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第一章 眩き紋章
第一話 勇者の手記・困惑、そして旅立ち
しおりを挟む◆山羊の月:十三日
自身の記録というものを残さねばならないと思い立ち、日記という形で筆を取る。
きっかけはつい昨日自分の身体に現れた[紋章]だ。
世を乱し、人々をその強大な力で苦しめる[魔王]が現れる時、身体の何処かに[紋章]を持った勇者が共に現れる。幼い子供からお年寄りまで誰もが知っている伝承だ。
選ばれし者勇者。魔術師。僧侶。戦士や武闘家。そういった者にある日突如として浮かび上がる。
そう学び舎の教師や両親から伝えられてきた伝説の紋章。それが自分の身体に浮かび上がった。
尻に。
より正確に記すと左尻に。
最初に異変を感じたのは一週間程前、お向かいに住まうノーマンさんのご主人が腰を悪くしてしまったので代わりに森に木を切りに行ってきたその日の夜、風呂に入っている時であった。なにせ突如として浸かっていた風呂から突然光が漏れだしたのだ。最初は風呂の湯が急に光り出したと思い、謎の現象に肝が縮み急いで溜め湯から這い出て浴槽を恐る恐る覗いた。しかし、そこには少し熱めの湯がただ波打つだけ。
これはどういうことか。頭を捻りながら立ち上がると、そこで風呂の中がやけに明るいことに気が付いた。日は既に落ちている時間のはずであるし、蝋燭代も馬鹿にならないから灯りは灯していないのに、何故?
その答えはすぐに見つかった。私が立ち上がったことにより、丁度“光源”が備え付けられた鏡に向かい合い、光が反射されていたのだ。
そう。光っていたのは私の尻であった。
その翌日、つまりは今日、日が昇るとすぐに幼い時分から世話になっているお医者様に診てもらう為街を駆けた。光が漏れださないように厚手のズボンを着こんで。
先生はこの早い時間の来訪者を快く迎えてくれた。訳の分からない事態に見舞われた私を安心させてくれる、長年に渡って医術に、人に携わってきたからこそできるのであろう患者に向けるその柔らかな笑顔。
その微笑みは『実は昨日の夜からお尻が光るんです』という私の言葉により一瞬で掻き消えた。
「酔っているわけじゃないよね?…お酒臭くないもんね…」「いや、いろいろ苦労してるんだよね…」
「ごめんね。家を出て一人で頑張って大変なのにあまり目を掛けてあげられなかったね」「なんだって話してくれたっていいんだ。僕は君のおしめを取り換えたことだってあるんだよ」
笑顔から一転して、不安そうな顔で先生は私の心をひたすらに慰めようとしてくる。急に臀部が光り出したとか抜かす輩にこの心優しい対応ができるのは先生のお人柄であろう。長くに渡って村一番の医者として親しまれてきた理由は医術の腕前だけでないことが窺い知れる。
そんな素晴らしい先生にあらぬ誤解を与えたままでいたくないので、椅子から立ち上がり、後ろを向いてズボンをほんの少し引っ張ってずらし、尻から漏れ出るほのかな光を先生の眼に届かせた。
「は?…これ…は…?」
無礼にも尻を向けている為、先生の顔は一切見えない。だが声の調子から自分の眼を疑うような、信じられない光景を目にしていることが分かる。
当たり前のことだ。私自身でさえ信じられないのだから。
「ちょ、ちょっとごめんよ」
そう言うとほぼ同時にズボンが尻の曲線に合わせて更に下がるのが感覚で分かる。先生が引っ張ったようだ。
今更だが人気のない朝早くから来てよかった。
「うわ眩し……いや、しかし、これは…なんと…」
先生の驚嘆にくれた呟きが聞こえる。確かに光る人間の尻を目の当たりにすれば驚くしかないだろう。
この時、私はこの反応を耳にして、先生にもよく分からない病なのかもしれないと情けない恰好のまま情けない表情を浮かべ、ただ自分の未来に尻の光のせいで大きな影が差すであろうことに絶望していたことをよく覚えている。強大な光にはより濃い影がついて回るのだ。
「これは、紋章だ…」
その影は、先生の知識によって打ち払われた。
私が私自身の尻に[紋章]と呼ばれるものが浮かび上がっていたと知ったのはこの時である。
◆山羊の月:十九日
私は今、馬車に揺られながら月明りと尻の光を頼りにこれを綴っている。少々高くついたが一人乗りの馬車に乗せてもらってよかった。今の私は確実に他者の安眠を妨害する。引き続き厚手のズボンは履いているが日が落ちるとどうしても光が漏れだし目立つ。
先生によると私の尻にはかの[勇者]と似た紋章が浮かび上がっているらしい。先生がまだ若く、魔王の影響で荒れた各国を転々としながら助けを求める患者の元に死に物狂いで駆けつけていた頃に一度出会った先代の勇者。燃えるような赤髪に腰には細身の剣を帯びて、仲間に一人の魔術師を連れた彼女の左手の甲には淡く光を放ち揺らめく炎の玉のような紋章が刻まれていたらしい。
何故現れる場所にここまでの差があるのだろうか。というか話を聞いているとかなり光量にも差がある気がする。私の尻は到底“淡く”という雅な表現があまりにも似合わない。
その辺りの理由も、私が今向かっているモアレ公国の城下町に着けば何か手掛かりは得られるのだろうか?
