母からの電話

naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。 母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。 最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。 母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。 それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。 彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか? 真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。 最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。

友よ、お前は何故死んだのか?

河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」 幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。 だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。 それは洋壱の死の報せであった。 朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。 悲しみの最中、朝倉から提案をされる。 ──それは、捜査協力の要請。 ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。 ──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

処理中です...