モアレ公国というのは貴族、公爵様が治める、言ってしまうと小国なのだが、更にその東の端っこへ忘れられたようにぽつんと存在しているのが私の生まれ育った村。
それなりに規模の大きい村だとなんとなく自負していたが、結局のところ田舎は田舎なのだなとを改めて実感する。なにせ現れた筈の魔王について、噂話すら入ってこないのだから。
「君という勇者が現れたということは、魔王がまた出てきた…ということなんだろうけど……」
「…あ、今はともかくその光るのを止める方法を探さないといけないよね…」
「…ただ、勇者っていうのは貴重な存在で、それに関する信頼できる文献もまた貴重で…紋章をどうのこうのするっていうのはそもそも教会とかの領分だと思うし、僕みたいな町医者にはとても……」
とにかく今は打つ手がないと弱り果てる先生を見て、ならば自分でどうにかせねばなるまいと情報収集の為に私は今馬車に揺られ縁の薄い都会に訪れようとしているのだ。
何故私のような者を、天は勇者に選んだのか。少し経った今も未だに理由が分からない。
私はラゴン村の村長、その人の三男坊としてただ生まれついただけの男だ。
厳格な父親からは、はっきりと口に出されることはなかったが、所謂生まれ持った役割として求められていたのは村長を継ぐ長男に何かあった時の為の予備。
だから、長男が村長を継いだ今となってはその役割を持てなくなった。まぁ、そもそも果たせるか怪しい役割ではあったが。
以前は、立場と共に家屋敷そのものも兄に譲った老いた父の面倒を見させてもらっていたが、しばらく前に最期を看取った。
そうして村の中で何の役割も持てない、あちらこちらをふらふらと糸の切れた凧のように漂う宙ぶらりんの無責任な男が出来上がってしまった。
いや、だからこそなのかもしれない。そんな私だからこそ、何の役割を持っていないからこそ、天は私を選んだのかもしれない。それなら有難いことだ。信心深い方ではなかったが感謝の念が沸いてくる。
こんな私にもできることがあるなら、魔王の恐怖から少しでも人を救えるならやれることはやりたいと思う。
そう思い、先生の所に出向いたその足で父達の墓に好きだった酒を供え、今は土地ごと兄とその家族の物になっている家屋敷に挨拶へ行ってきた。突然の訪問にも関わらず義姉さんは歓迎してくれた。兄は相変わらず父に似て不愛想だったが「よう」と軽く挨拶をしてくれた。が、その態度を「久しぶりに会いに来た弟にする挨拶がそれですか」と窘められていた。兄の性質はよく分かっているがそれでも言わずにいられなかったのだろうと思う。自分の都合で離れて暮らす男に良くしてもらって、何だか申し訳なかった。色々あったが兄は良い人を迎えたとそう思う。それは間違いない。
中に招こうとする二人を押し止めて、自分は勇者に選ばれたかもしれないこと、その為に村から出ようとしていることを掻い摘んで話した。
当たり前だが最初は信じられないという様子であった。それはそうだ。勇者に選ばれたことがそもそも信じられないのに紋章が現れた場所が場所である。都会に出向いて情報を集める前に外れた頭の螺子を集めろと言われてもおかしくない状況であった。
流石に兄嫁の前で少しでも尻を出す訳にはいかない為説得には苦労した。というより私が勇者に選ばれたということ自体は多分信じてもらえてない。恐らく馬車に揺られ筆を走らせている今も。私自身若干信じ切れていない部分があるし仕方ない話ではある。
私の荒唐無稽に聞こえる話に「そんなわけがあるか。何かの間違いだろう」と当たり前の反応を示した兄は私の後ろに回り、引き出しの中を覗くように軽くズボンを引っ張った。
そして「ぐおぉ!」という悲鳴が後ろから聞こえてきた。思ったより眩しかったらしい。あの屈強な男の悲鳴を聞いたのはあれが初めてかもしれない。
図らずも兄の眼を軽く焼いてしまったが、結果としてとりあえず尻が謎の発光を止めてくれないことは事実として受け入れてくれ、「なんにせよ解決策を探る必要があることは分かった」と理解を示してくれた。少々代償が重かった気がするが。
その後も路銀を持たせようとする二人を説き伏せるのにもう一度苦労した。邪魔をしたくなくて離れて暮らしているのにそこで迷惑をかけては意味が無い。
道が荒れているのか、馬車の揺れが少し強くなってきた。文字が書きにくい。勢いあまって日記を筆で破いてしまいそうだ。
地元の御者さんに頼んで馬車を出してもらっているのだが、「こんな遠くまで行くの初めてだな…」と呟いていたので道に不慣れなのもあるのだろう。
今日はここまでにしておこう。
明日には城下町へ着くらしい。今の内に寝て、着いたらすぐに動けるように体調を整えておこう。
いよいよだ。
私が立ち向かわねばならないらしい魔王とはどんな人なのか、明日はっきりする。
◆山羊の月:二十日
困ったことになった。とても。
結論から述べると、どうも兄の言い分は当たっていたようなのだ。
縁の薄い都会。お祭りでもしてるのかと思うくらいの人の量に圧倒され、大きな荷物も背中に抱えているせいで何度も何度も人にぶつかってしまった。
今日は何回「あっどうもすいません」と言っただろうか。
だが、一旦それよりもどうにも弱ったことがある。
ここまで来たのに全然魔王の情報が手に入らない。
というより存在しない。
そこらの露店で安い林檎を一つ買い、ついでに魔王について尋ねてみれば、店主のおばさんにはポカンとした顔を向けられた。
巡回をしている様子の白い全身鎧を着た騎士様に、できる限り失礼の無いように丁寧に尋ねてみると「…何故そのような話をする」と兜のせいでくぐもっているにも関わらずこちらを不審に思うことが分かる声色で返事をされて、慌てて取り繕う言葉を並べてその場を離れた。
おのぼりさん丸出しの私を見て声を掛けに来た酒場の客引きに尋ねてみれば「え?いやちょっと…わかんないっすね」と困らせてしまった。
冒険者が集う酒場に入り、私の為に安いエールを注いでくれている、情報通だという強面の主人に聞いてみると
「何を言ってんだお前。酒飲む前から酔っ払いみたいなこと言ってるんじゃねぇよ」と一蹴された。
流石に情報通だという人物なら知らないことはないだろうと食い下がった。私の尻に紋章が出たことを伝えながら必死に情報を求めた。
「……お前、ここに来る前に医者にかかった方がいいんじゃないのか」
既に医者には診て貰ったことを伝えると、禿げた強面の店主は眉間を人差し指と親指でつまむように抑え、しばらくそのままでいたかと思うと私に向かって頼んでいない干し肉を皿に乗せて出してくれた。
「お代はいいからよ。それと、うちは二階で宿屋もやってんだ。泊まってけ」
よく分からんが疲れているんだろう余所者を労わろうという、そんな気持ちがよく伝わる優しい声であった。干し肉がなんだかちょっとしょっぱかった。
厚意に甘えて、私は二階の部屋を一晩借りることになり、今日記をしたためている。
今日一日、魔王の影すら踏めなかった情報収集に時間を費やして一つ思い至った結論がある。
これ、魔王復活してないんじゃないか?
場所が場所なので実は自分で確認できてないが私の尻に紋章があるというのは、何かの間違いだったのかもしれない。
あの髪が白い先生が本当に若く、私が生まれるよりずっと前の時代。魔王の脅威に対して勇者が“不作”であったと言われていた時代に、一度だけ会ったという先代の勇者に似たようなものがあるのを見たという話だったし、何かの勘違いをしてしまったのでは。
それで大体の辻褄が合ってしまうような気がする。私の尻が光ること以外。
というか魔王がいないなら現時点で私はただ尻が眩しい不審者でしかないぞ。
いや、苦しむ人がいないなら何よりだけども。
とにかく、このままでは私は何時如何なる時も厚手のズボンを履かねばならない生活を強いられる。このままでは太陽が強く照り付ける時期が非常に辛い。
ここまで意味が分からないものとなると、もしかしたらこれは呪いの一種なのでは?
こんな間の抜けた呪いをかけられる理由にも人にも心当たりは無いが、明日は教会を訪ねてみよう。呪われている武器だの道具だのの解呪もやっていると何処かで耳に挟んだ記憶がある。人体の場合はどうなるのだろうか。
その辺りを一人で考え込んでも答えは出そうにない。とりあえず明日の予定は決まったしもう寝よう。
こんなことになるんだったら村の人にお土産は何がいいか位聞いておけばよかったな。
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